こんにちは、ほぼ日の永田です。
もう、20年以上前から、2年に一度、
オリンピックの全種目を可能なかぎり観て、
そこに寄せられる膨大なメールに目を通し、
それらを翌朝までに編集し、読むだけでも
1時間くらいかかる長文コンテンツに仕上げて
大会期間中毎日公開する、という、
常軌を逸することをやっておりました。

しかしそれも2020東京オリンピックで一区切り。
前回の北京オリンピックからは、
毎日、観ることは観るものの(観るんですね)、
メールの編集と長文テキストの公開はやめて、
1日1本、観戦コラムを書く、という、
のんびりした姿勢でやっています。

観戦しながらのリアルタイムな感想は、
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ぎゃあ、とか、うぁっ、みたいな反応は
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#09

第2ゲームの20点目

 
映画を観ていて、ものすごく好きな場面があったとき、
ああ、もう、あとはどうなってもいいや、と思うことがある。
たとえこのあとがあんまり好きじゃない展開になっても、
仮にエンディングが納得いかなかったりしても、
この場面があるだけで、いまこれを観ることができただけで、
俺、この映画、好きだわ、と思うときがある。
そういうのって、理屈では説明ができない。
ぼくは整合性とか辻褄とか伏線回収とか、
そういう理屈で説明できる丁寧なものも好きだけれど、
なにか一発の謎に満ちたおかしなものが現れて
それが全体の設計図をふっ飛ばしてしまうと、
うわあ、と頭を抱えて魅了されてしまう。
映画に限らない。漫画でも絵でも音楽でも。
お笑いでも料理でも会話でも風景でも。
そして、もちろん、スポーツでも。
パリオリンピックを観ていて一週間くらいになるが、
昨夜、まさにその稀有な感覚に包まれた。
ああ、もう、これでいいよ、と思った。
それは、バドミントン混合ダブルスの3位決定戦。
渡辺勇大選手と東野有紗選手の「わたがしペア」が
第2ゲームで20点目をとった場面だ。
もうすこし詳しく説明すると、
わたがしペアの相手は、
韓国のソ・スンジェ選手とチェ・ユジョン選手のペア。
ミックスダブルスの世界ランキング2位の強豪である。
わたがしペアのランキングは5位だから、
ランキング的には格上のペアとの対戦だった。
勝ったほうが3位、勝ったほうが銅メダル。
どちらのペアにとっても
パリオリンピック最後の試合。
気持ちも疲労もピークだったと思う。
序盤からひりひりするようなプレイが続くなか、
わたがしペアが先に1ゲームをとる。
もう1ゲームとると銅メダルだ。
しかし2ゲーム目はまさに一進一退、
どちらがとるのかまったくわからない展開だった。
ちなみにバドミントンの1ゲームは21点。
両ペアの得点がすこしずつそこへ近づいていく。
そして、19-17。
わたがしペアが2点リード。
あと2点で銅メダル、というよりも、
観ているほうとしては、
「あと1点でマッチポイント!」という局面だ。
なんとか先に20点目をとってくれ、とぼくは祈った。
へんな言い方だけれど、
この怖い試合をはやく終えてラクになりたい、
というような気持ちがあったと思う。
テレビで観ているだけなのに。
ああ、思い出しながら書いてるだけで、
あのひりひりした空気がよみがえってくる。
サーブのまえに一瞬の静寂があり、
現地の観客もぼくらも沈黙する。
東野有紗選手がポン、と短くサーブを入れる。
そこからのラリーが、じつに51回続いた。
51回だよ? 
もちろん、シャトルを落とさないように
たのしく打ち合う51回ではない。
撃ち抜くような、虚を突くような、
振り回すような、出し抜くような、
すべて相手を攻め続ける51回だ。
気持ちも疲労も最高に高まっているこの場面で、
4人が必死で打ち合うシャトルが
何度も何度もネットを超えるたび、
ぼくの身体のなかで興奮と恐怖と歓喜と絶望が
螺旋状に、加速度的に、高まっていった。
もう、なんだかたまらない気分になった。
ラリーの途中、「これは決まった!」
と思うショットが余裕で4、5回はある。
一回はネットに引っかかってインする。
高速のスマッシュがある。高いロブがある。
それらを4人がぜんぶ拾う。ぜんぶ拾う。
拾うだけじゃなく、攻撃的に打ち返す。
前に出て、左右に振り、バックラインぎりぎりに打ち、
ネット際に落とし、スマッシュし、ボディに返し、
ダイブして、カバーして、解説者も「うわぁ」と叫ぶ。
ぜんぶ拾って、ぜんぶ打ち返す。
そして51回目、渡辺勇大選手の
コートやや後方からのジャンピングスマッシュが、
ややドロップ気味にネット際にふわりと落ちるとき、
ソ・スンジェ選手がラケットをのばして飛び込むが
ぎりぎり届かず、長い長いラリーは終わる。
なぜかぼくはここで泣き出していた。
ああ、もう、これでいいや、と思った。
勝っても負けてもないのに、涙がぽろぽろ出た。
スポーツを観る意味がここに詰まっているような気がした。
もう、これが観られたんだから、
勝っても負けてもいいと思った。
いや、もちろん、100%、勝ってほしいんだけど、
それとはまったく別の次元で満ち足りたぼくは、
なんで泣いてるんだと自分で思いながら、
思わず開いているPCのファイルに「20点目」とメモした。
これを憶えていたい、と思ったのだ。
ぼくは、スポーツで接戦を観るたびに、
よくできたルールだなあといつも思う。
競技を問わず、世の中に残っているスポーツは
ルールがほんとうによくできている。
リクエストとか延長のシステムとか、
細かいルールは時代とともに調整されるものの、
根本的なルールはとてもよくできている。
いちばんそれを感じるのは、
たったひとつのポイントや、たったひとつのプレイで、
勝敗の流れが大きく動いていくところだ。
両チームがまったくの互角で、
この試合は終わらないんじゃないかと
観客が思うようなときに、
「ある1点」がどちらかに入るだけで、
いきなり試合の終わりが訪れたりする。
希望がまったく見いだせないような局面を、
ひとつのスーパープレイが
ものの見事にひっくり返したりする。
わたがしペアが
51回のラリーのすえに勝ち取った20点目は、
そういうもののひとつだったとぼくは思う。
どっちが勝つかわからないこの試合で、
ずっと続くんじゃないかと思えたこの試合で、
コートのなかにいた4人が
それぞれに全力で自分を表現して、
ついにラリーが終わって得点が入ったとき、
ふわっと景色が変わったような気がした。
ぼくが観たいスポーツは、こういうものだ。
あ、ちなみに、ですね。
ここまで書いておいてなんですけど、
この「51回」という数は、
動画を観ながらぼくが
「1、2、3、4、5‥‥」と数えただけなので、
ひょっとしたら間違えてるかもしれません。
サーブを「1」として声に出して数えていって、
決まったのが「51」だったんだけど、
ラリーの数え方として合ってるかどうかもわからない。
最後の最後でキーワードの数字の
信頼を根底から揺らしてコラムを終わります。
さあ、ぼちぼち後半ですね。

(つづきます)

2024-08-03-SAT

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    タイトル写真:とのまりこ