2024年、ほぼ日の「老いと死」特集
満を持してスタートしました。
そのかたすみで、
ひっそりと生まれた企画がひとつ。
「正直、老いや死のことを、
まだあまりイメージできない」という
2、30代の乗組員が、ざっくばらんに話し合う
「老いと死の歌座談会」です。
おそらく私たちの手に負えるテーマではないけれど、
いま考えていることを、気張らずに話してみます。

‥‥タイトルの「歌う」が気になっている方も
いらっしゃるかもしれません。
よくぞ気づいてくださりました。
そうなんです、座談会の最後は、
毎回のおしゃべりから誕生した歌を
みんなで歌います。
どんな歌が生まれるのか、少しだけ、ご期待ください。
担当は、ほぼ日の20代、松本です。

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第4回〈その5〉いつか剥がすためのかさぶた。

「老い」とは少し違うかもしれないのですが、
最近思ったことがあります。
小さいころは、泣き叫んだり
「おかあさーん」と大声で呼んだりするくらいの、
強烈な感情を持っていたけれど、
いまはそういう感情がないな、と。
松本
たしかに。
そういえばこのごろ、
「おかあさーん」って泣き叫んでないな‥‥
と気づいたんです(笑)。
松本
あはは。
それは、要するに
大人になったということですよね。
ずっと、子どものころの鋭い感受性を
持ち続けていると、
生きるのがすごく大変だと思うんです。
アーティストの方のなかには、
それを歌や文章に昇華させるという人もいます。
でも、そうでない人は、自分を守って
なるべく生きやすくするために、
大人になるにつれて、
少しずつ感受性を鈍らせていっている気がして。
無意識でも、意識的にも。

菅野
なるほどねぇ。
それも、自分を防御するということだね。
「防御」が、大人になるということかもしれない。
ああ、そうですね。
むき出しでしたもんね、小さいころは。
松本
たしかに。
子どもってたいへんだったなと思います。
どこまで感じて、どこから割り切るかの、
バランスがわからないから。
そうそう。
松本
自分自身も、小学生くらいのころに
「あんまりいろんなことを感じすぎると大変だから、
あんまり感動しないようにしよう」
と決めたのを思い出しました。
加藤
ええーー、小学生で。すごい。
松本
そのときから、
老いが始まっているかもしれないですね。
全員
ああー。
小さい子向けの学習塾で
講師をしていたとき、子どもたちは
ほんとうに些細なことで傷ついてしまうのが、
目に見えてわかったんです。
そのときに、自分は老いたと思いました。
「自分、よくがんばってここまで大きくなったな」
とも(笑)。
加藤
そうだね。
私も、南ちゃんやまっきーと同じで、
まあまあ鈍らせてここまで来たんですが‥‥。
菅野
鈍らせて(笑)。
加藤
一度すごく傷ついたできごとがあって、
それからはあんなに傷つくことがないように、
はじめから「裏切られたりする可能性もあるだろう」
と予防しておくようになりました。
それがいいのか悪いのかは、
一概には言えないですけれど。

松本
ある意味、生きるすべですよね。
加藤
そうそう。そのままではちょっと、
生きるのがたいへんだから。
菅野
「鈍くなるのは生きるすべ」。
全員
(笑)
松本
でも、私は最近、一周まわって
「いや、そんなに抑えなくてもよかったんじゃ?」
というフェーズに入ってきたんです。
へえーっ、そうなの? 
じゃあ、いまはまた、
なるべく感動するほうにいってるんだ。
松本
はい。小学3年生ぐらいの心に、
ちょびっと戻しています(笑)。
そうなんだね。
松本
だから、泣き叫んだりもしようかなと思って。
全員
あはははは! 

決意表明だ。
松本
はい。
ここはひとつ、泣き叫ぶなども、
検討していきたい所存です。
菅野
以前、糸井さんに
「菅野はスポーツ観戦をまったくしないけれど、
それはたぶん、ほんとはものすごく
勝ち負けに関心があるからだと思う」
と言われたことがあるんです。
「あえて、勝ち負けを避けて、
見ないようにしてきたんじゃないか」と。
松本
へえー。
菅野
それを聞いて、あ、たしかにそうだった、
と思い出したんです。
ものすごく好きになるとか、
関心を持つということは、
けっこうエネルギーのいることですよね。
だからたぶん、幼少期に、
ほんとうはものすごく気になっていたことから、
一回逃げたんだと思う。
松本
うわー、そういうこと、あるかもしれません。
菅野
私の場合は、そこからずっと
「勝ち負け」に関心がないと
思い込んで生きてきたけれど、
糸井さんに言われたことがきっかけで、
もう一回その興味と向き合ってみる気に
なったんです。
だから、成長過程で
目をそむけてきたことは、
じつは本来の自分が関心を持っていた、
最大の課題なのかもしれません。

