胸のすくような気持ちのいい解説で、
俳句のたのしみ方を広く伝えている
俳人の夏井いつきさん。
テレビ番組で、その俳句愛に満ちた指導を
目にしたことがある方も多いと思います。
夏井先生の「教える」こともたのしむ姿に
惹かれているという糸井が、
たっぷりと話を伺いました。
俳句の道へ一歩踏み出したくなる、全7回です。

>夏井いつきさんプロフィール

夏井いつき(なつい・いつき)

俳人。1957年生まれ、愛媛県松山市在住。8年間の中学校教師を経て、俳人へ転身。

1994年、俳句会での新人登竜門「俳壇賞」を受賞。

創作活動のほか、俳句の授業「句会ライブ」の開催ほか、バラエティ番組『プレバト!!』など多くのテレビ番組、講演会などで活躍。

全国高校俳句選手権大会「俳句甲子園」の創設にもたずさわり、俳句を広める活動を積極的に行っている。

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第6回 季語は文化遺産。

夏井
俳句は自分の力というより、
季語によって、触ってないのに
相手を投げられるところがあるんです。
糸井
それは、一番聞きたいと思っていました。
十七音しかないのに、
全体のうちの十七分の五を、
季語という名の他人のものを
借りてきちゃうじゃないですか。
夏井
ええ。
糸井
僕は電卓を持ち出して計算したんですよ。
そうしたら、俳句が占める
約30パーセントが借り物じゃないかと。
夏井
あははは(笑)。
糸井
自己表現のつもりでも、
作品の30パーセントは
借りてきてなんとかするっていうのが、
僕は「かっこいいなあ」と思うんです。
夏井
そこで、かっこいいと思ってくださるのね。

糸井
思いました。
最近よく「ずるい」って言葉が使われますけど、
それは「かっこいいなあ」と
ほぼ同じ意味だと思うんです。
急に話が飛びますけど、
手描きのアニメーションって多くが
3枚のセル画で出来ているんですね。
窓の近くに佇んでいる主人公だとしたら、
主人公が描かれたものと、窓の絵と、
窓の向こうに見える山の景色が描かれる。
近景、中景、遠景を描くことで
立体的なアニメーションができるわけです。
その中景や遠景をものすごく丁寧に描いたのが、
スタジオジブリだと言われていて。
夏井
ほおー、知らなかった。
糸井
ですから、トトロなんかでも、
主人公たちは漫画っぽい絵のタッチだけれど、
背景は非常に繊細な絵になっています。
主人公たちが描けていれば、
ドラマの中心は完成しているけれど、
存在感のある背景も大事だということは
ジブリが証明していますよね。
夏井
はい。
糸井
そこから思ったのは、季語というのは、
アニメの中景や遠景のようなものだと思いました。
すでに存在しているものを作品に借りてくる、
‥‥借り物芸術というか。
このニュアンス、わかりますか?
夏井
わかります、さすがですね。
あの、先ほど類想という話をしたじゃないですか。
糸井
誰もが思いつきそうなこと、ですよね。
夏井
季語も実は類想、共通認識の土台になります。
5月になった新緑の山について、共通のイメージが
みなさんある程度ありますよね。
季語は、借り物というより、
共有している意識なんですね。
糸井
もう生まれたときから
インストールされているような言葉。
夏井
はい。知識ではなくて、
体でその言葉を知っている、
という感覚で季語は理解していることが多い。
たとえば「風薫る」という季語がありますが、
5月頭からはじまる立夏あたりの
新緑の風景やそこに吹く風を知っている人たちはみんな、
「風薫る」という言葉を聞いただけで
身体中で追体験できるんです。
だから、季語という共感の土台を借りるというより、
みんなで共有するんです。
糸井
その土台は、誰が使ってもいいよ
って言われてるわけですよね。

