特集「色物さん。」、いよいよはじまります。
トップバッターは、
すんごいスピードで「ととのう」謎かけ、
漫談家のねづっちさんです。
売れなかった時代、謎かけという芸のこと、
ほほえましすぎる奥さまとのエピソード、
いまや「ほぼ毎日、出ている」寄席のこと。
そして、ご自身の考える「色物」とは。
たっぷり語ってくださいました。
担当は「ほぼ日」の奥野です。さあ、どうぞ。
ねづっち
1975年2月18日、東京都日野市生まれ。漫談家。1997 年に芸人デビュー。2010 年、「ととのいました!」の掛け声に続いて披露する「謎かけ」で注目を集める。 「ととのいました!」は、2010年の「新語・流行語大賞」のTOP10入りを果たす。 テレビ、ラジオ、寄席、ライブ、YouTube、TikTok、など幅広いジャンルで精力的に活動中。活動の予定などは公式サイトでチェックを。
- ──
- 漫談とか謎かけには、
子供のころから興味があったんですか。
- ねづっち
- 好きは好きでしたね。
- おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に
暮らしていたんで、
『笑点』なんかの演芸番組も見てたし、
ウクレレの牧伸二師匠とか、
「な~んでか」の堺すすむ先生とかも、
大好きでした。
- ──
- ああ、謎かけに近い感じもありますね。
- ねづっち
- ああいう「言葉遊び」みたいなものが、
昔から、好きだったんです。
- ──
- それが、いまのお仕事につながってる。
- ねづっち
- だから、すごく楽しいでんすよ(笑)。
謎かけとかも、やってて。
- ──
- いいですねえ(笑)。
- でも、どの時点で、
お笑い界を目指そうと思ったんですか。
- ねづっち
- 中学のとき、『LIVE笑ME!』っていう
ネタ番組を見てたら、
デビュー直後の
爆笑問題さんが出てたんですよ。 - それまで、お笑いって、
「おじさん」じゃなきゃダメなのかな、
と思い込んでたんですけど。
- ──
- どうしてですか(笑)。
牧伸二さん、堺すすむさんの流れで?
- ねづっち
- わかんない、何でだろう(笑)。
演芸番組で、
やすきよ師匠とか見てたからかも‥‥。 - まあ「おじさん」って言っても、
子どもの目から見て‥‥なんですけど。
- ──
- ええ。
- ねづっち
- でも、その番組で、
ハタチそこそこの爆笑問題さんを見て、
え、こんな若いお兄さんでも
お笑いやっていいんだ、と。
で、自分もやりたいと思ったんです。 - ただ、そのときは憧れているだけで、
具体的に動き出したのは大学3年です。
- ──
- 動き出した‥‥というのは?
- ねづっち
- 幼なじみに「やる?」って聞いたら、
「やる」って言うから。
- ──
- いきなり友だちとコンビではじめた。
大学の落研とかに入るとかじゃなく。
- ねづっち
- ただ、言っても学生なんで、
そんな適当なノリでコンビを組んで、
いろんな事務所に電話して、
「ネタ見せ、やってませんか」って。 - で、合格すれば
お笑いライブに出してもらえるので、
まあ、そんな感じではじまりました。
- ──
- お笑いで食べていこうと、
もう、当時から決めていたんですか。
- ねづっち
- それは、そうですね。はい。
- ──
- 幼なじみとコンビを組んだ大学生が、
すぐに売れたわけでもないですよね。
- ねづっち
- ぜんぜん売れませんよ。
- はじめはサンミュージックに入って、
ダンディ坂野さんと3年間、
一緒に、
マクドナルドのバイトやってました。
- ──
- 同じお店で?
- ねづっち
- 同じお店で。
- 町工場でバイトをしてたんですけど、
時間の融通がきかなくて。
製品の納期に間に合わせるために、
夜中までがんばったりしてて、
肝心のお笑いライブに出られない。
これじゃダメだと思って、
ダンディさんが勤めていたマックを
紹介してもらったんですよ。
- ──
- 同じシフトに入ってたりとか?
- ねづっち
- 週5日、一緒でした。
- ぼくは週5だったんだけど、
ダンディさんは週6で入ってました。
- ──
- どっちが先に売れたんですか。
- ねづっち
- ダンディ坂野さんが、ボーンと先に。
そして、お店を去っていきました。 - で、ぼくがその店を辞めたあとには
「冷やし中華はじめました」
のAMEMIYAが入ってきたんですよ。
- ──
- 何でそんなに集まっちゃうんですか。
そこのマクドナルド(笑)。
- ねづっち
- 何でだろう(笑)。
阿佐ヶ谷店ですけど、懐かしいなあ。 - 22歳から3年くらいやってました。
- ──
- つまり、そのあとは、
バイトをやらなくても済むように?
