たとえば高齢の親が、病気などによって
「終末期」にさしかかった場合、
どう考え、どう行動していけば、
いちばん幸せな最期を迎えられるのだろう?

ほぼ日の「老いと死」特集、
第3弾は、緩和ケア医の西智弘先生と、
がんの当事者である
写真家の幡野広志さんによる
「終末期医療」のお話です。
よい死を迎えるためにはどうしたらいいか、
患者と家族が知っておきたいことについて、
いろいろと教えていただきました。

>西智弘さんプロフィール

西智弘(にし・ともひろ)

一般社団法人 プラスケア 代表理事
川崎市立井田病院 腫瘍内科 部長

2005年北海道大学卒。
川崎市立井田病院にて、抗がん剤治療を中心に、
緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。
2017年には一般社団法人プラスケアを立ち上げ、
代表理事として、
「暮らしの保健室」「社会的処方研究所」の
運営を中心に、地域での活動に取り組んでいる。
著書に、
『がんを抱えて、自分らしく生きたい
──がんと共に生きた人が
緩和ケア医に伝えた10の言葉』

(PHP研究所)、
『社会的処方──孤立という病を
地域とのつながりで治す方法』

(編著、学芸出版社)、
『だから、もう眠らせてほしい
──安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』

(晶文社)など多数。

X @tonishi0610

>幡野広志さんプロフィール

幡野広志(はたの・ひろし)

写真家。血液がん患者。
1983
年、東京生まれ。
2004
年、日本写真芸術専門学校中退。
2010
年から広告写真家・高崎勉氏に師事、
2011
年、独立し結婚する。
2016
年に長男が誕生。
2017
年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。
著書に
『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)
『ぼくたちが選べなかったことを、
選びなおすために。』
(ポプラ社)
『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』
PHP研究所)
『写真集』(ほぼ日)
『ラブレター』(ネコノス)など。
最新刊は
『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』
(ポプラ社)。

X @hatanohiroshi

前へ目次ページへ次へ

3 「あぁ、よかったね」ってなるんですか?

幡野
本人が望んでるわけでもなくて、おそらく誰も
したくもされたくもないのに、
ある意味「強制的な延命」をして、
「心臓停止した90歳の人に無理なマッサージをやる」
って、どうなんですかね。
90歳の患者さん、心臓止まりました。
心臓マッサージしました。
やって肋骨が折れました。
内臓傷ついてます‥‥という状態で
息を吹き返したら、その後どうするんですか?

西
困るんですよ。
幡野
実際に息を吹き返すことってあるんですか。
西
あります、あります。
幡野
そのとき、たぶん肋骨折れてますよね?
内臓に刺さったりすることもありますよね。
西
ありますよ。
幡野
で、息吹き返しました。
みんな「あぁ、よかったね」ってなるんですか?
西
まぁ、そのときは。
だけど、本人は苦しいじゃないですか。
そのつらさもあるし、それでたとえば
「じゃあこれからもとの元気な姿に戻っていきますか?」
っていうと、かなり厳しいわけですよ。
もう90歳で、心肺停止とかになって、
でもギリギリ生存したときに
「じゃあ、口から入ってる管を抜けないから、
首を切ってここから管入れましょう」
「人工呼吸器外せないよね」といった話になっていったときに、
「この患者さん、誰が看るんですか?」という。
「お家にお返ししますんで、ご家族で、
子供で、どうぞ」ってやると、
「いやいや、うちでは看れませんよ」となって、
結局家族も不幸になっていくんです。
本人だって、家族に負担かけようなんて
望んでたはずがないのに、それで苦しむとか。
幡野
それ、結果的にどういう状況になるかを
知らなかったからですよね。
西
だから延命を望んだにもかかわらず、
「生きてるのは嬉しいんだけど、
介護させられるのはダメです」みたいな。
それもあるし、
「じゃあお金出して介護施設に入れますか?」
と言ったら「お金はありません」となって、
「じゃあ、どうするつもりなんですか?」って言ったら
「‥‥‥‥」というのは、ときどき発生します。
幡野
うーーん。
西
だから家族が「延命、延命」って望んだとしても、
「じゃあその行きつく先は、誰がどう
責任をとってやっていくつもりですか?」
となると、そこはノープランで。
「生きてるだけですばらしい」みたいなところしか
見ないようにして、
その先の誰が面倒をみるかとか、お金とかに関しては、
まったく何もタッチしない。
幡野
病院とかで、そういう教育的なことを
する方っていないんですか?
西
いないです。
幡野
まぁ、したとしてもトラブルが起きそうですもんね。
西
はい。だからけっこう家族が
「もう看れないから」とか言って、
そのままバックレちゃうとか。
幡野
え?!
西
生かすのはいいんだけども、
ほんとに家族と連絡とれなくなっちゃって、
「病院に365日入院」みたいな方、いますよ。
幡野
ああ、社会的入院ですね。
西
ほんとならば
「家族のほうで転院させてください」
「介護施設に入れてください」
「家に引き取ってください」とか
ぼくらもお願いするんだけど、
「できませんので」とか言われてしまって。
だから家族の方も、最初は
「なにがなんでも延命を」だったのが、
途中からはおそらく
「なんだか面倒なことになってしまった」
という感じなのかもしれなくて。
幡野
まじですか。
西
だから、自分で引き取る気もないし、
お金を出して介護施設に入れる気もないから、
「もうこのまま病院で、最期まで
置いといてくれたらいいんですけど」という。
幡野
うーん‥‥。
西
だけどそれはいまの医療システムではできないので、
病院からも「困る」って言うんですけど。
幡野
それが80、90歳の方ですよね。
人間が80、90年も生きて、
最期がそれって、
「ご本人は望んでたのかな?」って
考えてしまいますよね。
西
ご本人、そんなに望んでないと思います。
そんな状態で、家族から見放され、
医療者からも煙たがられ、誰も来ず。
まぁ看護師が来ますけど、
「そこでただひたすら生かされてるだけの
人生を望みますか?」って聞かれて、
「いや、私はそれでも生きてるほうがいいですね」
と言う人って、
まぁ、ほぼいないと思うんです。
だからやっぱり事前に話し合うとか、
「自分はこういった状態のときはこう生きたいんだ」
とか考えておいたほうがいいんですよ。

