元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

前へ目次ページへ次へ

アリとキリギリーズ

「キリギリスだ!」

朝、家の前にキリギリスがいた。
わたしたちが暮らすアパートの廊下は虫の来客が多い。
たいていはテントウムシやカメムシ、ハナムグリ、
アオドウガネのような甲虫だが、
直翅目のお客様はめずらしい。

「バッタじゃないの?」と聞くと、
「触角と脚の長さにご注目ください」と
息子たちが丁寧に解説してくれた。
キリギリスは、彼らが騒いでも微動だにせず、
床でじっとしている。
元気がなさそうだった。
ひと雨ごとに風の変わる季節。
暑さは残るけれど、すっかり秋だ。
ふとイソップ寓話を思い出した。
「夏のあいだにサボったのかな」と、わたしは言った。

今年の夏休み。
子どもたちの宿題は、
校長先生の意向で周辺小学校の半分になった。
宿題量の采配が各学校の校長に委ねられているという
驚きの事実とともに渡されたごくわずかな課題。
ドリル、読書感想文、自由研究、リコーダーの練習。
息子たちは自由な夏休みを謳歌し、
そのわずかな宿題さえ忘れた。

「楽器の練習」というログの残らない課題など、
男児たちははじめからやる気がない。
リコーダーを持ち帰りすらしていなかった。
持ち帰ってきたのは、
学校からひとり1台配布されているノートパソコン。
国語算数のドリルがその中にあった。

彼らは真剣な表情でもくもくと画面に向かっていた。
さすがデジタルネイティブだ。
もう終わったころかとのぞくと、
課題にはひとつも手をつけていなかった。
彼らが取り組んでいたのは、
子ども向けプログラミング言語の「スクラッチ」。
せっせとオリジナルゲームをつくりだし、
もくもくと遊んでいた。
さすが、デジタルネイティブだ。

次男坊は、来る日も来る日も、
公園で虫を追っていた。
チョウの羽化に3度チャレンジし、
1回の成功もあった。
十分な自由研究になったはずだ。
記録はすべて彼の頭のなか。
アウトプットされることはなかった。

読書感想文の本を選びに、
息子たちと近所の本屋にいくと、
長男がカブトエビの育成キットを抱えてもってきた。
わたしも幼いころシーモンキーを育てたことがある。
知らぬ間にいなくなった。
だいたい親がどこかに流してしまうのだ。
生物の育成はなるべく避けたい。
棚に戻すようなだめると
「カブトエビの育成を今年の自由研究にする!」
と言い出した。
わたしは、しぶしぶ購入した。

事件は育成5日目だった。

「全滅してる…」。
長男が暗い表情で報告してきた。
カブトエビは2億年以上前から
姿を変えずに生息していることから、
「生きた化石」とよばれている。
個体の寿命こそ1ヵ月くらいの短命な生きものだが、
カラダは丈夫に違いない。
なぜ、全滅したのか。
わたしは説明書を確認した。

長男がつくったカブトエビ水槽を見ると、
説明書の写真とは一風様子が違った。
一面に藻のようなものが浮いている。
「エサって書いてあったから‥‥」。
長男が投入したのは、
「成体になってから与える」エサだった。
しかも、投入量は「小さなさじにごく少量」。
それを、袋まるごと投入していた。
さらによく見ると、水面に油のような汚れが浮いている。
「ケースと底砂をよく水洗いしてから
使ってくださいと書いてあるけど、した?」。
長男は、はてと首をかしげた。
「もしかして、水のカルキ抜きもしてない?」
「カルキ抜きってなぁに?」
長男はキョトンとしている。

説明書をまったく読まずに、
長男の感覚のみで仕上げたカブトエビ水槽。
奇跡的に数匹はふ化したものの、
あっという間に絶滅したようだ。
生命のはかなさを学ぶ夏休み。
自由研究計画は、そのままとん挫した。

夏休み最後の土日。
次男が「昆虫標本をつくりたい」と言い出した。
アパートの廊下で力尽きた無数のセミを拾いあつめ、
コルクボードに針で刺すという。
あわててその手にペンを握らせ、
プラバンに得意な虫の絵を描かせた。
裏側には紙やすりをかけて、色鉛筆で着色させた。
オーブントースターで加熱して
縮まったプラバンがまだ熱いうちに、
手袋をつけた手で丸みや羽の角度をつけて
本物のようなフォルムに加工する。
固まったらフォトフレームに直接貼りつけて完成。
拾いあつめのセミ死骸標本よりも、
ずっとそれらしく出来あがった。

カブトエビを失った長男の自由研究は、
「古代生物について」。
最終ページには、
「なお、カブトエビの飼育に挑戦したが、
5日で全滅した。古代生物には謎が多い」
と書かれていた。
カブトエビ飼育の答えは、
だいたい説明書に書いてある。
わたしに言わせれば、男児の方がよっぽど謎が多い。

あとは、
ノートパソコンのドリル課題を背後から監視しながら、
ふたりの読書感想文に赤を入れた。
これは得意だ。
次男の800字、長男の1200字の感想文を一気に仕上げた。

こうしてどうにかラスト2日間で、
すべての宿題を終えた。
まさに、アリとキリギリス。
コツコツとやればよかった。

秋風に大家さんの玄関の風鈴が揺れる。

家の前に力なくたたずむキリギリス。
「夏のあいだにサボったのかな」
というわたしのひと言に、長男はケロリとした顔で
「そもそも、
キリギリスは2ヵ月ほどしか生きられないよ」
と切り返した。
「キリギリスは生態的に越冬なんてしない。
サボったから冬を乗り越えられないんじゃないよ。
キリギリスには
夏しかないから楽しんで暮らしたんだよ」。

限られた時間。

昔、あるテレビ番組で
「わが子と生涯で一緒に過ごす時間は、
母親なら約7年6ヶ月、父親は約3年4ヶ月」
との見解を聞いたことがあった。
シングルマザーなら、もっと少ない可能性もある。
今年の夏、少ない時間の中でも彼らと
たくさんの思い出をつくることができた。
野球、合宿、スイカ割り、花火大会、
熱帯植物園、アスレチック公園。
そんな過ごし方も、良かったのかもしれない。

「だからって、君たちが宿題をサボって
夏休み遊んでいたことが良いってわけじゃないのよ」
とたしなめると、
長男はてへへと笑い、次男はペロッと舌を出した。

駐車場の草むらからは、コロコロコロ、と
コオロギの鳴き声もきこえはじめた。

イラスト:まりげ

2024-09-25-WED

前へ目次ページへ次へ