こんにちは、ほぼ日の奥野です。
木村伊兵衛写真賞作家の田附勝さんが
2年か3年に1回くらい、
この人おもしろいから取材してみなよ、
って紹介してくれるんですけど。
そのなかのひとりに、
中井菜央さんという方がいました。
2015年から、
新潟県の津南町という豪雪地帯に入り、
雪と、それが刻む時間をテーマに
作品をつくり続けている写真家です。
そんなご縁で、昨年2021年に、
津南町にある
縄文文化の体験施設「なじょもん」で
中井さんの展覧会「破れる風景」が
開催されたとき、中井さん、田附さん、
考古学者の佐藤雅一さんによる
トークイベントの司会をつとめました。
そのときのお話がおもしろかったので、
全5回にまとめて、お届けします。
中井菜央(なかいなお)
1978年、滋賀県生まれ。東京都在住。2006年、日本写真芸術専門学校卒業。2015年より新潟の津南町で冬を過ごし、雪を取り続ける。主な個展に2018年「繡」Roonee 247 fine arts(東京)、2019年「繡」gallery Main(京都)、2021年「破れる風景」津南町農と縄文の体験実習館(新潟)、2022年「中井菜央 雪の刻(とき)」(2022年2月27日まで開催中)など。写真集に、2018年 『繡』(赤々舎)。2022年2月には 『雪の刻』(赤々舎)が刊行予定。
田附勝(たつきまさる)
1974年、富山県生まれ。1995年よりフリーランスとして活動をはじめる。2007年、デコトラとドライバーのポートレートを9年にわたり撮影した写真集『DECOTORA』(リトルモア)を刊行。2006年より東北地方に通い、東北の人・文化・自然と深く交わりながら撮影を続ける。2011年、写真集『東北』(リトルモア)を刊行、同作で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞。その他の著作に、写真集『その血はまだ赤いのか』(SLANT/2012年)、『KURAGARI』(SUPER BOOKS/2013年)、『「おわり。」』(SUPER BOOKS/2014年)、『魚人』(T&M Projects/2015年)、俳優・東出昌大さんの写真集『西から雪はやって来る』(宝島社/2017年)、最新刊に、縄文土器の欠片を撮影した『KAKERA』がある。
佐藤雅一(さとうまさいち)
1959年、新潟県三条市生まれ。國學院大学文学部史学科を卒業。1994年、津南町職員教育委員会配属、文化財専門員。正面ヶ原A遺跡をはじめ、苗場山麓開発に伴う町内発掘調査を担当。2004年、津南町農と縄文の体験実習館なじょもん開館。文化財保護と活用に尽力。2009年、教育委員会文化財班長。2013年、教育委員会文化財班長兼ジオパーク準備室室長。2017年、長野県考古学会「藤森栄一賞」受賞。現在、津南町教育委員会参事ジオパーク推進室長。2015年から國學院大學兼任講師。著書に「新潟県における中期中葉から後葉の諸様相」(1998)、『第11回縄文セミナー』「新潟県津南段丘における石器群研究の現状と展望」(2002)、『先史考古学論集』11集「隆起線文系土器群」(2008)、『総覧 縄文土器』「信濃川中流域における更新世末から完新世初頭の人類活動」(2013)、『新潟考古 24号』など、縄文時代や旧石器時代の論文や遺跡報告書多数。全国的にも縄文時代草創期研究の第一人者の1人。また、苗場山麓ジオパークの認定(2015年)、日本遺産「なんだコレは!信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」の認定(2016年)にも尽力し、地域郷土史の側面から、考古学・歴史学・民俗学・地学を総合的にとらえ、出版事業を大切にし、地域振興・観光も含めた郷土史活用を実践している。過去「ほぼ日」でのインタビューに「縄文人の思い」がある。
- ──
- 写真を撮っている人って、
つねに
時間や光に向き合っているんだなと、
感じることがあります。
- 田附
- われわれ写真を表現手段にしている
作家のやっていることって、
時間の流れに一瞬の断絶をつくり、
一枚の紙に定着させる、
ってことになるんだろうと思うけど。
- ──
- はい。
- 田附
- 表面的にはそのとおりなんだけどさ、
でも、俺らのもっと奥では、
その一瞬が「継続している」こと、
時間というものが
途切れなく続いていること‥‥
そっちのほうを、気にしてるわけで。
- ──
- ああ、そうなんですか。
止める、というよりも。
- 田附
- 縄文土器のかけらが
昭和の新聞紙の上に置かれた光景を
「いま」撮ることで、
時間の層の積み重なりが見えてくる。 - その写真に、今日対面する、
明日対面する、
来年対面する‥‥そのちがいでも、
時間の層の厚みはまた変わってくる。
- ──
- 写真の時間は、流れている‥‥と。
- 田附
- 写真というものは、
たしかにほんの瞬間の表現だけど、
その周囲の空気で、
写真の時間は、あらわされている。 - そこへ、どんな「厚み」をつくるか。
「写真」や「時間」に関しては、
最近は、
そんなことを気にしていたりする。
- ──
- 中井さんは、いかがですか。
- 写真家として、
たとえば時間というものについて。
- 中井
- わたしが「時間」と言ったときに、
思い浮かぶのが、
時計の秒針が刻むような時間です。 - それって、世界中どこにいても、
基本的には
同じ時を刻んでると思うんですが、
わたしたち写真に関わる者は、
そういう「時間」を、
見ようとしてるわけではないです。
- ──
- なるほど。
- 中井
- 津南なら津南、東京なら東京、
その土地土地で流れている時間が、
それぞれにある。 - ましてや、アマゾンの熱帯雨林や、
砂漠のど真ん中に流れてる時間は、
いま、ここに流れている時間とは、
ぜんぜんちがうものだと思います。
- ──
- そうなんでしょうね。
- 中井
- 津南、雪国で流れている時間って
いったいどういうものだろう。
そのことについて、
考えはじめているのがいまですね。
- 田附
- それって、どんなふうに感じる?
