こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
2年ほど前に
『インタビューというより、おしゃべり。』
という本を出しました。
これは、俳優、画家、自転車修理業、友人、
匿名の会社員、詩人、政治学者‥‥と、
出てくる人がまったくバラバラだったため、
タイトルをつけるのがタイヘンで。
唯一、すべての記事に共通していたのが
「インタビューをとったはずなのに、
出来た原稿は、おしゃべりみたいだった」
ので、こうしたのですが。
今度は逆に、積極的に、最初から
「インタビューでなく、おしゃべりしよう」
と思って、6名の方にお声がけしました。
こころみとして、そうとう無目的。
お声がけの基準は
「以前からおつきあいがあるんだけど、
どういう人か、実はよく知らなかった人」。
3人目は、ナイスなグッズ制作で
いつもお世話になっている
ものつくり株式会社の田沼遊歩さんです。
三木のり平さんのお孫さんでもあります。
さあ、どうぞ。
田沼遊歩(たぬまゆうほ)
さまざまなグッズを制作する「ものつくり株式会社」を営む。ほぼ日でも、各種グッズなどを多数制作くださっている、頼れるお方。おじいさまが三木のり平さん、お父さまが小林のり一さん‥‥という家庭に生まれ育った関係で、芸能関係の著名人との逸話をさまざまお持ちでありました。
ほぼ日刊イトイ新聞の編集者である奥野が過去に行ったインタビューのなかの14篇を、星海社さんが一冊の本にしてくださったもの。ご出演いただいた方々の肩書は、俳優、洞窟探検家、自転車販売・修理業、画家、友人、映画監督、俳優、会社員と主婦、映像作家、詩人・歌手・俳優、俳優・アーティスト、政治学者‥‥と、まさにバラバラ。具体的には柄本明さん、吉田勝次さん、鈴木金太郎さん、山口晃さん、巴山将来さん、原一男監督、山崎努さん、Nさん夫妻、佐々木昭一郎監督、ピエール・バルーさん、窪塚洋介さん、坪井善明先生‥‥と、何が何やら。装丁は大好きな大島依提亜さん、装画は大人気の西山寛紀さん、あとがきの部分でわたくしにインタビューしてくださったのは大尊敬する古賀史健さん‥‥と、なんとも幸せ者な一冊です。Amazonでのお求めは、こちらからどうぞ。
- ──
- 田沼さんご自身は、
舞台だとか役者の世界を目指すことは、
なかったんですか?
- 田沼
- なんとなく、
そんなふうに思っていた時期もあって、
CMに出たこととかはあります。
- ──
- へえ、それは子どものころに?
- 田沼
- ええ、中学生のとき、
ファミコンソフトのCMに出てました。 - いま、YouTubeでいくら検索しても
出てこないんですけど(笑)。
- ──
- そのソフトは、何という‥‥。
- 田沼
- 映画で『ウィロー』って映画があって。
それがゲーム化されたんです。
- ──
- あ、友だちが持ってたような気がする。
RPGでしたっけ?
