こんにちは、ほぼ日の永田です。
もう、20年以上前から、2年に一度、
オリンピックの全種目を可能なかぎり観て、
そこに寄せられる膨大なメールに目を通し、
それらを翌朝までに編集し、読むだけでも
1時間くらいかかる長文コンテンツに仕上げて
大会期間中毎日公開する、という、
常軌を逸することをやっておりました。

しかしそれも2020東京オリンピックで一区切り。
前回の北京オリンピックからは、
毎日、観ることは観るものの(観るんですね)、
メールの編集と長文テキストの公開はやめて、
1日1本、観戦コラムを書く、という、
のんびりした姿勢でやっています。

観戦しながらのリアルタイムな感想は、
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ぎゃあ、とか、うぁっ、みたいな反応は
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#05

ふたつの逆転劇

 
スポーツを観るときに、
いちばん大切なことは願うことだと思っている。
もう、勝手な都合でかまわない。
理想論に理想論を掛け算するくらいでちょうどいい。
こうなればいいのにな、
こうなって、おまけにこうなっちゃえば最高なのにな、
ということを、真剣に、具体的に、
願えれば願えれるほど、
スポーツ観戦はおもしろくなる。
ぼくはそう思っていて、
こんな言い方をするとばかみたいだが、
つねに希望を捨てずにスポーツを観ている。
俺ってやつは、夢を捨てないスポーツ観戦者だ。
いつだって奇跡を祈る青春スポーツウォッチャーだ。
けれども、と、
昨夜から今朝にかけてぼくは思ったのだ。
そんなに夢を信じている自分が、
どうしてその奇跡がほんとうに起こったときに
毎回、あんなに驚くのかと。
どゎあぅっと素っ頓狂な声をあげるのかと。
それは、いってしまえば、
ほんとうにそうなることを信じていないからだと思う。
もっといえば、そうなることを願うことと、
そううまくはいかないよなあとあきらめることの、
両面がスポーツ観戦には必要なんじゃないか。
いや、むしろ、そうなってほしいと
真剣に願う自分の両足は、
そううまくはいかないけれどという
現実的な領域にあるべきなんじゃないか。
ああ、これはややこしい。
というか、他者からすれば、徹頭徹尾、
「しらんがな」という話で申し訳ない。
例をあげよう。
スポーツでものすごい奇跡が起きたとき、
当然、観客たちは熱狂し、
それをやってのけたアスリート自身も
我を忘れて叫んでいたりするのだが、
すっとカメラに抜かれた監督やコーチが
恐ろしいほど冷静なときがある。
あれが、ほんとうのほんとうに奇跡を信じている人だ。
そうなるに決まっているという領域にいる人だ。
あれは、常人には、無理だ。
2009年に開催された第2回WBCの決勝戦で、
同点の延長10回表、二死一三塁で打席に立ったイチローは、
ファウルで粘ったすえに韓国の林昌勇投手から
センター前へ2点タイムリーヒットを放った。
完全にそれを信じていたのが当のイチローで、
彼は送球がホームへ投げられる間に2塁へ進みながら、
絶対に表情を崩さないと決めていた。
なぜなら、それがいちばん相手にとっていやだから、と。
これはもう、ふつうではない。
ちょっとおかしい領域だ。
イチローの話になってしまうとまずいが、
それをずっとやり続けたのがイチローという
常軌を逸した人だったのだと思う。
話を一般のスポーツファンに戻す。
庶民的な俺に戻す。
冒頭に述べたように、
スポーツをおもしろく観戦するときに大事なことは、
こうなってくれと具体的に願うことだ。
アルプス席の高校生のように
胸の中央で両手を指を組んで祈ることだ。
それを一方の極として、
そうはならないんだよなあと
どうしても疑ってしまう庶民性こそが、
スポーツ観戦をおもしろくするのだとぼくは思う。
奇跡を信じる気持ちを
25メートルプールの向こう側だとして、
そのへりに一回足をついてから、
現実の側にぽーんとターンして
惰性でしばらく戻って来た中央あたりが、
スポーツ観戦者の最適な位置なんじゃないか。
抽象的かつ「しらんがな」という話で申し訳ない。
だってね。思い返してごらんよ。
前回のオリンピックで金メダルをとった
スケートボーダーの堀米雄斗選手は、
まず日本代表の3人に入ることが危ぶまれていた。
ブタペストで行われたパリオリンピック最終予選で
優勝する以外にその可能性はなく、
しかもその最後の試技で
最高得点を叩き出すしかなかったところ、
そこで見事に会心のトリックを決めて
ぎりぎりパリオリンピック出場を決めた。
その3人目の男が臨んだ
昨夜の男子スケートボードストリートは、
アメリカのレジェンド、ナイジャ・ヒューストンが
予選からとにかく調子よくてかっこよくて、
観客席もあきらかに彼に支配されていた。
