スポーツ総合雑誌『Number』の
創刊40周年・1000号を記念して、
アスリートが躍動する表紙の展示や
トークライブの生中継を、
Web上でおこなうことにしました。
題して、「ほぼ日」オンラインミュージアム。
1980年から今に至るまで
あらゆるスポーツの瞬間を切り取りつづけ、
アスリートたちの知られざるドラマを
スポーツファンに届けてきた『Number』。
写真を見ただけで記憶が揺さぶられる
表紙の写真と編集部の声が並びます。
いま明かされる「表紙の物語」とは――。
※渋谷パルコ「ほぼ日曜日」での開催は
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため
残念ながら中止となりました。
>「ほぼ日曜日」のページはこちら
- 『Number』の90年代前半は、
F1人気が爆発した時代。
この頃にもっとも売れた号も、
F1特集ばかりだったそうです。
そして、日本中で盛り上がりを見せたのが
1993年に開幕した、Jリーグ。
日本初のプロサッカーリーグが
はじまったことにより、
サッカーブームがやってきました。
若者を中心に人気のクラブチーム、
海外で活躍する一流選手の加入、
ファッションでも注目される選手。
ワールドカップがまだ夢だった時代の
表紙が並びます。
- Jリーグ発足後初のファーストステージを
制したのは鹿島アントラーズ。
スポーツ報道の観点からすれば、
当然表紙はアントラーズで行くべき。
しかし人気は読売ヴェルディが上で、
しかもこの号では
北澤豪の独占インタビューが取れていて、
所幸則氏がスタジオ撮影をしていた。
それもストレートなポートレートではなく、
アート系の仕上がりでインパクトはすごい。
さて迷った。
当時の編集長、設楽敦生さんの鶴の一声は
「カッコいい方で行こう!」だった。 - 〈編集者・青山徹〉
- 入社2年目、F1特集のジャン・アレジの表紙。
まず、表紙はアレジの〝特撮〟を
しようということになったのですが、
事前のアポがとれず、
鈴鹿の日本GPのパドック裏に
金曜日から日曜日まで仮設の白バックを立てて、
担当の私がつたない英語でアレジに頼み込んで
そこにきてもらうという作戦を立てました。
結果、何とか撮影はできたのですが、
その場を見ていたアレジのマネージャーが
「だったら、週明け東京に泊まるから
もう一回撮影の時間とってやるよ」
という幸運な流れに。
ただ、東京での撮影時、レーシングスーツと
ヘルメットはあるけれど、シューズがない。
当時のアートディレクターとしては
どうしてもフル装備の全身を撮りたいということで、
そこから慌てて
当時アレジが契約していたアシックスに頼み込み、
アレジ仕様のレーシングシューズを入手。
その結果、最高の写真が撮れたのですが、
今度は表紙のデザイン時にロゴを
赤文字にするか、青文字にするかで、
編集部内の意見が真っ二つに。
そこで当時の設楽敦生編集長が
「だったら両方出してしまおう!」と。
表紙担当の私としては大変ありがたかったのですが、
表紙は2種類だけど中身は同じということで
読者や書店さんにちょっとした混乱が生じてしまい、
以降この作戦は禁じ手に。
当時はまだバブルの余韻というか、
時代の空気もあって、編集部内にも
「新しいことをやろう」「面白いことをやろう」
に加えて「無謀なことに挑戦しよう」という空気が
満ち満ちていました。 - 〈第12代編集長・松井一晃〉
- 当時、F1は『Number』最大のコンテンツだった。
私が新編集長に就任して1ヶ月、
5月1日にその最大のスター、
アイルトン・セナが事故死。
前号の校了中に起こった事故で、
巻頭に7ページだけページをとり追悼し、
その後の扱い方を全員で検討。
緊急増刊のプランもあったが、
平常号でたっぷり追悼を、と決めた思い出が甦る。
内容も充実しているが、
渞忠之氏の表紙、中吊り広告が素晴らしく、
当時では珍しい増刷がされ、
35万部完売になったと記憶する。 - 〈第6代編集長・鈴木文彦〉
- 三浦知良の“夢"が現実となった。
セリエAを戦う名門ジェノアへの
1年間のレンタル移籍。
胸に抱き続けてきた熱き思いが、実を結んだ。
だが、道はけっして平坦ではなかった。
チームを襲った不振に、
