2024年、ほぼ日の「老いと死」特集
満を持してスタートしました。
そのかたすみで、
ひっそりと生まれた企画がひとつ。
「正直、老いや死のことを、
まだあまりイメージできない」という
2、30代の乗組員が、ざっくばらんに話し合う
「老いと死の歌座談会」です。
おそらく私たちの手に負えるテーマではないけれど、
いま考えていることを、気張らずに話してみます。

‥‥タイトルの「歌う」が気になっている方も
いらっしゃるかもしれません。
よくぞ気づいてくださりました。
そうなんです、座談会の最後は、
毎回のおしゃべりから誕生した歌を
みんなで歌います。
どんな歌が生まれるのか、少しだけ、ご期待ください。
担当は、ほぼ日の20代、松本です。

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第4回〈その3〉生きるために、何を備える?

佐藤
みなさんは、
どのくらいの頻度で死について考えますか。
例えば、乗った電車が脱線するとしたら、
何両目が安全かな‥‥みたいなことを。
加藤
ええー、すごい。
まなか(佐藤)ちゃん、
いつも考えているんですか。
松本
考えたこともなかったです。
私はよく、
いま不審者がやってきたらどう逃げよう、
とは考えます。
佐藤
わかります、わかります。
窓から逃げられるかな、とか。
加藤
すごいなあ。
菅野
まなかちゃんや南ちゃんは、
いざとなったときに
自分を防御するために考えているんだね。
そうです。
ああ、だから、生きるために死を考えているのかも。
菅野
きひろちゃん(高澤)は考える? 
高澤
飛行機に乗るときなどは、少し考えます。
でも、毎日は考えていないですね。
何をしていても、死が訪れる可能性はあるから、
「もしかしたらきょう死ぬかも」とは思っていますが、
用心深くなってはいないかもしれない。
松本
キリがないですもんね、考え出したら。
加藤
私は、東日本大震災からはずっと、
地震のことは毎日考えます。
菅野
毎日。
加藤
はい、毎日。
ほんとうに、小学生のころからずっと、
地震のことは考えていて。
菅野
そうか。当時は、小学生だったんだね。
加藤
学校でも、地震に関する教育を受ける機会が、
どんどん増えていった気がします。
それもあって
「いつ地震が来てもおかしくないんだ」と
思いながら、いまも生きているかもしれません。
菅野
なるほど。
みんなは災害について
重点的に教えられた世代なんだね。
佐藤
そうですね。
菅野
私が小学生くらいのころ、よく教えられていたのは、
戦争のことだったよ。
全員
ああーー。
佐藤
そうかぁ。
菅野
これは、けっこう大きな世代差だね。
私は、阪神淡路大震災の年に生まれたんです。
だから、小学生のころは
「地震のときは火事が起こりやすいから気をつける」
ということをよく教えられました。
でも、中学生のときに東日本大震災があってからは
「津波が来たら高台に逃げるように」
というふうに、教わることが変わったのを
思い出しました。

菅野
なるほど。
佐藤
私も、東日本の震災以降、
「備えること」について考え始めました。
松本
地震の以前以後で変わったことは、
たぶん、それぞれの方にあるんですね。
私は「何を持って逃げよう」ということを、
具体的に考えるようになったかもしれないです。
何が自分にとって大切なものなんだろう、と。
菅野
何を持って逃げるか、決まった? 
松本
それが、決まらなくて。
飛行機などでも、結局、
「事故が起きたら何も持たずに
脱出してください」とアナウンスされますよね。
菅野
そうなんだよねぇ。
松本
何を持つのが正解なんですかね。
私が、そのことを一番真剣に考えていたのは、
小学生時代でした。
当時の答えはぬいぐるみでしたね。
加藤
ええー、かわいい。
避難所で生活することを考えて、
「ぬいぐるみがいたら大丈夫だ」と、そのときは
真剣に思っていました。
いまは、もう着の身着のままで逃げることしか
考えられないですが。
菅野
うん、せいぜい、持って行くとしたら
現金ぐらいかなあ。
あと、壊れていなければ、
スマホも持っていきたいです。
高澤
私が通っていた小学校は、
区で一番建物が古かったんです。
だから、地震が来たとき、
床が抜けちゃうんじゃないかというぐらい揺れて、
窓ガラスも割れちゃって。
学校だから、
そんなに散らかってはいなかったのですが、
自分の部屋が乱雑で汚かったら、
置いていたものが落ちてきて
危ない目に遭うことがあるかもしれないと、
そのときハッとしたんです。
だから、できるだけ部屋を整理したり、
棚にストッパーをつけたりしています。

加藤
東日本大震災が起こった当時、私がいたのは、
関東と比べると被害が大きくなかった関西でした。
あ、私もそうです。
加藤
だから、もしかしたら、
関東にいた人とは、
地震に対する認識に差があるかもしれないです。
人によると思うけれど、
最初はどうしても
「ニュースの画面の向こう」
で起こっている話としてしか受け取れなかった。
加藤
そうでした。
松本
自分と少し離れたところで起こっている
地震や災害に対して、
何ができるんだろうということを、
最近よく思います。
とくに戦争のニュースなどを見ると、
「こんなに、もうやめてほしいと思ってるのに、
なんで止められないんだろう」
という気持ちになります。
うん、うん。
松本
さきほど、有名な方の訃報が
以前よりよく目に入るようになったというお話が
ありましたよね。
同じように、
昔だったら知るすべもなかったところの争いなども
目に入るようになったいま、
それらの問題に対して「何も責任がない」
とは言えないんじゃないかと思って。
佐藤
わかる。
めっちゃわかるよ。
松本
とはいえ、死にリアリティを感じるかというと、
正直なところ、あまり感じられなくて。
ただ、理不尽な理由で
人が亡くなっているというのは、
悲しいというか‥‥、
「そんなこと、あってはならないだろう」
と思ってしまいます。
佐藤
いまの日本では、少なくとも、
戦争によって無差別に命を奪われることはないから、
自分ごととしてリアルに感じるのは
難しいのかもしれないね。
菅野
でも、いつそうなるかはわからない。
‥‥と、戦争教育世代の私は思ってしまうな。
全員
ああー。
菅野
私は、親やおばあちゃん、学校の先生たちが
戦争を経験した世代だったから、
その人たちからお話を聞いたこともあります。
たぶん、その世代の人たちは、
戦争の歴史を熱心に教えていたんだと思います。
だから、いまも、きょうの話に出た
「逃げるシミュレーションをしておく」
という備えに加えて
「自分たちが、戦争に向かう道に行かないように」
ということも、備えておいたほうがいいと思う。

佐藤
たしかに。
松本
その備えも、一種の「防御」ですね。

(4曲目〈その4〉に続きます)

2024-11-10-SUN

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