渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で、
不定期に行う対談の最初のゲストに、
糸井重里がお呼びしたのは、小泉今日子さんでした。
この対談の会の通しテーマは
「わたしの、中の人。」です。
わたしたちがテレビの画面や舞台でふれる
トップスターの小泉今日子さんの中に、
もうひとりの本当の小泉さんがいます。
知らなかったその人が、赤い椅子に腰かけて、
お話ししてくれました。
小泉さんのまわりにいつもいた、
光る星のような、遠くなく近くない、
あたたかくクールな人びとがたくさん登場します。
写真 小川拓洋
第4回
小泉さんはぼくの先生だった。
- 糸井
- 小泉さんちが一家離散したときに、
「お父さんのところ」と「お母さんのところ」
「自分ひとりで住んでるところ」
3つの家があって、
それぞれ3か所全部に
自分の場所があったと話してくれましたよね。
- 小泉
- うん、そうでした。
- 糸井
- それってめずらしいケースだと思うんだよ。
- 小泉
- そうですねぇ。
最初は、父親が
債権者の人たちと話が済むまで、
ということで。
- 糸井
- 債権者。
- 小泉
- そう(笑)、債権者という言葉を
そのころ覚えました。
漢字が分かんないから、
すごく怖い漢字をあててたんです、
もう忘れちゃったけど(笑)。
それで、女4人で、まずアパートに
ちょっと身を隠すみたいな感じになりまして。
ま、それは「夜逃げ」っていうんですけどね。
- 糸井
- はい。いわゆる夜逃げ。
お母さんと、お姉ちゃんふたりと。
- 小泉
- 小っちゃいアパートの部屋に4人で
布団ならべて寝てました。
そのうち父がいろいろクリアにして、
「もとの家に戻れるよ」となったときに、他の3人が
「え、あたし戻んないよ」
と言い出したんです。
「え、なんで?」
「ここのほうが学校近いし」
「バイト近いし」
お母さんも
「わたしも働きだしたから、こっちのほうがいいし」
と言い出して。
- 糸井
- 3人は安定しはじめちゃったんだね。
- 小泉
- そうなんですよね。
わたしは「ん?」ってなった。
向こうの家のほうがわたしは学校が近いし、
父親ひとりもかわいそうだし、
「じゃあわたしが」みたいな感じで、
戻ったんですよ。
- 糸井
- いい子だ(笑)。
- 小泉
- でも、ふたり暮らし、すごくたのしくて。
ふたりと猫ね(笑)。
だけど原宿とかに遊びにいって帰りが遅くなると、
駅からは母親の家のほうが近いんです。
1階でスナックやって2階が住居だったんですけど、
「面倒くさいからここに泊めて」つって、
下でおじさんたちと母がカラオケ歌ってるのを
聴きながら寝る、というのもやってました。
- 糸井
- だから、いろんなところに自分の居場所があった。
- 小泉
- そう。
でも、お父さんとの暮らしはほんとうに
たのしかったです。
- 糸井
- 前に、小泉さんから
「お父さんは何考えてるんだか分かんなくて、
いつもゴロゴロしてた」
って聞いてたね。
学校サボって行くとこがないと、
お父さんのところに戻って時間つぶしてた、と。
- 小泉
- そうそう。
父はすごく寛容な人でね。
中学行って、
「もう、おなかすいたし家帰りたい」
といって家に戻ると、父がいました。
失業してたからね。
「あ、なんだ。帰ってきたの。なんか食べる?」
「あ、食べる」
学校抜けだしてきてるのにぜんぜん怒らないで、
ふたりでゴハン食べながら
テレビで『笑ってる場合ですよ!』とか観てた。
食べ終わってちょっとしたら、
「じゃ、戻るわ」といってまた学校へ(笑)。
- 糸井
- いいなぁ。
- 小泉
- 学校サボって友達と
ファミレスに行ったこともありまして。
そこに父親がいて、仕事関係の人と話してたんです。
「あ、あれは父親だなぁ‥‥目、合ったな」
と思ったけど、そのとき父は無視したんですよ。
「あ、いいんだ。許されてんのかな」
と思って家に帰って、
「いたよね?」
と言ってみると、父が
「いたよ。お金持ってたの?」
- 糸井
- なるほど。
- 小泉
- そんな人でしたね。
お姉さんたちも、
街ですれちがっても声はかけない。
こっちも友達といて向こうも友達といるから。
目、一回合うんだけど、
絶対声かけない、お互いに(笑)。
- 糸井
- 「ひとりでいる」ということを、
家族みんながそれぞれ大事にしてる感じ?
- 小泉
- そうですね。
「みんなで一致団結する」
みたいなこともないんだけど、
嫌ってもいない。
心地いい人たちだな、という感覚は、
それぞれ持ってる。
- 糸井
- よく炊けたゴハンみたいな(笑)。
- 小泉
- ゴハン?
- 糸井
- 米粒がひとつひとつ離れてるんだけど、
くっついてる、みたいなさ。
- 小泉
- (笑)
- 糸井
- ぼくがその、
お父さんと小泉さんが
なかよくサボった話を聞いたときって、
いつくらいだったかなぁ。
- 小泉
- わたしが20代後半ぐらいかな。
- 糸井
- 小泉さんはね、ぼくの先生だったのよ。
- 小泉
- (笑)
- 糸井
- 自分の娘を育てるときに、
心配な時期というのが、ぼくはぼくであったから、
「その話、教えて」と聞かせてもらったことを
憶えています。
自分が父親としてどうするのがいいのか、
まぁ、満足にふつうの家庭を保ってる人だったら
ちがうでしょうけど、そうはいかないわけで。
「娘のほうはどう見てるんだろう」
ということを、何かの仕事で一緒になったとき、
訊いたんです。
そしたら小泉さんは
「たのしかったよ」って、教えてくれた。
- 小泉
- そう。
お父さんとの時間、ほかの家族、
「すごいたのしかったよ」って。
- 糸井
- その「たのしかったよ」が、
ほかの人たちの価値観と
違うところにあることも分かった。
小泉さんちは、家族それぞれがいきいきと生きて、
平気で「たのしかったよ」と言えてた。
いまから振り返ってみても、
とてもすてきですね。
- 小泉
- うん、そうですね。
(明日につづきます)
2020-06-09-TUE