特集「色物さん。」3組目のご登場は、
傘や土瓶、毬などを使ったみごとな曲芸で
寄席を華やかにいろどる
太神楽(だいかぐら)の世界から、
翁家社中のおふたりにご登場いただきます。
翁家和助さんと、翁家小花さん。
前々から、太神楽さんの中でも、
おふたりの舞台は「おもしろいなあ」って、
ずーっと思っていたのです。
でも、その何気ない感想には、
神事に源を発する太神楽の長い長い歴史が、
深く関わっていたのです。
太神楽師さんの「わきまえる」の精神も、
カッコイイなあと思いました。
担当は「ほぼ日」奥野です。さあ、どうぞ。

>翁家社中さんのプロフィール

翁家社中(おきなやしゃちゅう)

翁家
1995年 国立劇場第1期太神楽養成研修の研修生となる
1998年 同研修を卒業後、翁家楽に入門し
落語協会にて一年間の前座修行

1999年 師匠の楽、叔父師匠の小楽と共に
翁家楽社中として都内の寄席を中心に活動

2012年 国立演芸場 花形演芸会 金賞受賞
2018年 翁家小花と翁家社中として
都内の寄席を中心に活動、現在に至る

翁家小花
2001年 国立劇場第3期太神楽養成研修の研修生となる
2004年 同研修を卒業後、
翁家小楽に入門し落語協会にて一年間の前座修行

2005年 翁家楽社中に加入し都内の寄席を中心に活動
2018年 翁家と翁家社中として
都内の寄席を中心に活動、現在に至る

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第1回 太神楽の、おもしろい歴史。

──
寄席に出ている太神楽さんって、
何組かいらっしゃると思うんですけど、
翁家社中さんが、
ぼくは、
いちばん「おもしろいな」と‥‥。
和助
ありがとうございます。
本当は、太神楽の曲芸って、
お客さまに感心していただくことが
いちばん大事なんです。
ですが、うちの師匠の翁家和楽から
「太神楽も演芸のひとつなんだから、
必ず一場面は
おもしろいところをつくりなさい」
と、教えられてきたんです。
──
あ、そうなんですか。
和助
わたしもそう思いますので、
いまのように、
たまに「翁家社中、おもしろいね」と
言ってくれる方がいると、
それを頼りに
またがんばれるといった感じです。
──
そうだったんですか‥‥知らなかった。
テレビでよく見ていた
(海老一)染之助・染太郎さんの印象が
けっこう強かったんで、
太神楽って、
おもしろおかしいものだとばっかり
思ってました。
和助
ぼくらも、今日のお客さまは
芸を感心していただく方が楽しいかなあと
思う日には、
そちらに集中する日もあるんですけど、
やはり演芸として、おもしろいことを
お客さまが望んでいらっしゃるならば、
なるべくそうしていきたいと思っています。
──
何にも知らなくて申し訳ないのですが、
じゃあ、「演芸」ではない、
太神楽師さんの「伝統的な芸」って、
どういうところでやっていたんですか。
寄席という「演芸の舞台」以外では。
和助
もともとは、家々をまわっていたんですよ。
お獅子の姿をして。
小花
お獅子の舞いで「お祓い」をして、
そのあとに、曲芸をお見せしていたんです。
──
へええ‥‥!
和助
太神楽のはじまりから説明しますと、
猿田彦さまという神さまと、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)さまという
神さまがいて、
両者が和合して、
獅子舞いのかたちになったんですね。
──
和合。
和助
はい。和合です。和合‥‥と言うのは、
合体までは行かないけど、
ホログラムって、あるじゃないですか。
1枚のビックリマンシールの中に
ふたりの神さまがいる、みたいな感じ。
それが「和合」です。
で、太神楽のもともとの役割は、
わかりやすく言うと宣教師なんですね。
──
何かの教えを‥‥布教していた?
和助
キリスト教を広めたザビエルみたいに、
猿田彦さまの教えを、
神さまに代わって説いてまわっていた。
太神楽の「ダイ」という字は、
いま「太」ですけど、
もともとは「代」って字だったんです。
──
つまり「代神楽」、神さまの代わり。
和助
お札を持って、
神さまの教えを説いてまわっていると、
ごはんをごちそうになったり、
泊まらせてもらったり、
お風呂に入れてもらえたりするんです。
そういうおもてなしに対して、
お礼に、獅子舞をやりだしたんですね。
──
そういうはじまりだったんですか。
和助
そのうちに、
獅子頭が怖くて泣いちゃった子どもを
なだめるために、
合間合間に曲芸も入れるようになった。
みやこのニュースをおもしろおかしく、
片方がわざと間違えたりして、
「おまえさん、何を言ってるんだい」
とか何とか、
漫才のような形式で会話をしたり、
そんなふうに発展してきた芸なんです。
──
傘で升をまわす、あの技なんかも、
じゃその、家々をまわってたときから
やっていたんですか?
和助
ええ。枡でお米をいただいたら、
「このありがたい升を傘でまわします」
とか、
お茶をいただいたら、
「今度は、この茶碗を傘でまわします」
みたいな、そういう感じです。
──
舞台では刃物とかも使うじゃないですか。
和助
訪れる家々にあるもので
いろいろな曲芸を見せていたので、
台所用品が多いんですよ。
で、信仰だから、
「あの神さまの使いの人が傘でまわした
お茶碗だから、きっと縁起いいわよ」
みたいに思われて。
茶柱が立ってよろこぶのと同じ感じです。
──
そういう風習って、
いつの時代まで続いていたんですか?
和助
戦前まで、ですかね。
──
その太神楽が、現代では寄席で見られる。 
和助
三重県桑名市太夫町にある増田神社には、
本場の「伊勢大神楽」があって、
そこでは、いまも
地元の家々を一軒一軒まわってるんです。
──
昔の風習が残っているんですか。へええ。
和助
伊勢大神楽を本場とする太神楽の風習が、
どうして江戸にもあるのか?
ここからの話は、諸説ありますし、
ちょっと長くなりますけど、いいですか。
──
どうぞ。