観ているぼくもたいへん庶民的に
ナイジャ・ヒューストンかっけーと思っていた。
しかし予選でそんな彼をおさえてトップに立ったのは
アメリカの新鋭、ジャガー・イートンで、
キレもノリも絶好調といってよかった。
スケートボードの本場ともいえるアメリカのふたりは
本戦に入るとむしろさらに勢いを増し、
ランでともに90点台を出して上位を占めると、
5回の試技があるトリックで、
1回目、2回目ともに二人で高得点を出し、
あとは新旧のどちらの才能が
金メダルをとるかという雰囲気になっていた。
ちなみにぼくはナイジャ・ヒューストンを応援しながらも
ジャガー・イートンが勝つだろうと思っていた。
一方の日本勢は白井空良選手の調子がよく、
アメリカのふたりを追って3位に食い込んでいた。
得点にむらのあるスロバキアのツーリの
爆発力がちょっと怖かったが、
このままいけば、白井選手が
東京オリンピックで決勝にぎりぎり進めなかった悔しさを
銅メダルで払拭できるのではないかとぼくは思った。
スケートボードストリートの勝敗は、
コースを45秒間自由につかって得点を競う「ラン」と、
一発の技を5回競う「トリック」の総合点で決まる。
ランは1回分、トリックは2回分の得点が足される。
堀米雄斗はランで89点台を出し、
トリックの1回目で90点台を出したものの、
2回目、3回目、4回目と着地することができず、
3連続で0点に終わっていた。
述べたようにトリックは5回の試技のうち、
得点の高い2回分が総合点の要素となる。
つまり、堀米雄斗は、
最後の5回目のトリックで着地を成功させないと、
そもそも得点争いに加わることもできない。
この日のトリックの最高点は、
1位にいるジャガー・イートンが出した95.25だ。
堀米雄斗が勝つには、最後の最後に
それを大きく上回らなければならない。
0点、0点、0点、と続いたあとの最後の5回目で。
さあ、ここで、
どれだけ願えるだろうか、ぼくらは。
もちろんぼくは願ってはいた。
堀米雄斗が土壇場に強いのも知っていた。
けれども、トップと何点差あって、
何点以上とってくれとまでは、
正直、具体的に願ってなかった。
もっと正直にいえば、なんとか着地を決めて
0点以外になってくれと思っていた。
いま、記録を調べると、最後の5回目で、
堀米雄斗は「96.99」以上を出さなければならなかった。
最後に決めた大技の正式な名前もぼくは知らない。
ただし、あきらかに別格の技だということは、
観客のどよめきと、解説者の瀬尻稜さんの叫びと、
なにより、着地した堀米雄斗がスケートボードを
蹴飛ばして吠えたことでわかった。
そして最後に刻まれた得点は「97.08」で、
堀米雄斗はジャガー・イートンを、
なんと「0.1点差」で上回ることとなった。
0.1点差だよ? 300点満点だよ?
堀米雄斗、金メダル。
ジャガー・イートン、銀メダル。
ナイジャ・ヒューストン、銅メダル。
そんな漫画みたいな展開を、
さすがに庶民的なぼくは、
願いながらもこころの底から信じきれてはいなかった。
だから、それが決まったときに、
むぅぉうっと声を出したのだ。
イチローさんみたいにはいかないよ、やっぱり。
そしてこの日はその後、さらに深い時間に、
もうひとつの大逆転劇が待っていた。
体操男子団体である。
内村航平さんたちの話によれば、
日本チームのライバルは中国、
それもかなり厳しい戦いになるだろう、
といわれていて、
実際、そのとおりの展開になった。
スケートボードと体操競技は、
同じように審査員が採点したスコアを競うものだが、
競技の本質はある意味真逆だともいえる。
体操が、ひとつひとつの技に、
あらかじめ難度と得点が細かく決められているのに対し、
スケートボードは個々の規定がなく、
難易度やスピード、独創性などを加味して
総合的に判断がくだされる。
スケートボードでよくいわれるのは、
「いちばん会場を魅了した
かっこいいパフォーマンスが評価される」ということ。
そもそもスケートボードは
コースのなにをどうつかおうが自由なので、
競技の成り立ちが違うのだ。
ぼくは、体操やフィギュアスケートが、
不公平のないように審査基準が細かく規定され、
それがあまねく選手や観客に公表されることを、
スポーツの成熟として肯定する一方で、
スケートボードやブレイキンなどが、
選手の自由な演技を第一の前提として
審査がそれを受けるかたちで
総合的に判断されるということも
すごくいいことだと思っている。
理屈や科学で解像度を極限まで
あげていくのもスポーツのおもしろさだし、
自由や創造性を大切にして
人々に感じてもらうのもスポーツのよさだと思う。
ふたつの競技はそもそもの種類が違う。
だから、最終盤に逆転が起こるとしても、
その逆転の起こり方はまったく異なる。
スケートボードの大逆転においては、
