こんにちは、ほぼ日の永田です。
もう、20年以上前から、2年に一度、
オリンピックの全種目を可能なかぎり観て、
そこに寄せられる膨大なメールに目を通し、
それらを翌朝までに編集し、読むだけでも
1時間くらいかかる長文コンテンツに仕上げて
大会期間中毎日公開する、という、
常軌を逸することをやっておりました。
しかしそれも2020東京オリンピックで一区切り。
前回の北京オリンピックからは、
毎日、観ることは観るものの(観るんですね)、
メールの編集と長文テキストの公開はやめて、
1日1本、観戦コラムを書く、という、
のんびりした姿勢でやっています。
観戦しながらのリアルタイムな感想は、
永田の旧ツイッターのアカウント
(@1101_nagata)で発信しています。
ぎゃあ、とか、うぁっ、みたいな反応は
そちらでおたのしみください。
旧ツイッターのアカウントをお持ちの方は
ハッシュタグ「#mitazo」をつけて、一緒に、
くわっ、とか、ひぃぃ、とか言いましょう。
#14
ふんばらなきゃいけない
- 昨夜、一瞬、わけがわからないことになった。
思わずツイッター(現X)に
「スポーツ錯綜状態。」と書いた。 - スケートボード男子パークの予選が終わり、
レスリングの決勝までも時間があり、
たくさんの種目があちこちで中継されている
オリンピックのコアタイムではあるものの、
いまかならずこれを観るべきというものがない、
という状態になった。 - いや、それくらいはよくある話だ。
これまでもよくあったよ、そういう時間帯。
だが、この日はもうひとつ新しい要素が加わっていた。
そう、高校野球が開幕したのである。 - っておい、オリンピックじゃないじゃないか。
はい、そうなんですけどね。 - たしかにぼくは高校野球が好きだが、
さすがにオリンピックとそれを重ねて観たりはしない。
実際、日中も高校野球は観ていなかった。
ところがこんなニュースが飛び込んできたのだ。 - 「岐阜城北対智弁学園、
延長10回同点、タイブレーク突入!」 - え、こんな時間まで試合やってんの?
なになに? 9回表に2点とって同点に追いついた
智弁学園が10回表タイブレークで3点をとって
ああこれは決まりかと思ったら
10回裏に岐阜城北が3点とって試合をふりだしに?
そんなこと言われたら観ちゃうでしょ。
バーチャル甲子園、アクセスしちゃうでしょ。 - さらにさらに、大きな声ではいえないが、
昨夜は日本のプロ野球で贔屓の球団も
延長戦にもつれ込んだりしていた。
あんたそんなことまでしてたのかと呆れられそうだが、
待ってくれ、プロ野球ファンにとって、
贔屓の球団の試合経過を確認するというのは
息を吸うようなことなのである。 - むろんプロ野球は目の端で追うのみである。
年間143試合を追う我々プロ野球ファンは、
敏腕為替ディーラーが株価と相場をチェックするように、
極めて冷静に淡々とそれを確認する。
とくにチームの調子がよくないときは、
めっちゃ心を無にして現状だけを追うのである。
ときおり暗澹たる気分になり
深い深い溜め息とかついちゃうのである。
って、ちっとも心を無にできてない。 - ともあれ、そういうようなことが重なって、
昨日のある瞬間、ほんの数十分、
ぼくはテレビやPCだけでなくスマホの画面までも駆使し、
レスリングとスポーツクライミングの録画と、
飛び込みと女子ゴルフと高校野球とプロ野球を
同時に表示させていた。 - スポーツ錯綜状態とはこのことである。
二兎を追うものは一兎を得ずどころか、
バンジョー弾きながらハーモニカを拭き
足でバスドラを踏みながら風船でプードルをつくる、
おかしなおかしなスポーツ鑑賞大道芸人もどきである。
ああ、たのしかった。岐阜城北、がんばった。 - さて、そういうような、
わやくちゃなことをしながら、ぼくは思った。 - オリンピックで日本人選手を応援するというのは、
最高にたのしいけれど、
ちょっと困っちゃうことでもあるよなあと。 - なにが困るかというと、
ふっと日本人選手がいない時間帯が訪れると、
物足りなくなっちゃうのである。
「なに観ればいいんだ?」ってなるのである。 - なに観ればいいんだ、じゃねぇよ。
観るもの、山ほどあるよ。宝庫だよ。 - だってその瞬間、ちょっとネット配信を検索すれば、
女子サッカー準決勝アメリカ対ドイツみたいな
めちゃくちゃよさそうな試合をやってたりするのだ。
バレーボールの決勝トーナメント、
女子高跳びのひりひりする美しき戦いなどなど、
鑑賞するべきスポーツはたくさんあるのだ。 - おそらく日本に限らないことだけど、
大きなスポーツの大会のなかで
自国の選手を応援するというのは、
ちょっと劇薬なのだと思う。
とりわけ、先日から何度か書いている
「勝てる!」というときには。 - オリンピックには、
その劇薬のような応援のたのしみと、
純粋に上質なスポーツを鑑賞するという、
二種類の娯楽が共存している。
ときにそれらががっちり組み合って
ひとつになったりするから、そりゃあもうたまらない。 - 20年前からオリンピックを
めちゃめちゃ観るコンテンツを
つくり続けるばかが現れるのも
やむを得ないことといえよう。 - と、いうようなところで、
このコラムは締められる予定だったのだけれど、
明け方の劇薬、卓球男子団体の超惜敗で眠れず、
こうしてすこし書き足している。 - いやあ、パリオリンピックはほんとに困る。
「勝てる!」と思えすぎるよ、ほんとうに。
そして、劇薬の副作用についても心配してしまう。 - 「勝てる!」という応援の気持ちは、
願った結果が出ないときに行き場をなくす。
つきあげるはずだった歓喜の拳は、
なにかしらの「はけ口」を求めてしまうことがある。 - そのとき、オリンピックは、それこそ劇薬となる。
はけ口を求めるひとりひとりの戸惑いが、
ひとところに集まって濁流になることがある。
そしてその濁流を利用しようとする人たちも現れる。
やっかいなことに、お金になったりもする。 - スポーツはことばを超えておもしろい。
世代も層も価値観も軽々と貫いていく。
人の本能を刺激し、理屈や理性を瞬時にかき消す。
強力で、魅力的で、人々をドライブする。 - だからこそ、ぼくらは、ふんばらなきゃいけない。
自分の遊び場は、自分で守らなきゃいけない。
スポーツを大好きなぼくらは、
スポーツを守らなきゃいけない。 - きれいごとじゃないよ。
きれいごとだとしたら、必死のきれいごとだよ。 - パリオリンピックは思った以上に刺激的だ。
この劇薬は約17日間、私たちの日常を突き動かす。
つまり、超おもしろいってことだ。
だから、たのしさや悔しさを、今日も乗り越えていこう。 - うねる波のチューブに飛び込んでいくサーファーみたいに。
無理目のトリックを決めにいくボーダーみたいに。
暴れる馬を制御して障害を越える騎手みたいに。
(つづきます)
2024-08-08-THU
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