こんにちは、ほぼ日の奥野です。
以前、インタビューさせていただいた人で、
その後ぜんぜん会っていない人に、
こんな時期だけど、
むしろZOOM等なら会えると思いました。
そこで「今、考えていること」みたいな
ゆるいテーマをいちおう決めて、
どこへ行ってもいいようなおしゃべりを
毎日、誰かと、しています。
そのうち「はじめまして」の人も
混じってきたらいいなーとも思ってます。
5月いっぱいくらいまで、続けてみますね。
- ──
- こんにちは、お久しぶりです。
- 神野
- はーい、お久しぶりです。
- ──
- ありがとうございます、
「オー・シャンゼリゼ」を歌った動画を、
お送りいただきまして。
- 神野
- 見てくださって、うれしいです。
- ──
- とっても元気をもらいました。
歌の力はすごいなあと、あらためて。
- 神野
- お返事みたいにして、
奥野敦士さんのインタビュー記事を、
送ってくださいましたよね。 - なんというタイミングで、
ああいう記事を、
教えてくださったんだろうと思って。
- ──
- 首にコルセットをつけた神野さんが
歌を歌っている動画を拝見して、
すぐに、
不慮の事故で首から下の自由を失っても、
ずっと歌い続けている奥野さんの記事を、
思い出したんです。 - おふたりの歌う姿からは、同じように、
歌というものが、
聴く人や歌う人に与える力の大きさを、
感じました。
- 神野
- 歌ってすごいんです、本当に。
- ──
- いま、世界はコロナのことで大変ですが、
神野さんは、ここ数ヶ月、
ずっと、ご病気で治療されたんですよね。
- 神野
- 細菌が頚椎に入ってしまったんです。
それが、骨を腐らせてしまって。
- ──
- 神野さんが入院されたということは、
存じ上げていましたが、
そんなに、大変なご病気だったとは。
- 神野
- 手術を受けたのが3月5日と9日。
- 喉の前と首の後ろを同時に開いて、
筋肉も切って‥‥。
これから3ヶ月くらい、
コルセットをはめたまま固定です。
- ──
- そんなに‥‥。
- 神野
- 一昨年も両足を同時に手術したんです。
- 1年間リハビリを続けて、
毎日毎日、
トレーニングして立てるようになって、
去年の暮れ、ギリギリで、
尊敬する
笠置シヅ子さんの舞台に、間に合った。
- ──
- 素晴らしかったです。歌も、お話も。
- 神野
- 去年という年を乗り越えて、
わたし自身、また次の仕事のことを、
夢中になって考えていたのに、
年が明けたら
すぐに、こんなことになっちゃった。
- ──
- 病気と、ウィルスと。
- 神野
- オペのあとHCU(高度治療室)に
3日間、入ったんです。 - そのとき、はじめて、
生と死ということを意識しましたし、
コロナの状況も日に日に悪化して、
病院の先生たちも、
とっても大変な状況だったんですね。
- ──
- ええ、ええ。
- 神野
- でも、そんな大変なことだったのに、
「歌えなくなる」なんて、
これっぽっちも思わなかったんです。 - 喉の前と首の後ろとを同時に開いて、
筋肉も切って、
歌を歌う人間にしてみたら、
リスクの大きなオペを受けたくせに。
- ──
- それは、どうしてでしょうか。
- 神野
- お医者さまからも、リスクがあると
何度も念押しされたけど、
わたしには、歌えなくなることが、
まったく想像もつかなかったんです。 - 歌いたい、生きたい。ただそれだけ。
わたしにとって、
生きることは歌うこと、だったから。
- ──
- 歌えると信じて疑わなかった。
- 神野
- そうなんです。何の根拠もないのに。
- でも、やっと退院できたと思ったら、
ウィルスの感染拡大で、
歌を歌う場がなくなってしまったの。
- ──
- ああ‥‥。
- 神野
- そのことに、絶望してしまいました。
- ──
- 病気に負けなかった、神野さんが。
- 神野
- はい。
- ──
- でも、そういう沈んだ気持ちのなか、
なぜ、ああやって
『オー・シャンゼリゼ』を
歌ってみようって、思ったんですか。
- 神野
- アコーディオンの桑山哲也さんが、
オンラインで、
ぼくの演奏で歌ってみないかって
誘ってくださったんです。 - でも、こんなコルセットつけてるし、
最初は、迷ったんですけど。
- ──
- YouTubeで公開するわけでもあり。
- 神野
- でも、桑ちゃんのアコーディオンを
聴いたら、すごく歌いたくなった。 - それで
「こんな格好だけど、いいかなあ?」
って聞いたら、
「やりましょう」って言ってくれた。
- ──
- わあ。
- 神野
- もう何日ぶりだろう‥‥
とても久しぶりに、お化粧しました。 - そして、
黄色い華やかな洋服を身につけたら、
歌手の感覚を思い出したんです。
- ──
- おお!