言ってしまえば漫画のようなことが起こり得る。
最後の最後に主人公が全員を驚かせる
スーパーでハイパーな技を成功させれば、
総合的に予想外のジャッジがくだされることもある。
(脱線するが今回の競技で、
カナダのラッセル選手の斬新な技の数々を、
愛すべき解説者の瀬尻さんが、
「この技をほかの誰もできないので、
ある意味、審査のしようがないですね」
と言っていたのがとても興味深かった)
一方、述べたように体操は
ひとつひとつの技の得点が規定されている。
しかも、選手のひとりひとりが、
本番でどのような技をどうくり出すかということは、
練習と本番をくり返して精度を上げていく関係上、
実質的には事前に決まってしまっている。
得点差や選手の当日の調子を鑑みて、
ひとつ下の技に落としたり、
技そのものを抜いたりすることはしばしばあるが、
誰も観たことのないスーパーな技が、
最後の最後に繰り出されることはほぼない。
あったら深夜にぼくはテレビのまえで
ひぎゃぁとか言っちゃうと思うけど、まあ、ない。
なにが言いたいかというと、
昨日の体操男子団体、日本対中国の得点差である。
「観たぞ」シリーズの常連投稿者で
何年も前から競技の得点差などを誠実に報告してくれる
とらちゃんさんのメモによれば、
両チーム最後の鉄棒を残して、
1位中国と2位日本の得点差は「3.267」点。
実況アナウンサーと解説の米田さんが
明言したわけではないが、
中国が予定の演技をすべて完璧に成功させた場合、
どれだけ日本ががんばっても
その差は埋まらないだろうというニュアンスだった。
日本はベストを尽くすだけです、というまとめのあと、
アナウンサーの方は慎重に、
「ただ、鉄棒には落下があります」と言って、
それ以上のことばを飲み込んだ。
そうなのだ。
細かく規定された採点競技で、
観るものが逆転を願う場合、
「ライバルの失敗」を願わなければならない。
それは、なんというか、簡単にはいえない、
とても難しい問題である。
なんというか、
あなたはそれを願ってないのかと、
問い詰めること自体を
してはいけないような問題だとぼくは思う。
この原稿がもうすでに
とんでもない長文になってしまったのを百も承知で
あたらしくエピソードを付け足すけれども、
先日引退を発表した
フィギュアスケーターの宇野昌磨さんが、
北京オリンピックで銅メダルをとったあとの
記者会見で言ったことをぼくはよく覚えている。
金メダルへの思いを、
あらためて記者から聞かれた宇野昌磨さんは、
その大会で金メダルをとった
アメリカのネイサン選手と自分の
大会実施時の実力差を認めたうえでこう言った。
「この大会で金メダルを取るのを
目標にすること自体が、自分の成功じゃなく、
ネイサン選手の失敗を願うことと
一緒だと思っていたので、
それはまったく考えてなかった」と。
なんてすごい発言なんだとぼくは思った。
また宇野昌磨さんの話になっちゃうのもあれだけど、
オリンピックに臨んだ世界トップのアスリートが、
自分が銅メダルを獲得するほどの実力を持ちながら、
競技の透明性と自分たちのプランを知り尽くすからこそ、
「それを願うのは相手の失敗を願うことだから
金メダルのことは考えない」と言ったんですよ。
ああ、なんて美しいコメントだろう。
もう、まとめますね、原稿を。さすがに。
今日のパリオリンピックがはじまっちゃうから。
体操男子団体の最終局面、
ぼくはもちろん金メダルを願ったけれども、
こうなったうえでこうなってくれという、
スポーツ観戦者特有の理想の展開を
上手に持つことができなかった。
いや、もちろん、ぼくはそこまで上品じゃない。
相手にすこし失敗があって、
日本が3人全員着地を決めてくらいのことは思う。
「観たぞ」シリーズ的にいえば、
「ちょっとだけ気を抜いていただければ」的なことは
やっぱり思うけれども、
そのさきをことばにはできないし、
勝ったときも叫び声がすこしだけ控え目にはなる。
だからこそ、日本のエース、橋本大輝選手が
最後の鉄棒で会心の演技を決めたあと、
もりあがる観客席に向かって、
つぎの中国の競技のために静かにするように
求めたことをうれしく思うし、
総合得点が出るまえに日本チームと中国チームが
互いに健闘をたたえあっていたことをすばらしいと思う。
ひとつの夜に起こったふたつの大きな逆転劇は
ぼくによろこびと興奮をもたらしながら、
ついでにスポーツというものの
たっぷりとした豊かさを感じさせた。
それを書こうと思ったら、わあ、こんなことに。
すみません、こんなに長々と。
書き散らかしながら、オリンピックは進んでいく。
驚いたことにまだまだ大会は序盤である。

(つづきます)

2024-07-30-TUE

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    タイトル写真:とのまりこ