2024年、ほぼ日の「老いと死」特集が
満を持してスタートしました。
そのかたすみで、
ひっそりと生まれた企画がひとつ。
「正直、老いや死のことを、
まだあまりイメージできない」という
2、30代の乗組員が、ざっくばらんに話し合う
「老いと死の歌座談会」です。
おそらく私たちの手に負えるテーマではないけれど、
いま考えていることを、気張らずに話してみます。
‥‥タイトルの「歌う」が気になっている方も
いらっしゃるかもしれません。
よくぞ気づいてくださりました。
そうなんです、座談会の最後は、
毎回のおしゃべりから誕生した歌を
みんなで歌います。
どんな歌が生まれるのか、少しだけ、ご期待ください。
担当は、ほぼ日の20代、松本です。
- 松本
- 次は「老い」について、
みなさんがどう思っているのか
聞いてみたいです。
私自身が最近びっくりしたのは、
日本での高齢者のイメージは、
ほかの国と比べてネガティブだということです。
- 菅野
- そうなんだ。
- 松本
- 一説によると、
東洋社会では自分と他者の結びつきが強いために、
「社会の役に立つ人」がまわりに多ければ、
自分自身の価値も高いように感じる傾向が
あるらしくて。
なので「社会の役に立ちにくい」
と見なされてしまう人は、
ネガティブなイメージを
持たれてしまうことがあるそうです。
私自身は、お年寄りに対して、
そのような印象を持ってはいないですが、
そのイメージのなかで自分が老いていくのは
少しいやだなという気がしています。
- 南
- ああ、「役に立てない苦しみ」って、
たしかにあると思います。
それを軽減するためには、
やっぱり健康に老いることが必要なのかな。
- 松本
- ‥‥でも、なんか私は、
あまのじゃくなのかもしれないですけど、
役に立ちたくないんです(笑)。
なんていうか、役に立たなくても、
生きていていいじゃないですか、本来。
- 南
- そうだよね。
- 松本
- だから、堂々と
役に立たないお年寄りになりたいですね、私は。
- 南
- ステキ!(笑)
私もそう思えるようになりたい。
- 新井
- 卑近な話で恐縮ですが、
私は最近、老いを感じることがけっこうあって。
- 一同
- ええー。
- 新井
- 昔は夜に爆食しても翌朝なんともなかったのに、
いまはしんどかったり。
あとは、肌が年取ってきたな‥‥とか。
そういうことを感じるようになって
「どうやったらステキに年を取れるんだろう」
とは考えます。
亀梨和也さんは、いま38歳だそうですが、
すごく肌がきれいなんですよね。
彼のYouTubeを見たら、
あの方、移動中もよくパックをしていて。
- 南
- お肌のうるおいって大事なんだ。
- 清水
- 私もちょっと前まで、自分のなかでは、
実年齢マイナス3,4歳くらいのつもりで
生きていました(笑)。
でも、昨年、
個人的にちょっと大きな出来事があって、
一気に気持ちが老けたんです。
- 一同
- へえーーーっ。
- 清水
- 急に「私、もうすぐ30になるんだな」
という気持ちに傾いて。
そうなると、思っていることが顔に出るのか、
シワなども気になるようになったんです。
笑顔が少ないと、ほうれい線が濃くなりそうですし。 - こういうことがあってから、
アドラーの「人間は自分の人生を描く画家である」
という言葉をよく思い浮かべるようになりました。
自分がどういう経験をしたか、
どういうものを積み上げたかが、
自分のシワというか‥‥
自分の顔になっていくのかなぁと。
そのシワの形が
かわいかったらいいなって思ったり(笑)。
- 南
- ああ、いい、それ!
「シワの形がかわいかったらいい」って、
いい言葉。
- 松本
- これ、歌詞にしましょう。
- 菅野
- いいねえ。
亀梨くんのほかには、
どんな方がステキな年の重ね方をしていると
思いますか?
- 新井
- 先輩の、(乗組員)の話になるんですけど。
- 菅野
- おお。
- 新井
- 口角が上がっている多田さんを見ることが
多いんですよ。
よく笑う人、笑い顔の人って、
若々しく見えると思うんです。
- 南
- たしかに、たしかに。
- 新井
- 多田さんみたいなおじさんになりたい。
- 松本
- うわー、ステキ。
- 南
- いまを楽しんでいるかが、
表情にも出るんでしょうね。
- 菅野
- うん、シワにね。
- 松本
- 老いは、幸福なこととして
描かれることもありますよね。
そう思ったら、自分は
なんだかやたらと「年齢を重ねること」に
マイナスなイメージを
持ってしまっている気がしてきました。
清水さんのお話のように、
年齢を重ねることは悪ではなくて、
気持ちで老いてしまうのが問題なのかも。
- 南
- わかります。
大学の友だちと老いについて話していたとき、
「早くおばあちゃんになりたい」
という意見が一致したこともあります。
- 菅野
- ええー、なんでなんで?
