なんとなく聞きにくい「老いと死」のこと、
女性の立場で本音を語ってくれるのは誰だろう?
糸井重里のことばを借りるなら、
「この人以外思いつかない」というほど、
この特集にぴったりの人物がいます。
そうです、阿川佐和子さんです。
まじめになりがちなテーマでさえ、
阿川さんの話を聞いていると、
なんだか心が軽くなってくるからふしぎです。
70代になってわかった老いと死のこと、
ふたりが包み隠さず語りあいます!
‥‥という建前ではじまった対談ですが、
のっけから力の抜けたトークのオンパレード。
ま、急がず、慌てず、のんびりいきましょう。

>阿川佐和子さんのプロフィール

阿川佐和子(あがわ・さわこ)

作家、エッセイスト、小説家、女優(かもね)。

1953年東京生まれ。
慶應義塾大学文学部西洋史学科卒。
報道番組のキャスターを務めた後に渡米。
帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。
1999年『ああ言えばこう食う』(檀ふみとの共著)で
講談社エッセイ賞。
2000年『ウメ子』で坪田譲治文学賞、
2008年『婚約のあとで』で島清恋愛文学賞を受賞。
2012年『聞く力――心をひらく35のヒント』が
年間ベストセラー第1位でミリオンセラーとなった。
2014年第六十二回菊池寛賞を受賞。

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第8回

親を看取ったときのこと。


阿川
父は94才で亡くなったのですが、
息をひきとる瞬間に間に合わなかったんです。
私が仕事場からかけつけたときには、
もうすでに波がおさまっていた状態で。
糸井
そうでしたか。
阿川
それでも日野原重明先生から
「人間は最期まで聴覚はきく」と聞いたので、
お医者さんや看護師さんたちが泣いてる側で、
「お父ちゃーん、増刷30万円入ったよ!」って
言ったんです(笑)。

糸井
えぇっ(笑)?
阿川
いや、その数日前に、
父の本に珍しく増刷がかかったんですね。
そのとき父が「いくらだ?」って気にしてて。
それを出版社に確認する前に亡くなってしまったので、
耳元で「30万円!」って言ったら
父が起きるんじゃないかなと思って。
それで「お父ちゃん、増刷30万!」って言ったら、
横で泣いてた看護師さんがプッと吹き出して(笑)。
糸井
(笑)
阿川
まあ、息は戻らなかったんですけど、
それでもあれだけ怖くて、面倒くさくて、
いろいろ文句もあったし、
ぶつかることも多かった父ですけど、
それでもやっぱり胸に詰まるものがあって、
そのときはやっぱり泣いたんですね。
糸井
うん、うん。
阿川
そういう父の死の瞬間があって、
その5年後に同じ病院で母も亡くなったんです。
その日は「だいぶ弱ってきました」と
病院から連絡があったので、
弟と私が病院に泊まることになって、
交代で側にいようかってことで、
母の寝てるベッドの横で、
私がパソコンをいじったりして起きてたんです。
そしたらその日の夜10時くらいに、
だんだん血圧が下がってきて、
あわてて看護師さんを呼んだら
「弟さんを呼んでください!」って言うから、
隣の部屋で寝てた弟を起こして、
「あ、とうとう来たか」って感じで、結局、
夕方の4時から夜の11時くらいまでの約7時間、
ずっとそばで母を見守っていたんです。
要するに、危篤ですと言われてから、
ちょっと復活しては危なくなってのくりかえしで。
そのときの母はすでに認知症だったので
こっちの声に反応するとかはなかったんですけど、
ハア、ハア、ハアという声が聞こえたり、
「母さん」て言って手をずっとさすったりして‥‥。
つまり、何が言いたいかっていうと、
母を看取ったときというのは、
夕方4時くらいから11時くらいまでの一部始終を、
ずっと一緒に共に過ごすことができたんです。
最期の息をひきとる瞬間も
「ああ、とうとう来たな、さよなら」
という感覚だったんですね。
私は母のほうがよほど好きだったから、
母のときは号泣すると思ったんですが、
実際は「あんまり泣かなかった」という
現象が起こったんです。

糸井
あぁー。
阿川
父のときはあんなに泣いて、
なんで母のときは冷静でいられたかを考えると、
やっぱり長い時間をかけて、
ずっと見送ることができたっていうのが
大きいのかなってそのとき思ったんです。
「よくがんばりました」っていうのもあるし、
「あんまり早くお父ちゃんのそばに行っちゃダメだよ」
なんて声かけたりなんかしながら、
すごく冷静に死を受け入れることができたんです。
糸井
そうなんですね。
阿川
これは言い方がむずかしいですけど、
災害などで行方不明になった方の捜索を、
ずーっと何か月もしていらっしゃるのを
ときどきニュースで見たりするじゃないですか。
残されたご家族の気持ちとしては、
実感できない苦しみを抱えていると思うんです。
やっぱりほんとうに自分の目で確認しないと、
旅に行ってるんじゃないかっていうくらいにしか
認識できないのかもしれないっていう。
そういう「二人称の死」っていうのは、
ものすごくつらいんだろうなっていうことが、
母を見送ってからわかったことでもありました。
糸井
そうか、お母さんのときは、
ずっと見ていられたっていうのがあったから。
阿川
だんだんだんだん弱ってきて、
最後にシューッと生物体として息がとまるまで、
6~7時間見守ることができました。
糸井
「実感」ですよね、まさしくね。
阿川
「実感」でしょうね。

糸井
「二人称」っていう言い方で、
近い人の死について養老さんは整理してるけど、
「二人称」っていうのは最小のグループで、
最大の自分でもあるんですよね。
阿川
あぁー。
糸井
いまのお母さんの話を納得してる
阿川さんの話ぶりを聞いてると、
まるで「私」のようにも聞こえるんです。
そのお母さんが。
阿川
「対」のような感じなのかな。
糸井
まさしく「対」なんだと思います。
ぼくは父のときは側にいたんですけど、
「ああ、そうだろうな」って思いながら見てましたね。
阿川
「そうだろうな」。
糸井
まるで自然現象を見るみたいに、
「ああ、そうなんだろうな」というふうに
父のことを見てましたね。
泣きもしないし、悲しいっていうのも、
なんかあとでわかったというか。
ドラマだと「死ぬな」とか「死んじゃ嫌だ」って
叫んだりもしますけど、そういうのは全然なくて、
「そうか、きょうか」みたいなね。
阿川
そうですね。
糸井
阿川さんの話を聞きながら、
そのときのことをいまちょっと思い出しましたね。

(つづきます)

2024-08-23-FRI

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