人はなぜ老いて、なぜ死ぬのでしょうか。
それらをテーマに書かれた本が
20万部超えの大ヒットを記録している
生物学者の小林武彦さん。
「老いと死」をテーマにした対談のお相手は、
テニスプレイヤーの伊達公子さん!
46歳まで世界で戦い続けた“レジェンド”で、
120歳まで長生きすることを目標に掲げる
伊達さんの夢を叶えるために、
会話を重ねながら実現方法を考えていきます。
現在53歳の伊達さんが歩んでいく道は、
長生きの理想モデルになるかもしれませんよ。

>小林武彦さんのプロフィール

小林武彦(こばやし・たけひこ)

1963年生まれ。神奈川県出身。
九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、
米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、
国立遺伝学研究所を経て、
東京大学定量生命科学研究所教授
(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)。
日本遺伝学会会長、生物科学学会連合の代表を歴任。
日本学術会議会員。
生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を
解き明かすべく日夜研究に励む。
地元の伊豆、箱根、富士山をこよなく愛する。
著書に『寿命はなぜ決まっているのか』
(岩波ジュニア新書)、
『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)、
『生物はなぜ死ぬのか』
『なぜヒトだけが老いるのか』
(講談社現代新書)など。

>伊達公子さんのプロフィール

伊達公子(だて・きみこ)

1970年、京都府生まれ。6歳からテニスを始める。
高校卒業と同時にプロテニスプレーヤーに転向。
全豪、全仏、ウィンブルドンでベスト4入り。
1995年にはWTAランキング4位に。
1996年引退。2008年、プロテニスプレーヤーとして
「新たなる挑戦」を宣言し、37歳で現役復帰。
2017年、2度目の引退。
その後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科
1年間の修士課程を修了。
テニス解説やジュニア育成、
テニスコート&スポーツスタジオの
プロデュースなど、多方面で活躍中。
・明るくて、負けずぎらい。(ほぼ日)
・120歳までつづく真剣勝負です(にこっ)!
(ほぼ日の學校)

この対談の動画は後日「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

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(2)これまでの人生より長い道のり。

小林
伊達さんが120歳を目指すうえでも、
119歳まで生きられた
田中カ子(たなか・かね)さんの
食生活は気になるでしょう?
伊達
えーっ、なんでしょう。
お肉とか?
小林
いや、特別に何かが好きっていうことは知りませんが、
普通に食べておられたそうですよ。
3度のご飯を規則正しく食べていました。
甘いものがお好きで、
栄養ドリンク剤を1日1本飲まれるそうです。
びっくりしたのは、カ子さんは炭酸がお好きで、
1日3本飲むと記事に書いてあったんですよ。

伊達
炭酸なら私も好きですよ!
炭酸水を毎日4本ぐらい飲んでいて、
水よりも炭酸水が好きですね。
あ、なんだかカ子さんとの共通点を
一所懸命見つけちゃいますね(笑)。
小林
つまりね、田中カ子さんの食生活は
そんなに特殊ではないようなんですよ。
なんで長生きだったのか、
というのは今のところ謎なんです。
伊達
はあ、そういうものですか。
小林
長生きをされた方の要因が解明されると、
それがヒントになりそうですよね。
こういう食生活やサプリメントが
いいんじゃないか、
とわかるようになってきそうですが、
長生きされた方の特徴が掴めるほど、
長生きされた方の人数も
たくさんはおられないので難しいです。
ですから、伊達さんには日記をつけていただきたい。
「こういうものを食べて、長生きした」とか、
記録を残していってほしいですね。
伊達
なるほど、記録を残す。
小林
「伊達公子120歳日記」みたいな形で
ずーっと続けてほしいですね。
伊達
ああ、それはいいですね。
ちょっと話は変わりますが、
メディアでもよく言われることで、
「長寿の町」って言い方がありますよね。
長生きの方が多く住んでいるような地域。
その地域性というのは、
データとしても表れているのでしょうか。
小林
ありますよ、あります。
地域の特徴だとか食生活だとかを調べる
コホート研究というものがあるんです。
しかしね、これがけっこう難しくて、
わりと変動するものなんですよね。
たとえば、長野県って昔は
それほど寿命の長い地域ではありませんでしたが、
食生活の改善をしたら変化があったんです。
それまで多く摂取していた塩分を減らしたら
寿命が延びたということなんですね。
ほかにも、沖縄県では女性の寿命は長いけれど、
男性の寿命はそれほど長くない、
ということもわかっています。
地域ごとにデータを見ていくと、
男女差の大きい地域もわりとあるんですよね。
伊達
はあー、そうなんですか。
小林
これを国単位で置き換えてみると、
さらにすごい差になります。
WHOが発表した数値によれば、
寿命の短い国(レソト)の平均寿命は50.7歳。
一方で平均寿命のもっとも長い国が84.3歳、
それが日本なんですけど。
伊達
えっ、そんなにも差が。
30歳の差って、かなり大きいですよね。
小林
でもこれ、遺伝的に違うわけじゃないんですよ。
遺伝的には同じ人類ですから。
つまりね、国別で比較する場合には
食生活や生活習慣、医療といった要因が
もっとも大きいんでしょうね。
世界規模で見れば、
社会が寿命を決めていると言えるでしょう。
日本の平均寿命は一番長いので、
その中でトップ・オブ・ザ・トップを
目指せるかもしれないというのが、
伊達さんの「寿命120歳計画」でございます。
あ、勝手に名前つけちゃいましたけど(笑)。
伊達
そうやって言っていただけると、
夢を実現させるエネルギーになります。
小林
それにしても、120歳という年齢は
伊達さんが生きてこられた年数よりも
倍以上の長さじゃないですか。
伊達
そう、長いんです。
小林
それって、伊達さんの人生計画?
伊達
はい。
小林
伊達さんの現役時代は私も見ていまして、
ウィンブルドンなんか、もう釘付けでしたよ。
伊達
わあ、ありがとうございます。
小林
相手選手はとにかく身体も大きいですし、
サーブもすごいじゃないですか。
伊達さんが一所懸命に取ってね、感動的でした。
それがファーストキャリアとしてあって、
一回引退をされてから
ライフイベントがいろいろあって、
その後に復活されたじゃないですか。
伊達
はい、現役復帰が37歳でした。

