こんにちは、ほぼ日の永田です。
もう、20年以上前から、2年に一度、
オリンピックの全種目を可能なかぎり観て、
そこに寄せられる膨大なメールに目を通し、
それらを翌朝までに編集し、読むだけでも
1時間くらいかかる長文コンテンツに仕上げて
大会期間中毎日公開する、という、
常軌を逸することをやっておりました。

しかしそれも2020東京オリンピックで一区切り。
前回の北京オリンピックからは、
毎日、観ることは観るものの(観るんですね)、
メールの編集と長文テキストの公開はやめて、
1日1本、観戦コラムを書く、という、
のんびりした姿勢でやっています。

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#07

オリンピック中継の技術

 
オリンピックを観ているけれども、
実際、ぼくらはテレビやモニターやスマホを観ている。
現地で起こっているそのままのものを観ているようで、
じつは観戦しやすく整えられたものに、
実況や音声や情報が添えられたものを観ている。
画家の山口晃さんが、
絵画における技術とはなにかと問われて
「透明度である」と表現されたことがある。
たとえるならタオルがビニール袋に入っているとき、
袋の透明度が高ければ
なかのタオルの色や質感がうまく伝わる。
ところが中途半端に不透明だと
よけいなことを考えさせてしまう。
「つまり、つくり手の意図するところへ、
見る人をすうーっと導いてくれるのが技術」であると。
引用元:『技術とはなぜ磨かれなければならないか。
(この話はとてもおもしろいので
時間があったら読んでみてください)
オリンピックに代表されるスポーツ中継の技術も、
まったくそうだなあと思う。
なんとかスコープとか、マルチアングルどうとかとか、
そういうんじゃなくて、いや、そういうのは、
おたのしみ企画としてあるのはいいけど、
SNSの声をちらちら載せるとかいうのも
いろいろ試してみるにはいいけど、
ほんとうのスポーツ中継の技術というのは、
山口晃さんがおっしゃったように、
「見る人をすうーっと導いてくれる」ものなのだと思う。
かといって、現地の映像をそのまま流せば、
ぼくらがよろこぶかというとそうではない。
よく、口うるさいスポーツファンは、
いろいろちょこちょこ情報とか入れずに
そのまま流せ的なことを言ったりするけれども、
たまにネット配信で
日本人選手の出ていない競技を観てみると、
実況も画面表示も英語だけで
やっぱり情報がすくなすぎるから、
競技そのものはおもしろくても、
観ているうちにだんだん散漫になってくる。
昨日のトライアスロンとかも、
競技自体もおもしろいし
(何度観ても無茶する競技だなぁと思う)、
つっこみどころも含めて観戦しがいがあるんだけど、
英語の中継だけだと
どうしても観かたが浅くなってしまう。
勝手なスポーツファンとしていわせてもらうと、
そのまんまの素の放送もやっぱり困るのだ。
だから、まさに山口さんがおっしゃるように、
観る側に介在をほとんど意識させず、
スポーツの興奮にすうっと導いてくれるのが
よいスポーツ中継の技術なのだと思う。
パリオリンピックを観ているぼくらは、
連日、深夜から明け方にかけて熱狂しているが、
そこにはたっぷり技術が施されている。
たとえば競技中、カメラはじつは
めまぐるしく切り替わっているのだが、
観ているぼくらはそれを意識しない。
競技にすこしの間が空くと、
五輪マークのアイキャッチのあとに
直前のプレイのスローが流れたりするが、
その映像はかならず競技が再開されるまえに終わる。
そもそもそのスローリプレイだって、
数秒前のことなのに、
まさに「そこを観たい」というものを切り取ってくれる。
いや、ほんと、すごい技術だと思う。
そういう意識されないすごさって
気づくことが難しいけれど、
「そういえば昔のオリンピックって
もっとストレスがあったよなあ」と考えると、
いまの放送の技術やよさが理解できたりする。
わかりやすいところでいうと、
