2020年の開催まであと1年。
うわぁ、ほんとうにはじまるんですね!
これまで、ほぼ日では大会を支える
スタッフのみなさんを取材してきましたが、
今回の裏方さんはかなり有名な方です。
ハンマー投の金メダリストで
現在は東京オリンピック・パラリンピック競技大会
組織委員会のスポーツディレクターを務める室伏広治さんと、
1年後に迫る大会について、
そしてハンマー投という競技について、
糸井重里がたっぷりうかがいました。
室伏広治(むろふし・こうじ)
1974年生まれ。元陸上競技ハンマー投選手。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
スポーツディレクター・理事。
2004年、アテネオリンピックで
日本人の投擲種目初の金メダルを獲得。
2014年、ロンドンのリンピックでは銅メダルを獲得。
日本選手権では前人未到の20連覇を達成。
2016年、競技からの引退を表明。
父親はハンマー投げで
「アジアの鉄人」と言われた室伏重信さん。
- 糸井
- 室伏さんは、最終的に
選手を何年間くらい続けたんですか。
- 室伏
- ぼく、41までやってました。41歳でやめました。
- 糸井
- スタートは何歳ですか。
- 室伏
- 本格的にはじめたのは、15歳です。
- 糸井
- 15歳から41歳まで‥‥。長いですね。
- 室伏
- こんなに長くやると思わなかったですけど(笑)。
- 糸井
- はじめたときに、
「俺は金メダルを獲る!」って思ってました?
- 室伏
- 思わなかったですね。
- 糸井
- あ、そうなんですか。
子どものころって、実力がどうあれ、
そういう夢みたいなこと言うのが
ふつうじゃないですか。
- 室伏
- いやぁ、思ってなかったなぁ。
むしろ、それが簡単じゃないということを
よく知っていたので、
思わなかったのかもしれません。
- 糸井
- そうか! お父さんが選手ですものね。
- 室伏
- 父親のを姿を見ていて、
これはたいへんだな、と思ったんです。
ぼく、もう小学生の低学年のころから、
ハンマー投のオリンピックの標準記録は
このくらいだって知ってましたから。
- 室伏
- だいたい何メーターくらいで、
それを何人くらい超えていて、
みたいなことまで知ってましたから。
- 糸井
- でも、その現実を知っていたのに、
やろうと思ったんですね。
- 室伏
- そこは‥‥なんか、わからないですけど。
- 糸井
- なんなんですかね。
いずれにせよ、やっぱり
お父さんの影響は大きいですよね。
- 室伏
- 大きいです。
- 糸井
- いいな、ああなりたいな、
っていう気持ちはあったんでしょうね。
- 室伏
- そうだと思います。
あと、やっていて、投げてみて、
たのしいと思ったのかも知れません。
- 糸井
- だとすると最高ですね、それは。
自分が「できる」って思って
はじめたわけですね、15歳のときに。
- 室伏
- そうですね。
- 糸井
- 自分が世界でも通用するかもしれないと
思えだしたのはいつごろからですか。
- 室伏
- 世界で活躍できるかどうかっていうのは、
しばらくやらないとわからなかったですね。
やっぱり二十歳超えて‥‥
それでもどうかなというところで。
ぼくがオリンピックで金メダルを獲ったのは
29歳のときですからね。
- 糸井
- あー、そうですか。
- 室伏
- 最初の世界選手権のメダルは27歳か、28歳。
- 糸井
- スケートなんかだと高校生くらいの子が、
ジュニアで優勝して、
そのまま金メダル獲ったりしますよね。
- 室伏
- ハンマー投の世界では、
金メダルを獲った一番若い人は24歳です。
- 糸井
- 最年少記録が24歳なんですか。
つまり、ある種の成熟が必要な競技なんですね。
- 室伏
- そうなんです。
ですから、ハンマー投の選手は、
十代のときは自分の力がわからないと思います。
たとえばぼくが十代のころ、
同世代にぜんぜんかなわない選手がいたんです。
でも、あとから簡単に追い抜いてしまった。
なぜかというと、十代のころの強さって、
体の発達が早いというだけなんです。
技術じゃなくて、体が先行している状態。
- 糸井
- それだけでは、勝てない競技なんですね。
- 室伏
- テクニックがないと難しいですね。
体はあとからついてきますから。
- 糸井
- テクニックというのは、具体的には投げ方とか?
- 室伏
- そうですね。
あの、ハンマーって、「重い」んですよ。
約7キロ、16ポンドありますから。
ボウリングでいうと16号の球と同じです。
重いものを遠くに飛ばすのは、
体だけじゃダメで、技術が要るんです。
これが、軽いものだと、
体ができていればなんとかなります。
たとえば野球のボールなんかだと、
高校生でもプロと同じくらい速く投げますよね。
- 糸井
- ああー、そうですね、なるほど。
- 室伏
- ハンマー投だと、それはあり得ないんです。
だから、選手としての成長カーブが、
遅いというか、比較的ゆるやかな競技なんです。
その分、時間をかけてやるたのしみもあります。
- 糸井
- 技術を磨き込んでいくに連れて、
だんだん記録がのびていくんですね。
おもしろいなぁ。
体がでかくて筋肉がいっぱいあって、
というだけでは飛ばないわけですね。
- 室伏
- 必ずしもそうではないと思います。
- 糸井
- ということは、選手寿命が長い競技なんですね。
- 室伏
- そのとおりです。
だから、平均年齢が若い競技の選手とは、
人生設計が変わってくるんですよ。
たとえば、体操とか水泳の選手は、
もう十代の前半で勝負が決まってしまったりする。
まだ人生経験が浅いうちに
金メダルを獲ったりするケースもあるんですね。
- 糸井
- ああ、そうですね。
そうか、競技によって、
競技人生というよりも、
人生そのものが変わってくる。
- 室伏
- はい。どちらがいいとか悪いとかではなくて、
ぜんぜん違う人生設計になるんです。
そういう意味では、ぼくは時間をかけて、苦労して、
ようやく30歳ぐらいでメダルを獲った。
つぎにオリンピックでメダルは獲ったのは
38歳のときだったんですが、さらに難しくて。
というのも、年を重ねると、技術は上がるんですが、
体の面では「好調の波」がすごく短くなるんです。
だから、どうやってコンディショニングして、
4年間で最高のピークを本番に持ってくるか、
というのがすごく難しかった。
でも、38歳のときのメダルは、
若いころとは違う充実感がありましたね。
- 糸井
- それは、うれしいんでしょうね。
- 室伏
- はい、うれしかったです。
- 糸井
- 長くやっていると、難しくなるぶん、
知ってることも増えてくるわけだから、
自分の中の小さな可能性に気づいて、
それを大事に育てていくわけですよね。
- 室伏
- そうです。
無駄をなくして、戦い方を変えたりとか。
極端にいえば、1回失敗して大怪我をすれば、
引退するしかないという状況ですから。
- 糸井
- はーーー。
- 室伏
- 失敗が許されないという状況で、
着実にビルドアップして、
そこに合わしていくという。
- 糸井
- それは、難しいですね。
- 室伏
- 難しい競技なんです(笑)。
(つづきます)
2019-07-25-THU