- ねづっち
- いやいやいやいや、
34までいろんなバイトしてました。 - オリジン弁当が、なかでも
いちばん長かったかもしれないです。
- ──
- その季節があったんですね‥‥。
- ねづっち
- 「ととのいました」で
流行語大賞にノミネートされたのが
12年前の2010年。 - それくらいから、
バイトしなくても済むようになって。
- ──
- お笑いでごはんが食べられるように、
なったんですね。
- ねづっち
- 生活もととのったんです(笑)。
- それまでにもいろいろ葛藤はあって、
28歳ぐらいで、
1回、デカい壁が来るんです。
つまり‥‥あまりにも食えないんで、
やめようかなって思った。
- ──
- お、おお。
- ねづっち
- そのときはけっこう悩んで、
お笑いを辞めて別の仕事を探そうと、
かなり本気で考えました。 - でも、まあもう少しやってみるかと
思い直して続けたんですが、
30くらいでまた考えちゃうんです。
- ──
- そういう人が多いってことですか。
まわりを見渡しても。
- ねづっち
- そう、でも30を超えてくると、
だんだん就職も厳しくなってくるし、
腹が据わるんですよ。
もうやるしかないなってなるんです。 - するともう、
なかなかみんな辞めないよね(笑)。
- ──
- なるほど(笑)。
- ねづっち
- 冷蔵庫マンっているでしょ。
知ってます? 飯塚俊太郎さんって。 - あの人、もう還暦過ぎましたからね。
あんたが
若手芸人の平均年齢上げてんだって
よく言ってるんだけど(笑)。
- ──
- わはは、「若手」の定義とは(笑)。
- ねづっち
- 売れるまでは若手なんです、たぶん。
- ──
- 「若手」とは「年齢」ではない。
- ねづっち
- 「扱い」ってことですかねえ(笑)。
- ──
- 「若手」とは「扱い」(笑)。
- ねづっちさんは「Wコロン」として、
当初コンビでやってましたよね。
自分が知ったのも、そのころですが。
- ねづっち
- ええ、そのコンビを解散して、
ひとりでやんなきゃいけなくなって、
ネタも変える必要が出てきた。
それで、
場数が欲しくて寄席に出たいなあと。 - 最初は「代演」で、
たまーに出させてもらうところから
少しずつはじめて‥‥
3年くらい経ったところで
「じゃあ、これから、いきますか」
みたいな感じで
「顔付け」してもらったんです。
つまり、落語芸術協会に入るまでに、
3年くらいかかってるんです。
- ──
- それまでは代演、代演で、
レギュラーになるチャンスを伺って。
- ねづっち
- 色物が寄席に出るときって、
最初はだいたい「代演」からなんで。
- ──
- コンビで漫才をやるのと、
現在の、おひとりでの漫談とでは、
だいぶ違いますよね。
- ねづっち
- はい、漫才は相方とのかけあいを
見てもらうわけですけど、
漫談は、お客さんに向かって
問いかけていくような感じですね。
- ──
- あー、なるほど。
- ねづっち
- そういえば最近、
こんなことありましてねえとかって
お客さんにしゃべりかける、
世間話の延長みたいな気持ちですね。 - ただ、漫才のときは、
不安なときは
相方を見たりできたんですが(笑)、
漫談の場合はひとりなんで、
反応のいいお客さんを
見つめながらしゃべったりしてます。
すがりつくような感じで(笑)。
- ──
- ひとりだと緊張しないんですか。
- ねづっち
- それが、緊張はしないんですよね。
ぼくの場合は、
ひとりでやるほうが楽なんです。 - 自分のやりたいことを、
100パーセントぜんぶやれますし。
- ──
- なるほど。
- ねづっち
- 単純に、コンビの場合は
ぼくがやりたいと思ったネタでも、
相方がやりたくなきゃできない。 - ひとりは自分の思うようにやれる。
その代わり、スベったら
ぜんぶ自分の責任になるんですが、
方向転換も工夫も自分次第。
じゃ次はこうしてみよう‥‥とか。
- ──
- ひとりが性に合ってた。
- ねづっち
- まあ、そうなんでしょうかね。
(つづきます)
2022-09-27-TUE
-
12月を除き毎月開催されているライブ
「東京笑い者」に
ねづっちさんが出演されています。
10月の開催は、31日の月曜日。
場所は歌舞伎町にある新宿ブリーカー、
18時30分スタート。
他の出演者は、千葉チューセッツ、
サンフラワー、きんぶら、
あさかぜ、平野翔太‥‥と
ねづっちさんと同じ事務所の芸人さん。
小規模でアットホームなお笑いホール、
寄席とはまた違った雰囲気です。
前売1000円、当日1200円と、
仕事終わりで気軽に入って笑って帰ろう。
日程:2022年10月31日(月)会場:新宿ブリーカー
東京都新宿区歌舞伎町1-28-3
武井ビル地下1階
map開演:18時30分
料金:前売1000円 当日1200円チケット予約:info@ph-aun.com
問合せ:プロデューサーハウスあ・うん
電話:03-5793-7031撮影:中村圭介