スピードスケートの金メダリスト、
小平奈緒さんと焚き火のまわりで話しました。
日本を代表するアスリート‥‥なのですが、
小平さんはとても不思議です。
勝ち負けや、記録や、順位といったことを、
すっと突き抜けて、もっと違う場所を見ている。
いえ、それ以前の、根っこのところを見つめている。
引退後も長野県の相澤病院で職員として働き、
地域と人をつなぐアンバサダーとしても活躍している
小平奈緒さんと焚き火のまえで話しました。
え? 焚き火? その説明からはじめましょう。
小平奈緒(こだいら・なお)
1986年生まれ。長野県茅野市出身。
3歳からスケートを始め、
信州大学在籍時代より結城匡啓コーチに師事する。
信州大学卒業後の2009年より相澤病院に所属。
2010年バンクーバーオリンピック
女子チームパシュートで銀メダルを獲得。
2018年の平昌オリンピック女子500mにおいて、
オリンピック日本女子スピードスケート史上
初となる金メダルを獲得。1000mでも銀メダルを獲得。
国内外の大会で37連勝を記録するなど第一線で活躍し、
2022年の全日本距離別選手権大会
500m優勝をもって現役引退。
現在は相澤病院のブランドアンバサダーとして、
ひとや心をつなぐ活動にあたっている。
- ──
- ちょっと風が強くなってきましたね。
- 小平
- 激しくなってきた(笑)。
- ──
- なんか煙がこっちに。前が‥‥。
- 小平
- すごい、幻かもしれない(笑)。
- ──
- いや、大丈夫です。
それでは、よろしくお願いします。
小平さん、ふだんならもう、
寝ている時間だそうですが(笑)。
- 小平
- そうですね(笑)。
- ──
- 夜ふかしとか徹夜とか、
まったく無縁という感じですか。
- 小平
- いえ、大学のレポート書くときとか、
テスト前とかはけっこう一夜漬け派でした。
- ──
- あ、そうなんですか。
たとえば、何時頃まで起きてたり?
- 小平
- えーーと‥‥憶えてないなぁ(笑)。
でも、社会人になって、
スケート一本になってからは、もうほんとに、
日々、何時に寝て何時に起きるって
決めて生活してました。
大学のときは、どうだったかな。
ちょっとよく憶えてないんですけど。
- ──
- 小平さんのこれまでの発言を読むと、
隅々までくっきりと憶えているところと、
「そこは憶えてないんですよね」っていうところの
ギャップがけっこう激しいように感じるんですが。
- 小平
- そうかもしれないですね。
たとえば、家族との時間なんかは、わりと、
鮮明に憶えていることのほうが多いかもしれない。
スケートは、記録とかも、
わりとすぐ忘れちゃう感じですね。
- ──
- ふつう、逆じゃないですか?
アスリートの方って、
試合のこととか記録のことは覚えてるけど、
日常的なことはあんまり残ってないとか。
- 小平
- ああ、そうなんですかね。
ふとしたときに何をしゃべったかとかは
すごく記憶に残ってたりするんです。
- ──
- 一番、おぼろげなのは、どの時代ですか。
- 小平
- おぼろげ?
- ──
- はい。物心ついて以降で、
一番はっきりしないなっていうのは。
- 小平
- ええっと‥‥すっぽり抜けてるのは、
高校時代かもしれないですね。
- ──
- 高校時代というと、実家から離れて下宿生活、
そして、ひとり暮らしをはじめた時期ですよね。
学校と練習で肉体的にもくたくただったと。
その時期の記憶は、なんで抜けてるんでしょう?
- 小平
- けっこう、苦しい時間だったからかな。
- ──
- 苦しいときは記憶に残らない?
- 小平
- 憶えている苦しい時間もあるんですけど、
なんていうんですかね、無関心というか、
「感情を消してがんばってるとき」は
あまり覚えてないかもしれないです。
- ──
- ああ、なるほど、感情を消しているとき。
しかし、小平さんは、アスリートのなかでも、
そもそもあまり感情を出さないタイプですよね。
試合中はもちろん、たとえば優勝して、
表彰台に上がってもあまり感情をあらわにしない。
- 小平
- どうよろこんでいいのかがわからないんです。
昔からそうなんですけど、
優勝したら困っちゃうっていう(笑)。
いろんな人の気持ちを考えたり、
自分自身に対する正直な気持ちを考えたり、
いろいろと思いがめぐってしまって、
なんか、よろこんでいいのかな、とか。
- ──
- それは、金メダルをとったときでもですか。
- 小平
- そうですね。
もちろんうれしいですし、よろこびますけど、
その、はしゃいだりできない。
- ──
- たしかに、実際、そうでした。
ええと、こんなに早くその話になるとは
思いませんでしたが、もう、聞いてしまいます。
2018年の平昌オリンピックの金メダル。
サンファ(李相花)さんの肩を抱いた場面が
あまりにも印象的でしたが、
小平さんの表情は、歓喜ではなかったですね。
終始、静かで。
- 小平
- あのときは‥‥ぐっと自分の中に閉じ込める、
という感じだったかもしれません。
見せびらかす‥‥勝ったことを‥‥
なんていうんですかね、そういう‥‥
すみません、ちょっと、いま
ことばが、出なくなっちゃって。
- ──
- ぜんぜん、待ちます。
- 小平
- ‥‥誰かに、勝ったことを知らしめるような
よろこび方は、あんまりしたくなくて。
それはたぶん、負け続けてきたことの方が多くて、
負け続けてきたときのことを憶えているから。
そして、やっぱり、一緒に戦ってきた人の
気持ちを想像することができるから。
だから、なんていうんだろう、
隣にいたいっていう思いが。
- ──
- 銀メダルのサンファさんとのウィニングランは、
まさにそういうものだったと思います。
- 小平
- ずっとサンファを目標にしていたので。
目標にしてきたからこそ、
戦えるレベルまで積み上げることができた。
あのウィニングランは、自分のなかでの、
サンファに対するリスペクトの
表現だったのかなっていうふうに思います。
- ──
- あの場面は、たしかにそういう感じでした。
しかし、こんな言い方はへんかもしれませんが、
だとすると、小平さん自身のよろこびというか、
勝ったということ、報われたというようなことが、
後回しになりすぎませんか。
- 小平
- (笑)
- ──
- それとも、小平さんのなかでは、
勝利とは違う瞬間に、
ぐっとよろこびを噛みしめるような
場面があるのでしょうか。
目標のタイムが出たときとか。
- 小平
- うーん、平昌のときは、タイムよりも、
観客席で見ている両親の顔が
幸せそうだったときが、一番、ぐっときました。
- ──
- はーー、そうですか。
あの、さきほどから、
おっしゃっていることがぜんぶ、
他人というか自分以外のことですね。
- 小平
- ほんとそうですね(笑)。
周りの人に助けてもらいながら
ここまで成長できたっていうのがあるので。
気にしすぎなんですよね、人のことを、たぶん。
それは、アスリートとしては、
あんまりよくないことだと思います(笑)。
- ──
- (笑)
(つづきます)
2024-08-06-TUE
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ロケ地協力:TINY GARDEN 蓼科