俳優の中井貴一さんは、
デビュー当初からヒット作に出演し、
シリアスからコミカルまで幅広い演技力で
私たちを魅了しつづけてきました。
中井さんはこれまでずっと、
メインロードにいたように見えます。
しかし、どうやらそうじゃないらしい。
じゃないほう」の中井貴一さんと、
糸井重里がお会いして話しました。
さまざまなことがあった俳優人生、
中井さんの演じる芝居はいったい、
どんな場所にあるのでしょうか。

この対談は、
「ほぼ日の學校」でもごらんいただけます。
ときどき演技をまじえて話す
中井貴一さんのいきいきした表情を
ぜひ動画でおたのしみください。
(「ほぼ日の學校」は新規申込の場合、
1ヶ月間無料でごらんいただくことができます)

>中井貴一さんのプロフィール

中井貴一(なかい きいち)

俳優。1961年東京生まれ。
1981年、大学在学中に映画「連合艦隊」でデビュー。
1983年開始の大ヒットテレビドラマ
ふぞろいの林檎たち」の主演をつとめる。
その後、映画「ビルマの竪琴」「壬生義士伝」
大河ドラマ「武田信玄」など話題作に数多く出演し、
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめとする
多くの賞に輝く。
NHK「サラメシ」やミキプルーンのCMでみられる
親しみやすいナレーションや演技も魅力のひとつ。

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第6回 君たちに任せます。

中井
ぼくが通っていた学校に、
物理だったか数学だったか、ある先生がいましてね。
中間試験か何かで、テスト用紙を配ったあとに、
えー、私はいまから職員室に戻ります」
と言いました。
みんなが「え?」となってたら
前、同じことをやりましてね、
試験監督がいないほうが
圧倒的にカンニングが少なかったんです。
君たち、個人個人に任せますから。
カンニングというものは
答案用紙を見れば必ずわかります。
では、私は帰ります」
そうしずかに言って、
職員室に戻っていきました。
で、結局ぼくらは、
しばらくだまったのち、
まわりをキョロキョロ見まわして
‥‥これ、どうやるんだっけ?」
糸井
隣に聞いた(笑)。
中井
みんな、答え、
聞いてんじゃないか!
‥‥とは思いましたけれども、
先生の思いは、
そのときにすごく、
共有したことは共有したんです。
糸井
いったん、ね。
中井
はい、いったん、です。
みんな「‥‥すげえな」と、
一瞬の間がありました。
たぶん10分ぐらい、ありました。

糸井
いい話だなぁ。
中井
先生、すげえな‥‥‥(沈黙)」
糸井
くくくく‥‥。
中井
‥‥‥4問目わかる?」
みたいな。
一同
笑)
中井
これが人間のね、
おぞましさでもあるんだけど。
糸井
そういうもんだろ、と。
中井
はい。
最初に先生の言葉を聞いて
ぼくらを信じてくれてるんだ」と
思ったときの感動と、
そして、実際と。
糸井
はい(笑)。
中井
その温度差のようなものが、
あの瞬間にあった気がして、
ぼくは後ろのほうの席で、
ひとりで笑っていました。
糸井
最高ですね。
中井
あの先生は、テストとは別に、
これが人間の社会なんだぞ」ということを、
自分がいなくなることで
教えてくれたんじゃないかとすら思いました。
糸井
そうですね、おそらく、
最適解って無数にある」
ということですよね。
中井
ええ、そうなんです。
糸井
そのことを中井さんは覚えていて、
今日ここで話したということによって、
その先生の意志は伝わりました。
中井
そうです、
価値はあったんですよ。
糸井
こうして母数を増やしてますから。
中井
けれどもこれは今日、
はじめて話しましたからね。
糸井
あ、そうですか(笑)!
中井
高校2年のあのときから今日まで、
ずっと記憶にあったはずなのに。
人間ってこんなんだったな」と、
急に糸井さんを前に思い出したんです。