- 田沼
- そうですね。
- 演出家、映画監督の杉田成道さんの
奥さんがぼくの叔母で、
当時、プロダクションをやっていて。
俳優の原田大二郎さんの
マネジメントとかをやってたんです。
- ──
- ええ。
- 田沼
- で、その叔母から、
「オーディションがあるから、
出てみたら」ってよく言われていて。
- ──
- おお。
- 田沼
- でも、オーディションを受けても、
うまくまとまったことがほぼなくて。 - 100回オーディションを受けても
実際に映画として完成するのは、
そのうち1本あるかみたいな世界で。
- ──
- そうなんですか。
途中で、ナシになっちゃうんですか。
- 田沼
- そういうケースがほとんどでした。
少なくとも、ぼくが
オーディションに参加したものは。 - よっぽど企画が固まっていたりすれば、
かたちになってたのかもしれませんし、
実を結んでいたら、
また別の人生を歩んでいた可能性も
あったのかなあって思ったりしますが、
幸か不幸か、
そういうことにはならなかったですね。
- ──
- それほど積極的になりたいわけでも、
なかったってことですかね。
- 田沼
- そうですね。あんまり。
- やっぱり、見てると厳しい世界だし。
祖父の一座のみなさんも、
当然好きでやってたんでしょうけど、
大変そうではあったので。
酒が入って、祖父に文句を言って、
「出てけ!」とか言われたり(笑)。
- ──
- なるほど‥‥。
- ちなみに、のり平さんの交友関係も
本などで読むと
そうそうたる方々ですけれども、
西村晃さんとは
ずいぶん長く懇意だったそうですね。
- 田沼
- 若いころからの、おつきあいですね。
- 森繁久彌さんや森光子さんなどとも、
仲が良かったです。
- ──
- たしか、戦争中にお芝居をやってて、
特高に目をつけられて
何日か捕まってたときに出た弁当が、
ご近所のお弁当屋さんで、
そこが
青島幸男さんのおうちだった、とか。 - お父さまの小林のり一さんのご著書
『何はなくとも三木のり平』に。
- 田沼
- 少し前にも、ビートたけしさんが
軍団のみなさんをつれて
四谷のバーに行ったら
三木のり平がカラオケ歌ってたって
水道橋博士のコラムにあったんですが‥‥。
- ──
- おお、そうなんですか。
- 田沼
- 本人はすごい寂しがり屋だったんで、
誰かと飲みに行ったら、
朝まで付き合わせちゃったりとか
していたみたいですね。 - ぼくも、夜遅くに家に帰ってきたときに、
役者仲間が
ちょうどフラフラと帰るところで、
そういうときは
祖父も機嫌がいいから、
「お前、食えてるのか」とか
「お前、俺のことを恨んじゃいないよな」
なんて言ってきたり(笑)。
- ──
- まるで映画の台詞みたい(笑)。
- 田沼
- そうそう(笑)。
- 「いや、別に恨んでなんかいないけどね」
って返したんですけど。
- ──
- 田沼さんご本人のことをうかがうと、
学校を出たあとって、どうしたんですか。
- 田沼
- 高校が終わる時点で、
何も努力したくなかったんですよ(笑)。 - だから大学へも行かずに、
なんとなく
ホテルのベルボーイの仕事につきました。
そのままハタチになり、
このあと
どうしようかなと思いはじめていたころ、
知り合いから、
「グッズをつくる会社で人を捜している」
と教えてもらったんです。
- ──
- ええ。
- 田沼
- それで面接を受けて、すぐ就職しました。
音楽系のグッズをつくる会社で、
当時はエイベックスさんの仕事が多くて。
- ──
- 音楽業界の景気も、よかったころ。
- 田沼
- むちゃくちゃでしたね。
CDが500万枚とか売れたりしていて。
- ──
- 恐ろしいですね。はあ‥‥。
音楽、好きだったんですか。
- 田沼
- うちの母が糸井事務所ではたらいていた
床屋かなぶんさんと仲良くなって、
ぼくも可愛がってもらい、
中学生のころに
RCサクセションの武道館コンサートに
連れて行ってもらって以来、
いまでも清志郎ファンではあるんですが、
グッズの制作については、
とくに、やりたかった仕事じゃなかった。 - でも、やってみたらたのしくて。
いつのまにか今にいたるって感じですね。
- ──
- で、どこかのタイミングで会社を辞めて、
いまの会社を起業した?
- 田沼
- 前の会社が、傾いてしまったんですよね。
完全に倒産したわけじゃないんですが、
お給料が貰えない感じになってしまって。
- ──
- 大変ですね、それは。
- 田沼
- で、アートディレクターの秋山具義さん、
いらっしゃるでしょ?
- ──
- ええ、はい。
ほぼ日の黎明期からお世話になってます。
- 田沼
- あるとき、ラーメン二郎目黒店の行列に
並んでいて、
ひまつぶしにTwitterを見ていたら
秋山さんが
「ラーメン二郎目黒店なう」とかって。
- ──
- 近くにいらっしゃるのか、と。
- 田沼
- そう、で、探してみたら発見したんです。
- で、
「秋山さん、Twitterフォローしてます」
って話しかけたんです。
- ──
- 積極的。
- 田沼
- そのときイタリアのスイーツブランドの
BABBIのチョコレートの
パッケージの制作を担当していたんです。 - それで、秋山さんに
デザインお願いできませんかって言って。
- ──
- え? その場で?
- 田沼
- はい。
- ──
- ラーメン二郎の行列で?