昔のオリンピックは目当ての日本人選手が
いつ登場するのかということについてとても不親切だった。
「このあとすぐ!」とか言いつつ、
1時間くらい出てこないことも平気であった。
今回のパリオリンピックでは
「2試合後」などと表記されたり、
登場する選手の順番がずっと画面に出ていたりする。
これだけで、観る側のストレスはずいぶん減る。
ストレスでいうと、
個人的には試合直後の選手へのインタビューが
とても不満だったのだが、
これもすごくよくなったと思う。
ちょっとまえのオリンピックだと、
質問がお決まりで、現状を踏まえてなくて、
どうしてそれをいま聞くの?
ということがとても気になった。
なんというか、競技をあまり知らないアナウンサーが
台本どおりのインタビューをしている感じだった。
ところが、どの大会からか、
選手にマイクを向ける役割を、
競技経験者が担当することになった。
効果はてきめんで、話す選手の表情や答え方が
とても自然で余裕のあるものになった。
これは大きな技術だった思う。
ぼくはどの競技を誰が担当しているかを
あまり詳しく把握していないんだけど、
今回のパリオリンピックの
柔道の試合直後のインタビュー
(穴井隆将さんだろうか?)は、
敗れて涙があふれる選手にやさしく寄り添っていて、
すごくいいなと思う。
負けたばかりの選手にインタビューするのはどうか、
というのはまた別な問題だとして。
放送がよくなることは、
観る側にとってどんどん無意識になるということだから、
とりたてて褒められることではなくて、
むしろなにかあったときだけ声があがるから
悪くなってるようにさえ思われるけれども、
実際、オリンピックの放送は、大会を重ねるたびに、
だんだんよくなっているのだとぼくは思う。
意識させない技術の上にプラスすることでいうと、
実況のアナウンサーと解説者の組み合わせもすごくいい。
話題になっているスケートボードの
瀬尻稜さんと倉田大誠さんのコンビ。
熱くて冷静で公平な柔道の解説、
穴井隆将さんと大野将平さん。
あと、昨日の体操個人総合の米田功さんと
清水俊輔さんもとてもよかった。
そこだけちょっとふくらませて書くけれども、
岡慎之助選手が金メダルを獲得したこの競技、
最後の種目の鉄棒を岡選手が終えた時点で1位となり、
あとは中国の張博恒選手の演技を待つだけとなった。
清水アナウンサーは
張選手が勝つためには何点が必要なのかを説明したあと、
彼が団体予選の鉄棒のときはその得点を上回っていて、
一方で団体決勝では下回っていたということを伝えて、
最後に気持ちを込めて、こうまとめた。
「ですから、まったくわかりませんっ!」
これを聞いてぼくのテンションはものすごく上がった。
なんというか、
わからないということがとてもよくわかった。
体操競技は個々の技に規定があるので、
実況の方や解説者の方にある程度の未来が見えている。
だからいつもぼくらにわか視聴者は、その予想を聞いて、
「どうやら高得点の可能性があるぞ」とか、
「この選手はこれが苦手っぽいぞ」とか知るわけだけど、
そのアナウンサーが最後のクライマックスを前に
「まったくわかりませんっ!」というのだから、
うわぁ、ほんとにわからないんだ、と興奮した。
実況アナウンサーが残した
競技中の名言は数々あるけれど、
めずらしい競技前の名言としてぼくは
清水俊輔アナウンサーの
「まったくわかりませんっ!」を忘れないと思う。
あ、でも、競技前の名言としては、刈屋富士雄さんの
「冨田が冨田であることを証明すれば、
日本は勝ちます」もあるなあ。
ああ、なんだか最後は思い出話みたいになってしまった。
当たり前に毎日観ているオリンピックの中継について、
そこに込められている、
視聴者には意識されない技術について、
あらためて感謝したくなって書きました。

(つづきます)

2024-08-01-THU

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    タイトル写真:とのまりこ