夏井
まさにそうですね。
しかも、季語というのは、
私たちの生活のすべてのジャンルを網羅している。
時候、天文、地理、人事生活、動物、植物
という私たちが生活する中での、
ありとあらゆるものがあります。
糸井
すべてに関わってくるんですね。
夏井
なので、季語を丁寧に知っていくことは、
私たちの文化の土台を一つひとつ、
小石を積むように自分の体の中に入れていくような、
そういう作業だと思ってます。
糸井
あと、季語は必ず入れなきゃいけないから、
その言葉を入れるならよろこんで諦めるというか、
受け入れるってことのシンボルですよね。
夏井
その言い方はいいですね。
自我にしがみついてしまうと、
どんどん俳句から離れていくと思います。
糸井
やっぱり。
夏井
俳句をやり出した人たちが、
同じようにおっしゃいますね。
人の話を聞くようになった、
人に対して謙虚になった、
会話ができるようになってきたと。
それはまさに受け入れることを、
俳句を通して重ねているからだと思います。
糸井
受け入れるという言葉を、
僕たちは当たり前のように使ってますけど、
自我の強い人たちからしたら
その生き方は反発されると思います。
お前にお前の意思がないのか、と。
でも、たとえば台風が来て屋根が飛ばされたから、
屋根を直したというのが日本人の価値観なら、
西洋的にいえば「それでいいのか?」という
人もいるはずなんです。
『三匹のこぶた』にもありましたけど、
そもそも石で作れば飛ばないわけですよね。
夏井
はい。
糸井
でも、日本人の場合は自然に対する
「仕方がないから受け入れる」
という態度があって、
それが俳句の中に季語として
残っているんだと感じました。
夏井
はあーー。
私は『三匹のこぶた』からそこに行くかと思って
ささやかな感動を覚えておりますけど、
たしかにおっしゃるとおりですね。
台風が来て屋根が飛ばされる。
しょうがない、これはどうしたものかと考えながら、
俳句をやる人は「これでめっちゃ俳句作れるわ」と
思うと思います。
糸井
そうですか。
夏井
受け入れるという心のメカニズムを、
俳句を作る人たちは手に入れていくんです。
しんどいことが起こりました。
そのしんどいことも、一つの俳句の種になるなって。
粉々になった木の屋根を集めていて、
手にトゲでも刺さったら「ここで一句」です。

糸井
状況を受け入れて、一句詠むんですね。
夏井
そういう状況さえも愛でてしまう、
というのがあるかもしれないですね。
糸井
あると思います。
夏井
その証拠に、季語って、
美しいものだけじゃないんです。
あるがままを受け入れて、
起こったことを愛でるのかもしれない。
糸井
ぼくらはビートルズの世代なんですけど、
ビートルズの最後のアルバムは『Let It Be』なんです。
つまり、あるがまま、ですよね。
夏井
ビートルズも俳人の心を持っていたんですね。
糸井
あったと思いますよ。
思うのは、ほとんどの場合は、
対立したときにやっつける方法を考えますよね。
風がきたら、風に負けないように
どうするのかを考えてやってみるのが
生き方だと思ってたけど、
一度風になびいちゃって、また立ち上がる、
みたいなこともありですよね。
夏井
ああー、そうですね。
いいこと言いますね、丼宙さん。
糸井
今の主流は、もっと実践的に考えることだろうけど。
夏井
あの、放哉で「墓のうらに廻る」って、
言葉があるんですね。
正直「何をしたいんだ、おまえは」
と思うじゃないですか。
糸井
いいですねえ、
まったく実践的ではないですね。
夏井
でも「墓のうらに廻る」って言われた瞬間に、
その墓の裏っ側にまわって
しげしげと墓石を見るのか、
後ろに書いてあるものを見るのか、
あるいは、墓石の裏に何か気配を感じたのかとか、
バカバカしい内容なのに
しばらく佇んで考えてしまうでしょう。
糸井
最高ですね。
いまぼくは、墓の裏に、
速めにまわると自分が見えると思ったんですよ。

夏井
はっ‥‥速めにまわる?
糸井
ゆっくりまわると自分のままですけど、
さっとまわると、
いま墓に向かってる自分が見えるじゃないですか。
会場
(ざわざわ)
夏井
この人はやっぱり表現者ですね。
よくわからないけど、わかるような気もする(笑)。

(つづきます。)

2024-07-01-MON

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