和助
明智光秀が本能寺の変を起こしたときに、
徳川家康は大阪にいたんですが、
にわかに生命の危険が迫ってきたんです。
なぜかというと織田信長と友だちだから。
──
ええ、なるほど。家臣というか。
和助
そこで家康は「伊賀越え」をするんです。
伊賀を経由して、
伊勢湾から浜松へ帰ろうとしたんですね。
そのとき、滝川一益という、
信長の「四天王」のひとりに数えられる
名将の家臣たちが、
命からがら逃げてきた家康を匿って、
明智光秀から守り、
無事に伊勢湾から浜松に帰したわけです。
──
滝川一益‥‥『信長の野望』に出てきた。
たしかに頼りになる武将でした。
和助
ただ、天下を取った秀吉と相性が悪くて、
滝川家は没落し、
家臣たちは山伏になったり、
太神楽になったりして散り散りになって。
──
ええ、ええ。なるほど‥‥。
和助
その後、家康が江戸で幕府を開いたとき、
「あ、そういえば、
伊賀越えのときに助けてくれた
滝川の人たち、いま何してんの?」って。
恩を返したいから調べろと命じたんです。
──
おお。
和助
そうして、太神楽になった元家臣たちが
江戸に集められ、
彼らはのちのち「隠密」のような存在に
なるんですよ。
その役目は、表向きは太神楽なんだけど、
江戸幕府に忠節を尽くすための
道徳や忠義の教えを七つ、
七福神のなかに隠した「七福神信仰」を
関東地方に広めたり‥‥。
──
太神楽の、お宅訪問システムを使って。
小花
太神楽をやりながら、家々に入り込んで、
刀を隠していないか調べたりしたんです。
和助
そうやって、
もと滝川一益の家臣だった太神楽たちを
関八州に置いて、
さまざまな調査をやらせていたんですよ。
──
そういう歴史があったんですか‥‥。
 
じゃ、現在も続いてる太神楽さんたちは、
同じようにいまでも家々をまわっている。
和助
はい。関東でも水戸では、
いまでも、御神楽まわりをしていますね。
江戸でもなくしちゃいけないってことで、
浅草と神楽坂では町内をまわっています。
──
そうなんですか。知らなかった。
和助
ちなみに浅草では、
うちの師匠が以前にやっていたんですが、
17年くらい前に
復活させましょうよとぼくが言い出して。
2005年から、ずっと続けています。
──
はあ‥‥そういう人たちだったんですか。
太神楽のみなさんって。
和助
ただ、それだけでは食べていけませんし、
ふだんは寄席で太神楽の曲芸を披露して、
お客さまに見ていただいて、
曲芸の腕が落ちないようにしてきました。
──
じゃ、あくまで「ホームグラウンド」は、
家々をまわることだ、と。
寄席ではなくて。
和助
もともとはそうだったということですね。
お正月やお祝いの日に家々をまわってた。
ただし、それ以外の時期つまり
田植えの季節とか仕事の邪魔になるので、
家々の訪問は控えていたので、
太神楽師たちはヒマしてるわけです。
──
なるほど。
和助
それで、家でゴロゴロ寝てるぐらいなら、
寄席で曲芸だけやってくれないか、と。
──
ようするに‥‥寄席のほうから呼ばれて、
太神楽さんたちも、
寄席に出るようになったってわけですか。
和助
昔は「色物さん」という芸人はいなくて、
噺家さんが太鼓芸をやったり、
ものまねをやったりしていたんですよね。
でも、明治とか大正くらいに、
太神楽が寄席に引っ張られてきたんです。
──
なるほど‥‥。
和助
「色物さんが足りねぇ」
「横丁で、太神楽師がヒマしているから、
連れてこい」
みたいな感じだったって聞いていますね。
──
ここで冒頭のお話に戻ると、ようするに、
そういう歴史があるから、
太神楽というのは、「演芸」というよりは‥‥。
和助
はい、「祝福芸」としての一面のほうが
強いかもしれません。
ただ、わたし自身は、
寄席でやらせていただくからには、
演芸としての太神楽も
大事にしていきたいと思っているんです。

(つづきます)

2022-10-24-MON

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  • 翁家社中さんは
    都内の寄席を中心に活動しているので、
    各寄席のサイトで出演情報をチェックすれば、
    おふたりの曲芸を見に行くことができますが、
    今後は自ら、いろんな太神楽の会を
    開催してみたいと思っているそうです。

    「曲芸だけで一時間以上やってみたり、
    逆に、曲芸を一切やらず、
    獅子舞をはじめとする神楽だけの会、
    昔から伝わる
    神楽・曲芸・茶番芝居・鳴り物を組み合わせた
    本来の太神楽の会‥‥など、
    さまざまな会を企画予定しております」
    とのこと。和助さんのTwitterなどから
    告知していくそうなので、
    ぜひぜひチェックしてみてくださいね。

    「今回の記事で
    もし太神楽にご興味をお持ちいただけましたら、
    ぜひ、太神楽を体験しに来てみてください!」
    (和助さん)

    翁家和助さんのTwitter

    ※インタビューの数日後、小林のり一さんがご逝去されました。
    心よりご冥福をお祈りいたします。

    撮影:中村圭介