- 神野
- このコロナの生活の中で、
すべてが沈んでしまっていたときに、
お化粧をすることで、
明るい色のお洋服に着替えることで、
前向きな気持ちになれたんです。
- ──
- そして「歌うこと」によっても。
- 神野
- そう。だから、あのときのわたし、
すっごくうれしそうな顔で歌ってる。
- ──
- はい、そうですね。本当に。
- うれしそうに、楽しそうに。
ゲストのワンちゃんと、いっしょに。
- 神野
- 自分の家で歌を歌うなんて、
それまで、ほとんどなかったんです。
でも、手術をして退院してきたあと、
歌いたくて、歌いたくて。 - エアロバイクをこぎながら、
毎日毎日、歌を歌っていたんですね。
- ──
- ええ、ええ。
- 神野
- でも、コロナ生活が長引くにつれて、
いつの間にか、
また、歌を歌わなくなっていました。
音楽さえ、流さなくなっていた。 - そうやってふさぎ込んでいた時期に、
桑ちゃんの
アコーディオンの演奏を聞いたらね。
- ──
- はい。
- 神野
- 歌ってみようかなあ、自分のために。
そんな気持ちになったんです。
- ──
- 自分のために。
- 神野
- そう。誰かのためにじゃないんです。
あれは、自分のために歌ったんです。
- ──
- 歌ってみて、どうでしたか。
- 神野
- そのあと、ずーっと、歌ってた。
一日中「オー、シャンゼリゼ」って。
- ──
- 一日中。
- 神野
- 歌が自分に戻ってきた‥‥という感覚。
- この状態で3ヶ月間も固定したあとに、
どれだけの歌を歌えるのか、
ぜんぜんわからないし、
自信ないし、
これからが大変だとも思ってるけど、
でも、あのときの
「あ、歌えた」っていう‥‥よろこび。
- ──
- はい。
- 神野
- 何かが「発芽」したような感じだった。
- この感覚を、
ずーっと覚えておこうって思いました。
- ──
- すごいです、やっぱり。歌って。
- 聞く人だけじゃなく、
歌う人まで元気にしちゃうんですもの。
- 神野
- やっぱり、歌が力をくれたんです。
- それに、教えていただいた
奥野敦士さんのインタビューを読んで、
そこでも、救われたんです。
- ──
- あの記事のなかでも、
頚椎を損傷して
首から下の自由をなくした奥野さんが、
歌の力について話しています。
- 神野
- 彼も、ひとつ頚椎の場所がちがったら
声を失っていたって、
インタビュー中におっしゃってますが、
それ、わたしも同じなんです。
- ──
- えっ、そうだったんですか。
- 神野
- そう。だめになった頚椎のひとつ上に、
声を司る神経があったから。
- ──
- わああ‥‥そこを残してくれて、
「神さまありがとう!」って感じです。 - 奥野さんにも、神野さんにも。
- 神野
- わたしは身体も声も両方、無事だった。
何をクヨクヨしてるんだって。 - ちょっと仕事がストップしてるだけで、
このまま諦めていいのかって。
- ──
- ええ、ええ。
- 神野
- 不自由な身体で、
しぼりだすように声を出して、
それでも、歌おうとしている人がいる。 - わたしは、
いい手術を受けられて助けてもらえて、
身体も声も残してもらえたのに、
ヘコんでる場合じゃないよって思った。
- ──
- 神野さんらしいです、その感じ。
- 神野
- コロナ後、いろいろ変わると思います。
- わたしはずっと歌い続けたいと思って
プライドを持って、
こだわりを持って、
これまで、歌を歌ってきたつもりです。
- ──
- はい。
- 神野
- でも、今回の経験を通じて、
手放していいものもあるかもしれない、
そう思うようになったんです。
- ──
- それは‥‥。
- 神野
- 歌を歌う場所ひとつにしても、
コロナのあとは、変わってくると思う。 - 2000人規模のホールで、
当然のようにやっていたコンサートが
コンサートだと思っていたら、
今後は、そうはならないかもしれない。
- ──
- なるほど。
- 神野
- でも、そのときに、
わたしは、
2000人のコンサートがしたいのか、
歌を歌う歌手であり続けたいのか。
- ──
- ああ‥‥。
- 神野
- そう考えたら、答えはもう決まってる。
- ──
- 歌を歌う歌手でありたい。
- 神野
- そう。
(つづきます)
2020-05-20-WED