糸井
ああ、いいなぁ。
中井
ぼくたちは人間を演じるので、
人間らしさとか、
そういうこともよく考えたりします。
チャップリンの言葉にこんなものがあります。
人間は「アップ」で見ると悲劇だけど、
引き」で見ると喜劇なんだ、
これがコメディなんだ、と。
人間ひとりひとりは、それぞれ
背負うものを持っています。
おそらく誰しも、
悲劇的なものを持っていることでしょう。
その人間が「引き」になって急に動き出して、
必死に生きようとすることが、
こんどは喜劇になっていくのです。
さすがチャップリンです、
ぼくはその言葉を大切にしながら、
俳優をやっています。
喜劇になるためには、
ひとりひとりが平和であっては
おそらくダメなんです。
人間というものは、きっと、
みんなが必死に抱えるものがないと、
たのしい社会が作れない。
ぼくは実生活においても、
その言葉にたくさん勉強させてもらった気がします。
糸井
ぼくにとっては、
カート・ヴォネガットです。
ぼくは昔からその言葉が好きで、
ずっと頭の中にあります。
村上春樹さんも好きな言葉だとおっしゃってるんで、
たくさんの人が、あんがい知ってるんですけどね。
愛は負けても、親切は勝つ」
愛は信じられないけど、親切は信じられる、
ぼくはかなり本気で、そう思っています。

中井
いい言葉だなぁ。
糸井
愛がゆえにとんでもないことが起こるし、
心が増えて憎むという字になるし、
それはなくせないものなんですよね。
でも、親切というものは瞬間的な喜劇に近いもので、
やりたくなかったんだけど」
と言ってから親切をすることもあるし、
おばあさんの手を引くのを、
別のあの人が見てたからさ」
なんて言うこともできる。
出来心やら、都合やら、
さっきのカンニングといっしょですね、
いろんなことが一緒になって、
親切」という言葉に
代表されているんだと思います。
中井
一緒になっている状態、
とてもよくわかります。
ぼくは
中井さんって、うまい俳優ですよねぇ」
と言われることがときどきあるんです。
たとえば、後輩なんかに言われます。
そんな彼に、
‥‥おまえさ、
うまい俳優って言われるの、良しとする?」
と訊ねると、
それはやっぱうれしいっす。
うまい俳優って言われたいっす」
と答えます。
けれどもぼくは「うまい」って言葉に、
価値がないと思ってる。
いや、価値がなくはないです、
芝居がうまい、というのは
テクニックのことですからね。
それに対してぼくは、
あまりうれしくないんだよね、と伝えます。
それよりも
中井さんって、いい俳優ですよねぇ」
と言われたい。
いい」と「うまい」って、
同じ形容詞だけど、
含んでいるものがずいぶん違います。
うまい」は芝居を指しています。
いい」はその人自身を指すのかもしれない、
いや、ただ、動きがいいのかもしれない。
役づくりがいいのかもしれない、
でも、全部の形容が
いい」に向いている状態なんです。
そんな漠然とした「いい」という形容詞で
評価されることは、ちっとも恥ではありません。
うまい」よりも「いい」、
そっちの俳優になるかどうかは、
イメージ、創造力、それこそロマン、
そういう「一緒くた」になったものを
持てる人間なんだと思っています。
愛と親切に含まれるものの違いも、
同じように感じます。

明日につづきます)

写真 小川拓洋

2023-04-10-MON

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  • リーディングドラマ
    終わった人』

    内館牧子さん原作の小説『終わった人』の朗読劇に
    中井貴一さんが出演します。
    キムラ緑子さんと中井さん、おふたりによる朗読です。
    定年を迎える頃って、ほんとうに終焉期なのか?
    泣いたり笑ったりの大人気小説が、
    おふたりによってどのような窯変を見せるのでしょう。
    東京・草月ホールでの公演は
    2023年8月31日(木)~9月3日(日)の予定。
    くわしい情報はこちらからごらんください。


    今回の中井貴一さんと糸井重里の対談は
    ほぼ日の學校」で動画で配信しています。
    ときどき演技をまじえて話す中井貴一さんの
    いきいきした表情をどうぞおたのしみください。

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