- 南
- ちょっと身も蓋もないような話ですけど、
若いときって、面倒くさいことが
いっぱいあるなぁと思って(笑)。
たいへんなことを
たくさん経験して乗り越えるからこそ、
かっこいいおばあちゃんになれるということは、
わかってはいるんですけど‥‥
早くその境地に辿り着きたいね、と話していました。
- 菅野
- いろいろ経験したあとの時点に行きたいってことね、
なるほど。
若いときはやることも多いし、
考えることも多いし。
- 南
- しかも「若いわけでもない」という時期も、
すごく長いですよね。
私ももう「若い」って歳でもないけど、
でも先は長いし‥‥
これからどうすればいいの!? みたいな。
- 松本
- その「もう若くないけど高齢でもない」期間が
人生に占める割合って、
たぶん昔より長いですしね。
その時間を、どういう自覚で過ごせばいいのかな。
- 清水
- ほぼ日の先輩方に聞いてみたいですね。
- 菅野
- たしかに、元気な人が多いからね(笑)。
でも、私はみなさんのお話を聞いていて、
すっごくおもしろいですよ。
私たち世代からは、
みなさんがきょう話しているようなことは、
出てこないと思う。
- 松本
- 菅野さんは、老いや死について、
どういうふうに考えてきたんですか。
- 菅野
- 私も、幼少期は、清水さんと同じく
「死が怖い」と思っていたんですけど‥‥
なんかね、大人になってから
ディズニーランドに行ったときに、
思ったことがあって。
- 松本
- はい、ディズニーランドに。
- 菅野
- ディズニーランドの、
最後のパレードが終わって、
すっかり夜になって
「もう帰らなきゃいけない」
というときのたのしさってありますよね。
- 一同
- ああーーー。
- 菅野
- 昼間は暑かったり、
たくさん並ばないといけなかったりして、
けっこう大変ですよね。
もちろん、そのぶんたのしいんですけど。
でも、最後の最後
「もうあと何分で閉まっちゃうよ」
とか言い合って、
日が暮れて、涼しくなって。
‥‥っていうのが「老い」なのかなぁと。
- 一同
- わあーーーー。(拍手)
- 清水
- いま、老いがすごくたのしみになりました。
- 南
- すごいです、その考え方。
- 松本
- 最高。
- 菅野
- ランドに入ってすぐは
「あと何時間で、あれに乗って、
これも見なくちゃ」
みたいな忙しさがありますから(笑)。
たぶん、だから
「終わりが見えたとき」のたのしさが
待っているんだと思います。
「もう帰らなきゃいけない」と思うと、
急に景色がキレイに見えてきたりするんですよ。
- 新井
- そのときは、
たのしさより寂しさのほうが強いんですか。
- 菅野
- そうそう、そうです。
「もう、これで最後かも」という、
寂しさが根本にあるたのしさです。
いま若い年代の人たちは、
ファストパスを取りに行ったり、
乗る順番を考えたりしている段階で、
忙しいと思うんですけど、
それを乗り越えてのフィナーレですから。
やっぱり、その忙しさや大変さがないと
「終わり」のたのしさは
味わえないんだと思います。
- 南
- 新井さんはきっと、まだ体力もあり余っているから
「もっと遊びたい」気持ちのほうが強くて、
終わる寂しさには近づいていないんですね。
- 新井
- そうですね。
「十分遊んだから、そろそろ帰るか」
という境地は、まだあんまり想像できないです。
- 松本
- 私も、ディズニーの例えで言ったら、
新井さん派でした。
中学生くらいのころ、ディズニーから帰るのが、
ほんとうに「やだーー」って言うくらい
つらかったんですよ(笑)。
でも、ふと
「あ、ディズニーから出たあとも、
たのしければいいんだ」
と思って。
- 南
- へえーー。
- 松本
- 「ディズニーの帰りの電車でも、
たのしかったらいいな」と。
- 菅野
- いいこと言いますね。
- 清水
- それだけ必死で
「帰りたくない!」と思っていたからこその
発想ですね。
- 松本
- そうなんです、
切実にまだ遊びたくて(笑)。
でも、このことを「老いと死」に当てはめたら、
死んだあとには、ディズニーの帰りとは違って
電車はないから、
「楽しかったらいいな」
なんて言っていられないですよね。
- 菅野
- いや、わかんないよ、電車あるかもよー(笑)。
- 松本
- ええー、ははは。あるかもしれないですね。
そうか、それをたのしみに生きればいいですかね。