イタリア行きを断念しなければいけない時もあった。
それでも、最後まで諦め切れなかった。
「あとに続く若い人たちのために、架け橋となりたい」。
その信念で、長く孤独な90日間を戦い抜いた。
そして……。カズは掴んだ。 - 〈記事より〉
- ロベルト・バッジョ率いるイタリアか、
ベベット、ロマーリオの
ツートップを擁するブラジルか。
94年ワールドカップ・アメリカ大会の決勝は、
大注目の一戦となりましたが、
試合は日本時間の月曜朝という、
木曜発売のためには、
ギリギリのスケジュールとなりました。
当時は、デジタルカメラの性能も
インターネット環境もまだまだでしたから、
フイルムで撮った写真を
凸版印刷のロサンゼルス支局でスキャンし、
板橋工場まで専用回線を確保して
伝送するという試みに挑みました。
ところが試合は0-0のまま90分を終え、延長戦に。
そこでも決着がつかず、決勝では史上初のPK戦に。
時間は刻々と過ぎ、板橋工場で待ち構える編集長、
副編集長、デザイナー、校閲者ら
編集部一同と凸版印刷の担当者は、
ヒヤヒヤしながら写真を待ちました。
結果として、トロフィーを抱き涙ぐむロマーリオ、
PKを外し呆然と立ち尽くす
バッジョなどの写真が、無事届きました。
ただし、表紙は試合終了と同時に印刷を始めるために、
準決勝前の時点で、ブラジル、イタリア、
そして念の為、スウェーデンの3種類の表紙を準備。
決勝の時点では、ブラジル優勝版、イタリア優勝版、
それぞれを製販まで進めておいたのです。
結果としてロマーリオとベベットの
抱き合う表紙となりましたが、
実は、これは準々決勝のオランダ戦で
先制ゴールを決めた際の写真なのです。 - 〈編集者・石原修治〉
- 雑誌編集に携わっていると、
何か新しいものをやってみたいという
我儘な気持ちに駆られます。
ウィンブルドン・プレビューもその一つで、
10年ぶりのテニス特集に挑んでみたいと思いました。
全仏オープンでベスト4進出という
日本人史上初の快挙を成し遂げた
伊達公子嬢を始め日本女子の活躍に報いたい、
また最近のブームの退潮で
テニス場が減少しているとの報もあり、
応援してやろうじゃないかと企画してみました。 - 〈記事より〉
(つづきます)
2020-07-25-SAT
-
8月19日(水)20:00から
中村亮土×真壁伸弥×生島淳×糸井重里
ラグビートークを生中継!
「ラグビー日本代表が語る、
必然で掴んだ大金星。」日本中が熱狂した、
ラグビーワールドカップ2019から1年。
ほぼ日も「にわかファン」として
おおいにたのしませてもらいました。
「Number1000」のトークイベントとして
4月に開催を予定していたラグビートークを
オンライン配信することにしました。
ラグビーワールドカップ2015に出場した
元日本代表の真壁伸弥さんと、
『Number』で数々の文章を書いている
スポーツライターの生島淳さん、
にわかラグビーファンの糸井重里はそのまま。
そして、あらたにスペシャルゲストとして
ラグビーワールドカップ2019に出場した
日本代表の
中村亮土選手(サントリーサンゴリアス)
にも登場いただけることになりました。
生中継を見るためのチケットは
1,100円(税込)、
7月28日(火)午前11時から
販売をはじめます。 -
『Number』1000号と、
特製クリアファイルをセットで販売中!「Number1000」のイベントのために制作した
限定グッズの特製クリアファイルを
『Number』1000号と
セットで販売しています。
人差し指を立てたイチローさんの
表紙が印象的な『Number1000』では、
創刊1000号記念特集として
「ナンバー1の条件」をテーマに、
イチローさんがナンバー1への想いを語る
ロングインタビューが掲載されます。特製クリアファイルは全3種類。
1000冊ある『Number』の表紙から、
「野球」「サッカー」「女性アスリート」の
3つのテーマでわけたクリアファイルを
このイベントのために作りました。
これまでに『Number』の
表紙を飾ったアスリートたちの
生き生きとした表情が並びます。
3つとも、A4サイズの紙がちょうど収まる
220mm×310mmの大きさです。*販売は終了しました。