- 俺もさ、ちょっと前に、
東京から
埼玉のほうに引っ越したんだけど。
- 中井
- ああ、はい。
- 田附
- いま、チェンソーで木を切ったり、
畑をやったりしているんだけど、
東京にいたときとくらべて、
明らかに、
時間の価値が変わったのがわかる。 - 中井さんもここ津南へ越してきて、
朝の時間、夜の時間、
あるいはもちろん、雪の時間‥‥。
- 中井
- 時間の速度の変化は、感じますね。
一日の中でも変動します。 - 津南では、朝がめちゃくちゃ早い。
田植えの時期とかになると、
朝の5時ぐらいから
軽トラがバンバン行き交ってたり。
- ──
- おお。早い。
- 中井
- 都会で生活していると、
ヘタしたら日が高くなる時間まで、
寝ていたりするわけです。 - 最初、ここに入ったときは、
時差ボケみたいな感覚さえあって。
- ──
- 同じ日本なのに。
- 中井
- みなさん、本当に、
一日中せわしなく作業されてます。 - この地では、
冬の止まってしまったような時間に対して、
春から秋の時間は刻みがとても速いんです。
それは自然も人も、です。
- ──
- へえ‥‥。
- 中井
- ときどきわたしも、
写真ばっかり撮ってるんじゃなく、
農作業のお手伝いを
させていただいたりするんですが、
外から来たわたしの身体は、
みなさんの「動き」に、
というか、「時間」に、
ぜんぜんついてゆけず、置いてきぼりです。
- ──
- そうなんですか。
- 中井
- 歳も倍以上の人たちばかりですが、
知恵や経験、身のこなしが、
もう、身体に備わってるんですね。 - そういうものも、
重ねた時間がもたらしてますよね。
- ──
- ええ、ええ。
- 中井
- 土壌というものと関わり合う時間が、
そこに住む人との‥‥
つながりや信頼性と言うのかな、
そういうものをつくっていくんだと。 - そのようすを、最後まで見届けたい。
だから、究極的に言えば、
写真にならなくてもよかったんです。
そうやって、津南の人たちが
自然と関わり合っている「時間」は。
- 田附
- 一定じゃないよね、時間の流れって。
- 都会にいるよりも
時の経つのが早く感じることもあり、
夜なんて
田舎のほうが、ずっと長いじゃない。
- 中井
- はい。
- 田附
- 東京では、生活音って、
下手したら2時くらいまで聞こえる。 - 田舎では、はやくに静かになるから、
だから夜の時間が
長く感じられるんだと思う。
そのぶん、
時の経過がゆっくりに感じられるし。
- ──
- なるほど。
- 田附
- それは都会と地方の間だけじゃなく、
現代と縄文の間にも、
そういう時間の流れ方のちがいって
あるような気がするけど、
佐藤さんさ、そこらへんはどうなの。
- 佐藤
- 24時間とか1秒という単位って、
人間がつくった
時の刻みでしかないわけだけど、
縄文人にとっては、
時間は、自然とともにあったもの。 - つまり太陽が昇って沈むまでの間に
自然が、刻んでいくもの。
それが、我々のいう
「時間」だったんだと思いますね。
- ──
- 秒針とか標準時とか、
ある種の概念が指すものではなく。 - 田附さんは、
地方の蔵の内部を撮っていますが、
先日、
聞いた話がとてもおもしろくって。
- 田附
- 何だっけ。
- ──
- これも時間と関係するのかなって
思ったんですが、
つまり、何十年とかの単位で
蔵の奥底にしまわれていたものを
外に出しちゃう‥‥
たとえば
博物館のガラスケースの中とかに
収蔵してしまうと、
何かが変わってしまう気がすると。 - 蔵の中にしまわれていたときには
そのものがまとっていた力が、
外に出した瞬間、
失われてしまう気がする‥‥って
おっしゃっていて。
- 田附
- いや、まさにそう感じたんだよね。
何なんだろうね。 - さらされたらダメなもの‥‥って、
あるような気がする。
何ていうか、蔵の持ち主とか、
手に触れるべき人しか
触れられないエリアっていうのが、
やっぱりあると思うんだよ。
- ──
- 不可侵の領域、みたいな。