幡野
ぼくはがん患者なんで、
自分がそっちの立場に陥る可能性があって。
ぼくはわりと早々に
「家族親戚と縁を切る」という選択をとったんです。
親もそうだし、よく知らないおじさんとか
おばさんとか、いとことか。
なぜかみんな「親族」というだけで、
口出しする決定権を勝手に
持ってる気持ちになっちゃうんですよ。
だから「いや、何十年か前にちょっと
会っただけだったよな?」
というような人が口出ししてくる。
そういう相手に、自分の最期を
決められちゃう可能性があるわけです。
ぼくが死にかけました、親族が集まります。
「じゃあこのままゆっくり死んでいきましょうか」
みたいになったときに、そういう人が
「いやちょっと待て! 延命すべきだろう」
みたいになる可能性ってありますよね。
だからそれを防ぐために、結局もうこっちとしては、
危険度の高い家族と距離をとるしかない。
ぼくは妻にも
「もしなにかあって、ぼくの意識がほぼなくなって、
もう死にそうってとき、絶対に連絡しないでほしい」
って言ってるんです。
連絡したら来ちゃいますから。
来てしまったらもう、
「カリフォルニアから来た娘症候群」といった
言葉とかもありますけど、
それまでまったく付き合いのなかった
親族が急にやってきて、
いろいろ口出しをする可能性がある。
そういうことを防ぐには、こっちが先に選ぶというか、
「関係を切る」しかないんですよね。
だけどなんだかそれって、
あんまり健康的じゃないんですよね‥‥
いや、病人だからすでに健康的じゃないんだけど。
西
(笑)
幡野
でも患者さんって、みんな親族に連絡しがちですよね。
西
うん。病気がわかったとき、
親族に連絡する方は多いです。
幡野
病院の椅子とか喫茶店とかで
「実はこのたび肺がんになりまして‥‥」
とか電話してる人、よく見るんですよ。
だけどそういう姿を見るたびに
「それ、言わないほうがいいんじゃないかな」
ってぼくはちょっと思ってしまう。
自分の経験を思うと、メリットは薄いかも。
西
ただ、これは全然統計とかじゃなくて
ぼくの感覚での話ですけど、
最近ぼくの診てるがんの患者さんたちだと
「ほんとに親しい人以外には言わない」
という人が増えてきてるとは思います。
団塊の世代ぐらいの、70歳ぐらいの人たち。
家族でもほんとに親しい人だけ、
「配偶者と子供にしか言ってません」みたいな。
とりあえず兄弟とか、他の親族には言わない。
幡野
そうなんですね!
西
で、「ほんとに本人の意識がなくなって、
もう亡くなるかもしれないくらいのときには
言っていいよ」みたいなルールにしてる人たち、
けっこういます。
幡野
でもなんか親族とかって、
伝言ゲームで伝わっていきませんか?
西
いや、だからそれはもうほんとに、
「本人」とたとえば「妻」、
その2人しか知らないんです。
それで「絶対ほかの親族には言うな」って。
子供は知ってる場合があるけど。
幡野
なるほどね。これまでの常識とは別に、
脈々とそういうライフハックが生まれてるんですね。
西
うんうん。
幡野
ただそういうのも、地域と年齢で
ちょっと違うような気はします。
うち、東京でも田舎のほうなんで、
近隣で病気になってる人の話は、
ぼくの耳にすら入ってきますから。
西
おそろしいですね。
幡野
だからもう絶対に言いたくない。
西
昔の人だとやっぱり、
親族とか近所の人に言うとかって
けっこうありますよね。
幡野
たぶん昔の人たちが周りに言ってたのは、
社会制度の不備が理由だったのかなと思うんです。
健康保険だって、できたのは戦後ですよね。
だからその前の世代は
「親族間で助け合いましょう」とか、
親族、兄弟、仲間でなんとかする時代だったのかなと。
いまは、そんなことをしなくていい
時代だと思うんですけれど。

西
そうですね。昔に比べると、
だいぶ個人主義的な感じになってきてるから、
昔みたいに広くいろんな人に伝えるケースは、
少なくなってきたように感じます。
幡野
正直ぼくもがんになったとき、
最初、友達とか仕事の人が
たくさんお見舞いに来てくれて、
ありがたいはありがたかったけど、
すべての人たちに対応することが
大変ではあったんです。電話もすごくて。
西
そういう点も、たしかに少しずつ
変わってきてるとは思います。
葬儀とかもそうじゃないですか。
昔だと、ほんとに会ったこともない
親戚の葬式まで行ってましたけど、
最近そういうの、ないじゃないですか。
「内々で済ませました」とかよく聞きますよね。
幡野
そうですね。
西
要はその、たいして親しくもない関係で葬式に来て、
お悔やみの言葉をかけるのも嫌だし、
かけられるのも嫌だ、みたいな。
「そこはもう親しい人たちだけで」
みたいな感覚の人が増えている感じはします。

(つづきます)

2024-07-18-THU

前へ目次ページへ次へ