- 田沼
- そう。
- ──
- 斬新(笑)。
- 田沼
- で、秋山さんに
「じゃあこんど、事務所に遊びに来なよ」
と言ってもらって、
デザインをしてもらうことになりました。 - 完成したときに、秋山さんが
「これ、ほぼ日でも紹介してもらおう!」
とおっしゃったんです。
- ──
- つまり、それ以来のおつきあいでしたか。
我社とは。 - はあ‥‥
ラーメン二郎がつないだご縁だったんだ。
- 田沼
- そうなんです。そのことをきっかけに、
ほぼ日さんから、
お仕事をいただけるようになったんです。
- ──
- ただ、まだ独立してないですよね?
- お話の流れ的に、
ラーメン二郎目黒店の行列に並んでる時点では。
- 田沼
- ええ、ほぼ日さんで
「MOTHER」のiPhoneケースを
つくらせていただいたときに、
勤めていた会社の
支払い能力がなくなってしまったんです。 - でも、iPhoneケースの仕事は受注済みで、
仕方がないので、
ぼくが個人で制作を引き継いだんですよ。
- ──
- そこから独り立ちされた。
- 田沼
- そういう流れですね。
- ──
- それ以来、ものつくりといえば田沼さん、
という感じで、
おつきあいさせていただいていますけど。 - うちでお願いしているのは、
布や紙でできたものが多いと思いますが、
そうじゃない、カタいものとかも?
- 田沼
- やってますよ。
- ──
- これまでにつくった、カタい物体は。
- 田沼
- 何だろう‥‥。
- 以前、音楽の店頭用ディスプレイを
つくったことがあって。
タワレコ1階の目立つ場所に置くもので、
スモークを出したいと言われて。
- ──
- おー、スモーク仕込み。
- 田沼
- 安請け合いしちゃったんですけど‥‥
やっぱりむずかしくて(笑)。
ものすごい苦労したことがありますね。
- ──
- どういった代物なんですか。
- 田沼
- ディスプレイの周囲に
水槽みたいな囲いをくっつけて、
そこでスモークを焚く。 - ボタンを押すとスモークが吸い込まれて
ジャケットを描いたディスプレイが
浮かび上がってくるっていうものでした。
- ──
- イメージしきれませんが、
そんなの、よくつくりましたね(笑)。
- 田沼
- 装飾関係の知人に話を聞いて回りました。
- 「そんなの、つくったことないよ」
とか言われつつも、
まあ、でも、
だいたいつくれちゃうもんなんですよね。
- ──
- 頼れるなあ(笑)。
- 田沼
- 空飛ぶクルマをつくってくれとか
そういうのは無理ですけど、
現実に存在可能なものであったら、
大概はなんとかなります。
- ──
- プロだ。
- 田沼
- 昔の音楽業界のお仕事って、
ムチャぶりのお仕事も、けっこうあって。 - 納期もめちゃくちゃなタイトなうえに、
わがままを言う人が
ポイントポイントに待ち構えてるんです。
「できないとは言わせねえ」
みたいな(笑)。
そこで、すごく鍛えられましたね。
- ──
- それで、頼まれたものは
だいたいつくっちゃう身体に(笑)。 - ぼくらもつい甘えて、
田沼さんにご負担をかけないような
発注をしたいと思います。
- 田沼
- いえいえ、でも納期について言えば、
なんか「ちょうどいいギリギリ感」って、
あったりするので。
- ──
- それは‥‥?(笑)
- 田沼
- 気持ち、追い詰められるくらいの納期で
一気に走り抜けるほうが、
結果として
クオリティの高いモノができるっていう、
そういう感覚があるんです。
(つづきます)
2022-05-11-WED
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田沼遊歩さんのお父さまであり、コメディアン・俳優の小林のり一さんが語る、父・三木のり平さんのこと。冒頭から、戦時中に芝居をやっていた関係で別件逮捕・勾留されていたら、ご近所のお弁当屋さんの弁当が出てきて、それが青島幸男さんのご実家だった‥‥などなど、しびれるエピソードが満載。のり一さんの語りを軸としながらも、合間合間に昭和芸能史の文献からの引用を交えた構成で、読みごたえがすごい。リアルタイムでは知らない時代のお話なのに、じつにおもしろいです。Amazonでのおもとめは、こちらから。