2024年、ほぼ日の「老いと死」特集が
満を持してスタートしました。
そのかたすみで、
ひっそりと生まれた企画がひとつ。
「正直、老いや死のことを、
まだあまりイメージできない」という
2、30代の乗組員が、ざっくばらんに話し合う
「老いと死の歌座談会」です。
おそらく私たちの手に負えるテーマではないけれど、
いま考えていることを、気張らずに話してみます。
‥‥タイトルの「歌う」が気になっている方も
いらっしゃるかもしれません。
よくぞ気づいてくださりました。
そうなんです、座談会の最後は、
毎回のおしゃべりから誕生した歌を
みんなで歌います。
どんな歌が生まれるのか、少しだけ、ご期待ください。
担当は、ほぼ日の20代、松本です。
- 持田
- まっきーが話していた
「親戚が亡くなったときにあまり実感がなかった」
というのは、
ほんとうにあまり悲しくなかったのかもしれないし、
あるいは実際はすごく悲しかったから、
防衛反応が起こったのかもしれないね。
- 松本
- ああ、そうかもしれません。
- 持田
- 死のショックが落ち着いたあとで、
「やっぱり悲しかったな」か
「いや、ほんとうに何も思わなかったな」か、
どちらの認識に落ち着く可能性もあると思います。
だから、いったん、
自分がいちばん調子よく生きていける捉え方を
したらいいんじゃないかな。
子孫が調子よく生きていけるような
捉え方をしてくれていたら、
亡くなった人もきっといやな気分にはならないよ。
- 赤間
- うん。やっぱり、生きてる人間優先だと思う。
‥‥さきほど話した友人が亡くなったあと、
私、急に怒り始めたんです。
- 松本
- 怒ったんですか。
- 赤間
- 怒り出すまでは何にも気力が湧かなくて、
起きているあいだはその友人のことを考えて、
ずっと泣いているような状態でした。
でも、その日々が続いたあと、急に
「私の人生はこれからもまだ続いていくんだ」
と、気づいて。
亡くなった人からは、
勝手だなと思われるかもしれないけれど、
やっぱり、いま生きてる人が優先だなって
思うようになりました。
私のなかで、亡くなっている人は、
車に乗っているイメージなんです。
- 松本
- 車に?
- 赤間
- その車がどんどん通りかかるなかで、
生きている私たちは
「横断歩道を渡らせてくださーい」と
声をかけていて。
それでも車が通ろうとしてきたら、
運転手と目を合わせて
「ちょっと待って、止まってください!」
って言うんです。
つまり、亡くなった人への悲しみに飲み込まれて、
自分の生活までままならなくなってしまいそうになったら
「ちょっと待ってください、いったん前に進みます」
と、自分のなかで折り合いをつける。
それはある程度必要なことだと思います。
- 松本
- はあー、そういうことか。
なんだかすごく納得しました。
- 持田
- 僕は2013年の夏から、
毎月1回気仙沼に行っていたんです。
通算50回以上行って、最終的に、
気仙沼に半年住みました。
被災地の方の気持ちを代弁することはできないから、
あくまで僕が感じただけなのですが‥‥
その期間にいっしょに過ごした人々を見ていた限り、
「生きること優先」という考え方は、
彼らのなかにもあったと思います。
震災で身近な人を亡くした人々も、
亡くなった方の思い出を話して、笑って解散して。
僕が会ったことのある人のなかで
一番死に近い経験をした、
気仙沼の人々の生きるエネルギーが、
すごく強かった気がしたんです。
- 松本
- へえぇ。
- 持田
- 明るい人も暗い人も、エネルギーが濃かった。
体や心が特別強いわけではなくて、
「生きる」という軸が、
自然に浸透している感じでした。
- 赤間
- うん。一度深く落ち込んだから、
強い生命力を得るということはあると思う。
人間って実は、そんなにいつまでも
落ち込んでいられないのかも。
- 持田
- 落ち込むのも、体力が要るからね。
- 松本
- だけど、落ち込まないのも難しい‥‥
という葛藤を乗り越えて
「生きてる人間優先」というところに
たどり着くのでしょうか。
- 赤間
- さきほどお話しした私の例だと、
怒ることが一種のストレス解消になって、
感情が整理されていったのかもしれません。
一回深く落ち込んで、しゃがんだ状態だから、
「生きてる人が優先」という、
それまで考えたことがなかった境地まで
ジャンプできた感覚がありました。
- 松本
- 死に近づいて、
大きな恐怖や悲しみを味わっても、
生きている限り生き続けないといけないから
乗り越えて、
気づいたら以前よりもっと強くなっている
ということがあるんですね。
- 赤間
- 私は、死に限らず何についても、
落ち込んだあと、最終的に怒るパターンが
多いかもしれません。
落ち込んでいる自分にも
腹が立ってきてしまって。
- 持田
- それ、あるなぁ。
- 松本
- 止まっていられないんですね、人間は。
- 赤間
- うん、そうなんだろうね。
- 持田
- きょう、最初に「歳を重ねても人は変わらない」
という話が出ましたよね。
だけど実際は、毎分毎秒、
喜怒哀楽をクルクル回しながら
歳を重ねていっているんだと思う。
- 赤間
- ああー、なるほど。
- 持田
- 少しずつ少しずつ変化しているから、
長い目で見たら全然違っているのに、
自分では変わった気がしないだけなのかもしれない。
だから、感情が目まぐるしく動いている時点で、
人は変わらないなんてことはできなくて。
小さな感情のグルグルの積み重ねで、
大きく変わっていくような気がします。
- 赤間
- それに似た、おもしろい話を聞いたことがあります。
「お母さんは急に老ける」っていう。
お母さんも毎日年をとっているんだけど、
子どもの頭には「お母さん」のイメージが
固まっているから、
ある日、そのイメージを外して見たときに、
急に老けたように感じるんだって。
- 持田
- おおーーー、たしかに。
- 赤間
- 「あれ、お母さん、老けた?」と
子どもは思うんだけど、実際は、
お母さんは一晩で老けたわけではないんだよ、と。
- 松本
- わかるなぁ。
- 赤間
- おもしろいエピソードだけど、その話を聞いて、
親の死について少し考えを改めました。
いつまでも親が生きているような
気がしてしまうけど、
私も含め、毎日みんな
老いていっているんだよなって。
(3曲目〈その4〉に続きます)
2024-10-10-THU