松本
たしかに、子どものころは
「もう感動するのやめよう」と思ったけれど、
いまだったら。
菅野
うん。
松本
ちゃんと「感動」に向き合えるかもしれないです。
菅野
かもしれないよ。
松本
「生きていたら、ずっと抑えていた
自分の関心に気づくことがある」ということは、
「老い」のテーマにもすごく近い気がします。
どうですか、みなさんは、
自分が感情を抑えるようになったと思いますか。
佐藤
私は、映画を見て泣くこともよくあるので、
あんまり抑えている感じはしないかな。
むしろ、映画で泣くようになったとき、
大人になったなと思ったかも。
松本
ああー。
たしかに、その方向もありますね。
佐藤
成長して視野が広くなったから、
映画のなかに感情移入できる場面が増えたのかも
しれません。
高澤
私もそう思います。
子どものときは、
自分が主軸で物事を見ていた気がします。
どんなできごとが起こっても、
「それが自分にとってどう起こっているか」
という目線で見ていました。
だけど、大人になると
「この人はこういう気持ちだったんだな」とか、
想像して、ある程度わかるようになってきて。
そういうふうに、
いろんな立場でものごとを見るようになると、
感情移入できない他人の話でも涙が出る、
ということは多くなりました。

松本
ああ、私は映画でも何でも、
自分と何か重なる部分がないと泣けないんです。
それは、まだ自分が未熟だということなんだろうな
と思いました。
高澤さんみたいに、
自分のことではないことで泣けるのは、
すごく大人だなと感じます。
さきほど出た、遠いところの戦争の話も思い出して。
自分とは離れたところに生きている人々のことで
心を動かすというのは、子どもと大人の、
どちらの方ができるんでしょうね。
ああーー。どうなんだろう。
松本
もしかしたら子どものほうが、
自分とニュースの向こうの誰かの境目が、
まだよくわかっていないから、
知らないところのニュースを見て
すごく心を痛めている可能性もありますね。
でも、一度視野を広くした大人は、
悲しいニュースに感情移入しすぎず、
冷静に支援などの行動を起こせるのかもしれない。
佐藤
うん、どちらもありそう。
松本
生きづらくならないように感覚を鈍らせつつ、
他者の痛みを知って動く心の部分は、
なくさないでおくというのが、
子どもと大人のちょうどいいバランスなのかな。
カウンセリングのお仕事をなさっている方は、
たぶん、その部分をすごく訓練していると思います。
松本
たしかに。
一度、カウンセラーさんに憧れて
勉強していたことがあったんですが、
私は相手に感情移入しすぎてしまうから
「向いてないな」と思って、やめたんです。
「自分と相手は完全に共感することはできない」
と、どこかで割り切ってこそ、
相手の領域に踏み入りすぎない距離感で、
寄り添うことができるんだと思う。
松本
そうですね。子どもか大人かというより、
適切な距離感をとる訓練をしているかどうかが、
重要なのかもしれないですね。
菅野
そうね。
それから、困っている本人にとって、
共感されることがいいことなのか、迷惑なのか、
という問題もある。
松本
ああ、それは大事ですね。
菅野
あと、歌手のMISIAさんがヤクルトのCMで
「繊細でなければいけないし、
タフでなければいけない」
と言っていたんですよ。
全員
おおー。
菅野
私、その通りだと感じたんです。
MISIAさんの歌は、うれしさ、悲しさ、
あらゆる感情を知っていないと歌えない歌だと
思うんですが、
ひとつひとつのできごとに傷ついていたら、
ステージに立ち続けることはできない。
だから、繊細であると同時に、
タフでなきゃいけない。
大人って、そうやって生きているのかもなぁという
気がしました。
松本
たぶん、大人になれば、
鈍らせてきた部分のかさぶたを、
あえてちょっと剥がすようなことも
できるようになってきますもんね。
菅野
そうそう。タフになっているから。
松本
そうか、タフになるために、
一回鈍くするのかもしれませんね。
つまり、いつか剥がすためのかさぶた。
菅野
そうそうそう。
加藤
そうやってコントロールできるようになっていくんだね。
松本
いつか、できるようになったらいいですよね。
なんだか、今回は学びがたくさんありました。
全員
(拍手)
  
できあがった歌がこちら。
 
♫人は死んでなかったら生きている
おばけはいるほうがいい
鈍くなるのは生きるすべ

(4曲目はおしまいです。お読みいただき、ありがとうございました! 来月、ラストの5曲目をお届けします。)

2024-11-12-TUE

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