元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。
石野奈央(いしの・なお)
1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)
夏だ。
男児たちは草原があれば無限に駆けまわり、
虫や動物がいれば追い、
水たまりがあれば飛び込む。
原始の遺伝子の記憶のままに生きている。
ところが息子たちは、プールには引け腰だ。
水あそびは嫌いではない。
でも「顔に水がかかるのはちょっとNGです」と、
女優のようなことをいう。
水が苦手なのだ。
「水くらいで、びびらないのよ!」と
後ろから偉そうにはっぱをかけるわたし。
実はわたしも、幼いころから水が苦手だ。
今もほとんど泳げない。
20代前半、
スポーツトレーナーを目指して専門学校に通った。
座学や筋トレは得意だった。
卒業にはスポーツ指導員資格の取得が必須で、
泳げないのに四泳法の試験を
受けなければならなかった。
25メートルずつの
バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール。
水が苦手なわたしは、
顔をつけることだけで精一杯だ。
考え抜いた苦肉の策は、
「ほぼ無呼吸で泳ぎきること」だった。
その根性と体力まかせの力技で、
試験にも合格してしまった。
卒業後に勤めたスポーツクラブで、
キッズスイミングのインストラクターを
任されたこともあった。
子どもたちに教える技術はあっても、
当の本人は泳げない。
子どもたちのバタ足の水が顔にかかるのを
必死でたえる日々。
「コーチ、本当はカナヅチなんです」と、
穴をほって叫びたかった。
息子たちが赤ん坊だったころ。
自分の苦手意識から風呂に入れるときには
ことさらに気をつかった。
顔に水しぶきがかからないように。
絶対に水が入らないように、両耳はぺたりと押したたんだ。
それは区の沐浴研修で指導されたことでもあった。
耳ぺたり、今どきはやらないらしい。
水をさけて大事に育てた結果、
息子たちは小学生になっても、ろくに顔も洗えなかった。
コロナ渦の影響で小学校のプール教室が
中止になったり縮小したりしたこともあり、
すっかりプールと疎遠になってしまった。
男児の行動は理解不能だ。
2年前に家族で千葉のホテル三日月に旅行に行った。
息子たちはつくなり、
苦手なはずの「プールに行こう!」と
駆け出していった。
天井からのシャワーが顔にかからないよう
体をくねらせたり壁ぎわを通過したりと
「ミッションインポッシブル」を成功させ、
無事にプールに到着した。
広大なレジャープール。
ジャングルのようにつくりこまれた屋内。
洞窟や滝。子ども向けのすべり台。
充実した施設で何から選ぶかと思いきや、
ふたりは大きな浮き輪にすっぽりおさまって、
ただ流れるプールに浮いていた。
わたしはふたつの浮き輪のひもを引きながら、
2時間プールを歩き続けた。
家族3人、顔に水がかかることはなかった。
頭は乾いたまま、足は真っ白にふやけた。
彼らがプール苦手を克服することなく時は流れ、
いよいよ小学校の夏休みプール教室の再開が決まった。
学校からはゴーグルを用意するよう指示があった。
彼らが選んだのはグラス部分がミラーになっていて
ギラギラ光る代物。
いかにも泳げそうな人のゴーグルだ。
ふたりは新装備を装着して風呂に入るようになった。
風呂にゴーグル。
水慣れのきっかけになることに、淡い期待をよせた。
さっそく「潜れるようになったよ!」と呼ぶので
風呂の扉をあけて中をのぞいた。
じっとこちらを見る2つのゴーグルと目が合った。
あごと口だけが水につかっている。
プハーっと出てきて「どう?」と、ドヤ顔をキメる。
ゴーグルは、まったく濡れていなかった。
学校から配られた息子たちのプールカードには
進級条件のリストがあった。
一番下の級のクリア条件は、
「頭まで5秒間潜ること」。
このままではひとつも丸がつかないだろう。
クラスで友だちにばかにされるかもしれない。
わたしが焦り始めた。
そんな母の心配をよそに、
ふたりとも夏休みのプール教室を
「お腹がいたい」とズル休みしてしまった。
仕事から戻って実家でサボり報告を受け、
彼らをしかりつけようとして、ふと思い出した。
わたしも昔、プールサイドで
「お腹がいたい」と嘘をついた。
幼いころ、
スイミング教室に通わされたことがあった。
親はやはり、娘の水嫌いに焦っていた。
わたしは施設の近くにあった
サーティワンアイスクリームをエサにおびきだされ、
入会を決心した。
教室は毎回、苦痛だった。
同時期に入った友人たちがめきめきと進級するなか、
わたしはいつまでたっても犬かきもできずに溺れた。
ある日、レッスンが始まるのと同時に
「お腹がいたい」とコーチに言った。
あくる週も、その次の週も、
「お腹がいたい」と言った。
プールサイドで痛くもないお腹を前かがみに抱え、
ぼんやりとプールを眺めながら、
「泳げなくてなにが悪いのか」と思っていた。
大好きなサーティワンアイスクリームを諦めてでも、
スイミング教室には行きたくなかった。
結局、何ひとつ身につけることなく辞めてしまった。
泳げなくても、大人になれる。
すこしだけ頭をつかって作戦を立てれば、
水泳の資格試験だって受かることもできる。
人は、「やる意義」を見つけたときには、
力を発揮できるのだ。
無理強いをしても得るものはない。
もどかしいけれど、その時を待つほうが良い。
とはいえ、嘘をついてサボったことはよくない。
「このまま水をこわがって、
逃げ続けるのは良いことかな?」と、
彼らに問いかけた。
小学校のプール教室なんて、
レクリエーションの延長のようなものだ。
はじめの一歩を踏み出せれば、
友だちと遊びながら水にも慣れるかもしれない。
夏休み後半のプール教室を前に、わたしは提案した。
「水がこわいっていうなら、
次の休みは母さんと区営プールにいって猛特訓かな」。
そして、
「先生よりも母さんコーチのほうが厳しいぞ~」と、
片眉をあげてジャック・ニコルソンよろしくの
不敵な笑みをつくってみせた。
すこし考えて、長男が言った。
「ああそれなら、
ぼくはホテル三日月がこわい。
夜は刺身の食べ放題が、すごくこわい。
母さんと行って克服しよう!」
母さんは、君たちがこわい。
おあとがよろしいようで。
イラスト:まりげ
2024-08-23-FRI