- 菅野
- そうそう。
自分はいなくなるけど、
自分がいなくなったあとの世界はありますよね。
遺ったみんなが生きてる世界。
それが「電車」だと言えるかも。
- 松本
- わあ、なるほど。
- 南
- うわあ‥‥なんか切なくなってきました。
私が死んだあともたのしく生きていてほしい、みんな。
- 松本
- ですね。ほんとうに‥‥。
- 一同
- (しんみり)
- 菅野
- ‥‥えっと、なんの話をしていたんだっけ。
- 一同
- (笑)
- 南
- 遺る、遺されるものと聞いて、
思い出したことがあります。
遺品整理士の小島美羽さんが、
孤独死の現場のミニチュア模型を
つくっているんです。
その展覧会に行って、生で模型を見たら、
伝わってくるエネルギーがすごくて。
「人ひとりが生きていた」ということが
凝縮された感じがしました。
そのとき、
「死んだ瞬間にバスッとその人の存在がなくなる
ということは、ありえないんだ」
と気づいたんです。
「孤独死」と呼ばれる、
周りに人がいない状態で亡くなったとされる人たちの
部屋にも、
絶対になにか残っているんだなぁって。
うまく言葉にできないですけど、
悲しい、つらいといった感情とは別に、
「死んでもすぐに消えてなくなることは
できないんだ」と理解した気がしました。
それ以降、よく、
生きていることと死んでいることの境界線
みたいなものは、
どこにあるんだろうなと考えます。
- 松本
- 生きていることって、ディテールがある、
ということだと思うんです。
- 南
- うん。
- 松本
- 髪の毛一本でも、ここにあったら「ある」ですよね。
「ない」ことには、どうしたってできない。
そういう‥‥ほんとにこまごましたものや
時間があることが、生きてるということで、
死んでも、その集積が残されるんじゃないかな。
と、南さんのお話を聞いていて思いました。
- 菅野
- たしかに、死はグラデーションだと思います。
パーンと消えるんじゃなくて、
だんだんと消えていくような。
故人の持ち物も、だんだん処理されていってね。
- 新井
- うーん‥‥
私はやっぱり、まだ、
自分の死をうまく客観視できないです。
未熟なのかもしれないですけど、
自分の意識が終わった先のことが考えられなくて。
- 南
- そうですよね。
私たちの年齢で「終活」するのも
ちょっと違う気がするし。
- 松本
- ‥‥みなさんは、遺書とか書いたことありますか?
- 南
- ちゃんとした公式の文書じゃないですけど、
小さいとき、もし、自分になにかあったときに
親が悲しんだらいやだから、
メモに感謝の言葉を書いておいたことがありました。
- 菅野
- ええーっ、用意周到だね。
- 松本
- 私も書いたことあります。
- 菅野
- ここにもいた。
- 松本
- 南さんと同じような感じで、
遺された人に悲しんでほしくなくて。
「私のことは早く忘れて幸せになってください」
みたいなことを書いて、
引き出しに入れてました(笑)。
- 南
- わかる。
そのとき、自分の死が近いと
思っていたわけではないんですよ。
ただ、もしも自分が死んでしまったとき、
周りの人にしんどい思いを
してほしくなかったんです。
- 松本
- 「自分が死んだときに、
みんなにつらい思いをしてほしくない」
ということは、
実際は周りの人が死ぬのが
ものすごく怖いのかもしれないです。
最初に「知ってる人が亡くなっても
あんまり悲しくならなかった」
みたいなことを言いましたが、
じつは悲しいし、怖いのかも。
- 菅野
- はあー、なるほどね。
まだまだ話せそうだけど、
そろそろ‥‥。
- 松本
- 歌をつくらなきゃですね。
- 南
- え、歌、いまつくるの?
- 新井
- そんなにすぐできるんですか!?
- 菅野
- できますよ。
じゃあ歌詞をね、どうしようかな。
みなさんとしては、きょうのテーマは
なんでしたか。
- 松本
- 絞りきれないですけど
「シワの形がかわいかったらいいな」
は入れたいです。
- 菅野
- そうだね、「シワの形」ね。
- できあがった歌がこちら。
♫歌詞♫
どうやったら ステキに年が取れるのか
多田さん、教えてー!
シワは人生の 画家ですね
私のシワが かわいいように
(1曲目はおしまいです。お読みいただき、ありがとうございました! 来月、2曲目をお届けします。)
2024-08-09-FRI