渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で、
不定期に行う対談の最初のゲストに、
糸井重里がお呼びしたのは、小泉今日子さんでした。
この対談の会の通しテーマは
「わたしの、中の人。」です。
わたしたちがテレビの画面や舞台でふれる
トップスターの小泉今日子さんの中に、
もうひとりの本当の小泉さんがいます。
知らなかったその人が、赤い椅子に腰かけて、
お話ししてくれました。
小泉さんのまわりにいつもいた、
光る星のような、遠くなく近くない、
あたたかくクールな人びとがたくさん登場します。
写真 小川拓洋
第3回
やめられなかったらバカみたいだよ。
- 糸井
- デビューしてしばらく、髪を切るあたりまでは特に、
みんなが見ているものは
「わたし」ではなかったんですね。
- 小泉
- そうなんです。
例えば、雑誌に載ったプロフィールに
好きな食べものが書いてあるんだけど、
「いつのまに? 誰がプリンって言ったの?」
みたいなことに。
- 糸井
- なるほど、プリンね(笑)。
- 小泉
- そのあとは「納豆」とか(笑)、
ちょっとずつ「中の人」が「外の人」を
コントロールしていった感じです。
- 糸井
- みんなが見ている「外の人」のことを、
「中の人」である本当の自分は、
いちおう評価するわけですよね?
- 小泉
- はい、します。
- 糸井
- うまくいったな、とか、かわいい、とか。
- 小泉
- そうです、そうです。
- 糸井
- それは絶えず思ってるわけだ。
- 小泉
- 思ってます。
ちょっと遠くから見て、
「どうやったら同じ世代の人たちが
気持ちいいと思ってくれるだろうか」
と考えてました。
つまり、大人ではなくって、
同世代の人たちのことを思ってた。
- 糸井
- まわりにいる、スタッフの大人たちではなく。
- 小泉
- そう。
あともうひとつ、指針になったことがあって。
わたし、神奈川県厚木市の出身なんですけど。
- 糸井
- はい。
- 小泉
- 地元の友達が
「よくやったよ」って言ってくれるような
子になろうと思ってた。
- 糸井
- はい、はいはい。そうだね。
- 小泉
- 地元の友達や家族がね、
「それ、ホントのあんたと違うじゃん」
なんて言うのじゃなく、
「あなたらしくがんばったね」
と言うところ。それも指針になってました。
- 糸井
- 厚木の友達から、
「今日子ちゃんは東京に行って
芸能人になって、離れちゃうんだね」
と言われたときにすごくショックで、
「そんなことないよ!」
と言ったという話を聞いたことがあります。
小泉さんに厚木の友達という、
指針や起点があったのはラッキーでしたね。
- 小泉
- 本当に。
当時、友達の多くは、
「わぁ、すごいね。○○と同じ事務所なんだね」
とか、そんな反応でした。
でもひとりだけ、
「わたし、ホントは受かってほしくなかった」
と言った子がいた。
「え、なんで?」
「だって、遠くに行っちゃうじゃん。
もう、こんなふうに遊べないでしょう?」
と、真顔で言ってくれました。
そうか、絶対にそう思われないように生きなきゃ、
なんて思った。
その子はその後、
東京の美容学校に行くことになるんだけど、
毎週末、わたしの東京の部屋に泊まりにきてました。
美容師さんって、人の顔みたいの持ってるでしょう?
「くさくなるからちょっと洗っていい?」
といってバッグから部屋で生首出したりして(笑)。
その子との関係は、
わりと大きくなるまで続きました。
- 糸井
- それは運命を変えるね。
その子がいなければ
「芸能界に行けてよかったね」だけで
終わるとこだったかもしれない。
- 小泉
- あとは親も、あんまり舞い上がってなかったんです。
わたしの父親は、若いときに
テレビ局の社員だったことがありました。
だから業界のことも
少なからず分かってるところがあった。
「もうこんなふうに進んじゃったから、
やるしかないと思うけど、自分の人生だからね。
自分がすり減るような生き方は
しないほうがいいよ」
- 糸井
- へぇええ。
- 小泉
- 「浮き沈みも激しいから、
お給料もらったら、大事に貯金してね。
やめたくなったときにやめられなかったら
バカみたいだよ」
父はそう言ったんです。
- 糸井
- すごくちゃんとしたことを言うお父さんだ。
- 小泉
- (笑)そう。
わたしはその言葉を聞いて
「そうか、これは就職なんだな」
と思いました。
夢の世界に行くというよりは、
ここから自分で生活をみていく、
自立がはじまるんだ、
という感覚になりました。
- 糸井
- 15の子が、友達や親から影響受けたり
自分で考えたりしてる。
そのやりとりだけでも
ちゃんと見ていたいくらいだね。
自分でも当時を振り返って
「よくやった」と思うでしょう?
- 小泉
- わたしがいま、街で15歳の女の子に会ったら、
まだ赤ちゃんみたいに見えたりします。
そう思うと、あのときはがんばったねぇ、と
思う気持ちはあります。
- 糸井
- そうですよね。
- 小泉
- ちょうどその頃に、
父親の事業が失敗したりだとかで、
いきなり一家が「解散」みたいな感じに
なっていました。
家族の中でわたしだけが
保護者の必要な年齢だったから、
それもちょっと関係あったと思います。
- 糸井
- そこでどうしようもなく自立のことを考えた、と。
- 小泉
- そう。
親の決断や生活に、
わたしだけは影響を与えちゃうなぁって思った。
バイトもできないし、まだ中学生だし。
だから逆に、受かって事務所に入れたときに、
「やった」という気持ちがありました。
- 糸井
- 就職して、やっていける、と。
- 小泉
- 「これでもう迷惑かけないで、
自分のことは自分でできる」
そんな感覚になりました。
(明日につづきます)
2020-06-08-MON