渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で、
不定期に行う対談の最初のゲストに、
糸井重里がお呼びしたのは、小泉今日子さんでした。
この対談の会の通しテーマは
「わたしの、中の人。」です。
わたしたちがテレビの画面や舞台でふれる
トップスターの小泉今日子さんの中に、
もうひとりの本当の小泉さんがいます。
知らなかったその人が、赤い椅子に腰かけて、
お話ししてくれました。
小泉さんのまわりにいつもいた、
光る星のような、遠くなく近くない、
あたたかくクールな人びとがたくさん登場します。
写真 小川拓洋
第2回
見たことのない女の子。
- 糸井
- デビューして1年、
17歳で「もう逃げられない」と思ったあと、
人が見ている像に合わせて
生きる人生になったんですか?
- 小泉
- そういうことです。
それこそ「中の人」のわたしが
プロデュースしはじめました。
- 糸井
- その年で!
- 小泉
- そう。
「どうせもう逃げられないんだったら、
見たことない女の子像を
つくり出してやろうじゃねぇか」
みたいな気になって(笑)、
「自分がスカッとする女の子をつくろう」
そう思って。
- 糸井
- カッコいいな、それ。
- 小泉
- (笑)そうなんです。
なので、うん、そっからですね。
- 糸井
- そのときは、まだ髪は長かったですか?
- 小泉
- しばらくは長かったです。
- 糸井
- 17歳くらいで逃げ道がないことに気づいて、
しばらく経って‥‥。
- 小泉
- 美容院に行きました。
- 糸井
- ぼく、そのときの小泉さんを
知ってます。
- 小泉
- そうですよね。
- 糸井
- 髪の長い、アイドルの
小泉今日子さんという人の存在は
もちろんすでに知ってました。
ある日、事務所の社長さんに呼ばれて行ったわけ。
「ウチの小泉今日子はこれからおもしろいから、
なんかやりたいんですよね。
いるから、ちょっと呼ぶよ」
なんていって、社長さんは呼んだ。
そこにバチーンと髪切った、小泉今日子が立ってた。
なんだろう、あの「髪を切った」ってことの
強烈な印象は。
- 小泉
- ね、急に(笑)。
- 糸井
- 驚いたよ。
- 小泉
- どうして髪を切ったかというとね、
わたしの中でその前の1年が、
「空白の1年間」だったからなんです。
空白の1年が過ぎて、ある日パッと目覚めた感じ。
そのとき「みんなおんなじ髪型してる!」と
びっくりしたんです。
「わたし、なんでこんな髪型してるんだっけ?!」
「誰かに操られた?」
本当に、まるで1年間記憶がなくなって
体を誰かに乗っ取られたような‥‥。
- 糸井
- うわぁ、そうなんだ。
- 小泉
- 当時、ジョジ後藤さんが
ショートカットで自転車に乗ってる、
清涼飲料水のコマーシャルがありました。
それをすごくかわいいなと思ってて、
「そうだよ、これがしたいんじゃなかったのか?」
と思い、いちおう会社に言おうと思って、社長さんに
「髪の毛を切りたいんですけど、いいですか?」
と言って、
「ああ、いいよ」
- 糸井
- 事務所の人、そのときよく思い切ったね。
- 小泉
- タイミングとか、すごくいい感じだったんです。
あっちで何かしてるときにこっちで言う、みたいな。
- 糸井
- うまいこと言えたんだ(笑)。
- 小泉
- そう(笑)。
会社のお父さん、みたいな存在だったんで、
「お金持ってるの?」
と言われて、
「あ、持ってます」
「いちおう美容院終わったら戻ってきてね」
なんて言われながら事務所を出ました。
そして美容院で
「もうバッサリいってください」と。
- 糸井
- 最高ですね(笑)。
- 小泉
- 美容院の人も
「え、いいの? いいの?」
なんて言うから、
「うん。切っていいって言ったから大丈夫」
- 糸井
- まさかそこまでとは誰も思ってませんよね。
- 小泉
- バチーンと切って、事務所に戻りました。
そのときにね、
人って、驚いたときは本当に腰を抜かすんだ、
と知りました。
- 会場
- (笑)
- 糸井
- いや、いや(泣笑)、
そうだと思う。
- 小泉
- 社長さんが「おかえり~」って
ちょっと立ちあがりかけて、
腰をガクッとさせてよろめいてました。
- 糸井
- すごいことだったんだよね、きっと。
- 小泉
- きっとね。
- 糸井
- じゃあ、あれは社長が
「こういう路線で」と指示したんじゃなくて、
自分でやったんだね。
- 小泉
- そうなんです。
でも、子どもだったから計画性がなくってね。
切っちゃったものの、
次の新曲の衣装なんかは、もう
できあがってるわけです。
めちゃくちゃフリフリのお花が
いっぱいついてる衣装で、
髪とぜんぜん合ってない(笑)。
だけどしょうがないから、
その一曲はそのままがんばって。
- 会場
- (笑)
- 小泉
- 「分かってるんですよ、わたしも。
合ってないっていうのは分かっています」
というムードで歌ってました(笑)。
ちょうどそのとき、
レコード会社のディレクターさんが
変わったタイミングだったんです。
そのわたしの行動を見て、
「合った曲を作ってあげよう」
と思ってくれて、
『まっ赤な女の子』という曲ができました。
- 糸井
- なるほど。
- 小泉
- 子どもがやったことの後始末を
みなさん一生懸命してくれた。
- 糸井
- それは後始末というより、
「先に本人がリードしちゃった」ということだよね。
小泉さんは、まわりよりも先に
走っていったんです。
(明日につづきます)
2020-06-07-SUN