- 田附
- うちの犬、もう死んじゃったんだけど、
3年くらいに前に。 - マットを洗おうとすると、怒るわけ。
やめろよーって、引っ張るんだよね。
それと同じような感じ。
- ──
- ああ‥‥。
- 田附
- 蔵の中にしまわれてるものだから大切、
というより、
あるべきところにあることが重要、
というようなものって、あるんだよね。 - それと、今日、中井さんの写真を見て、
こうやって話したら、
縄文土器の時間の積み重なりと、
蔵の中の時間の積み重なりと、
雪の時間の積み重なりって、
何か近いものがあるような気はしたね。
- 中井
- わたしが雪を撮り続けて思ったことは、
積もっていくものであると同時に
融けていくものでもあるってことです。 - 平坦には積もらないし、
それが融けていくときには粘度が出て、
雪の層が曲がったり、
垂れ下がったり、ぶらさがったり‥‥。
- 田附
- うん。
- 中井
- そのかたちが千差万別で、
ひとつひとつが、本当に独特なんです。 - たぶん、積もりかたにも
ここ津南と、もっと北ではちがうとか、
地方ごとの個性もありますよね。
- 田附
- 蔵の中の時間と同じだね。
- 粘度があるし、ひとつひとつちがうし、
それが大事なんだよね。
- ──
- たしか、佐藤さんが撮った写真に、
積もった雪の層が、
ぐにゃっと曲がってるものが‥‥。
- 佐藤
- はい、これですね。
- 雪の層というのは地層といっしょで、
時間的には、上が新しくて下が古い。
その観点で見ると、
「時間が曲がっている」と言える。
- 田附
- おもしろい写真だね。
- 考古学的に「時間が曲がる」って表現は
成立するんですか。
- 佐藤
- 曲がる‥‥は、ないかなあ。
- ただ、田附さんの蔵の話とつなげればね、
時間が「よどむ」はあるかもしれない。
- ──
- よどむ。
- 佐藤
- 蔵にものを収蔵する時間と、
その蔵の中を整理しながら廃棄していく。 - 蔵の時間というのは、
そういう行為の積み重ねでできてるけど、
蔵の中のものを制作年代順に並べると、
収蔵廃棄の停滞している時期と、
ピークの時期とが出てくるわけですよね。
- ──
- つまり、蔵の中に流れる時間が、
停滞したり、活性化したりしている‥‥。 - よどむ時間もあれば
新陳代謝の上がったような時間もあると。
- 佐藤
- あるいはね、
岩手まで北上していくと、
乾燥したパウダースノーであるために、
雪玉すらつくれない。 - 宮沢賢治は、そういう雪のことを
「大理石のような青く澄んだ雪だ」と、
書いたわけですけど。
- 田附
- うん。
- 佐藤
- 北緯37度0分0秒の走る津南は、
湿潤で重い雪。 - そういう性質の雪の表層の時間が、
神さまの力を借りて
クルクルクルクル転がっていくと、
こういう雪の玉になります。
- ──
- 時間が丸まっちゃう!
- 田附
- おもしろいね。
- 雪国の考古学者が「時間」を撮ると、
こんな表現をするんだね。
(つづきます)
2022-02-24-THU
-
中井菜央『雪の刻(とき)』開催中!
渋谷駅から東急田園都市線でちょっと、
あざみ野駅の近くの
「横浜市民ギャラリーあざみ野」で
中井さんの展覧会が開催されています。
2015年から撮り続けてきた
「雪」の写真を中心に、
初公開の作品をたっぷり見られます。
展覧会の名は「雪の刻(とき)」。
訪問したとき、ちょうど人が少なくて
雪の白や夜の闇や山の緑の静寂の中に、
吸い込まれるような感覚を覚えました。
青い空が映った水たまりは、
どこか大地の目玉のようで、
しばらく、目を逸らせなくなりました。
雪の写真だけでなく、
中井さんいわく、
雪をも内包した春を感じさせる作品と、
向き合ってみてください。
会期は、2月27日(日)まで。
入場無料です。
詳しいことは公式サイトでご確認を。
また、同名の最新写真集も発売中。
版元赤々舎さんのHPでチェックを。
展覧会場でも販売がはじまったそうで、
これから行く人は、
ぜひ、お手にとって見てみてください。