小林
復活されるまでのメンタルの変化って、
何かあったんでしょうか。
そこから120歳計画となっているわけですから、
どうやって考えが変遷していったのか、
ちょっと興味があるんですけども。
伊達
1回目のキャリアのときは、
世界のトップを相手にどうやって
立ち向かえばいいのか、もう必死でしたね。
ほんとうに青春もなく、
テニス一色の人生を送っていました。
小林
それは高校時代から?
伊達
高校よりも前、
極論を言えば小学校でテニスをはじめてから、
テニスどっぷりの生活になって、
プロを目指していたんです。
この辺りから青春はもうないですよね。
中学時代にさぼったりした時期もありますが、
「自分で選んだテニスをやらなきゃいけない、
練習をさぼってる暇はない」
という考えもどこかにはずっとありました。
わかっていながら、さぼって怒られて、
それを繰り返していたんですよね。
1分1秒でも早くクラブに行って練習しなきゃ、
という生活サイクルでしたから、
プロの前からテニス一色だったんですよね。
小林
うん、うん。なるほどね。
伊達
たとえば家族旅行ですとか、
家族でのんびりするような時間は、
小学生でも、中学生でもありませんでした。
26歳で現役を引退するまで、
1年のうちの半分以上は海外を
ずっとまわるような生活だったんです。
そこに行きつくまでの時間を考えて、
26歳になったときに
何がしたいって考えたんですよね。
そうしたら、時間から束縛されることだとか、
解放されたいという気持ちだったんです。
電車の定期券すら持ったこともなかったので、
定期券を持ってみたいなとか(笑)。
小林
つまり、普通の暮らしがしたいと。
伊達
キャンパスライフっていうのは
どんなものだったんだろう、とか。
小林
ああ、それはわかる気がするなぁ。
ずっとコートで練習していると、
外の景色が羨ましく見えたりするんですよね。
私にも子供がいましてね、小学生の頃から
バレーボールをやっていたのを見ていましたが、
週末はすべて試合になってしまいました。
応援する方は楽しいんですけれどね。
伊達
そうなってしまいますよね。
私の場合、ファーストキャリアでは
とにかく世界に立ち向かって、
世界のトップテンに入ることだけを考えながら
プレーしていました。
寝るのも仕事だったし、食べるのも仕事、
自分で強くいつづけることも仕事でした。
その環境からすべてを解放するのが、
引退後の自分だったんですよ。
そこにはメンタルの違いが大きくありました。
小林
引退は、解放だったわけですね。
伊達
そうなんですよ。
ファーストキャリアを引退した26歳の頃なんて、
お酒も一滴も飲まないのに、
スズメさんの声がチュンチュンと聞こえるまで
時間も気にせず朝まで過ごすようなことも、
しょっちゅうやっていましたね。
小林
ああ、私もそういう心境になることはありますよ。
締め切りがあると、1週間はそれだけに集中して
その間にいろいろな思いが募ってくるわけです。
これが終わったらあれをやろう、これをやろうと。
「近くの川に行って釣りがしたいな」
「そこで一日中ぼーっとしてたいな」と思うのですが、
そういった生活ってすぐ飽きたりしてね。

伊達
いや、私は飽きなかったんです。
小林
おーっ、飽きなかったんですか。
ということは、引退されてしばらくは
解放された心境で生活を送っていたんですか。
伊達
2年半は、ほんとに気ままな生活でした。
小林
現役選手としてのカムバックまで
10年ぐらい期間がありますよね。
2年ぐらいは気ままな生活を送って、
そこでようやく飽きてきたんですか?
伊達
いや、飽きはしなかったんですけど、
その間にはテニスを切り離していたんです。
ただ、2年ぐらい経ってくると、
テニスをやっていてよかったなっていう気持ちを
思い出すようになってきたんですよね。
子供の頃の純粋にたのしんでいた思い出が、
辛かったことよりも思い出されるようになって、
テニスをやっていてやっぱりよかったなって。
そこからテニスの普及活動として、
子供たちにテニスのたのしさを知ってもらう活動を
はじめるようになりました。
小林
そのときには指導者に留めて、
カムバックしようとは思わなかった?
伊達
ぜんっぜん思ってないですね。
1ミリたりとも。

(つづきます)

2024-06-19-WED

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