こんにちは、ほぼ日の永田です。
もう、20年以上前から、2年に一度、
オリンピックの全種目を可能なかぎり観て、
そこに寄せられる膨大なメールに目を通し、
それらを翌朝までに編集し、読むだけでも
1時間くらいかかる長文コンテンツに仕上げて
大会期間中毎日公開する、という、
常軌を逸することをやっておりました。

しかしそれも2020東京オリンピックで一区切り。
前回の北京オリンピックからは、
毎日、観ることは観るものの(観るんですね)、
メールの編集と長文テキストの公開はやめて、
1日1本、観戦コラムを書く、という、
のんびりした姿勢でやっています。

観戦しながらのリアルタイムな感想は、
永田の旧ツイッターのアカウント
(@1101_nagata)で発信しています。
ぎゃあ、とか、うぁっ、みたいな反応は
そちらでおたのしみください。
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#15

みんなで観るとおもしろい

 
あまり周囲に言ってない、個人的な趣味がある。
ときどき、ついつい観てしまう。
それをちょっと恥ずかしいような気もしている。
これは、スポーツとは関係がない。
もったいつけずに言うけどさ、
コンサートとかでおおぜいの観客が
合唱するのを観るのが好きなのだ。
いわゆるひとつのシンガロング(sing along)である。
アーティストが観客の待ち望む曲を演奏して、
たまらずひとりひとりが歌い出す。
個々の歌声は次第に集まりひとつにうねって合唱となる。
これを観たり聴いたりするのがぼくは好きで、
YouTubeでも観ちゃうし、ライブ盤でもくり返しちゃうし、
自分がそこにいるわけでもないのに、
それを視聴するとうわぁぁとこみ上げてしまうのである。
定番はやはりオアシスの
「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」であろう。
であろう、って言われてもなあ。
自分の心の中のつっこみを無視して進めよう。
シンガロングは、ある意味、お約束ではあるものの、
できれば自然発生が望ましい。
クイーンは「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をはじめ、
シンガロング曲の宝庫であるが、
ずばり、フレディは歌わせすぎである。
「ラブ・オブ・マイ・ライフ」に至っては、
派手な指揮者がやたらがんばる合唱コンクールである。
自然発生で印象深いシンガロングでいうと、
ストーンローゼズという、90年代のイギリスで
大きなムーブメントをつくったバンドが再結成し、
超久しぶりに行ったLIVEで代表曲の
「アイ・ワナ・ビー・アドアード」を演奏したときに、
そのイントロのギターリフを観客が合唱した場面で、
たしかにローゼズはふにゃふにゃボーカルよりも
ギターのほうがシンガロングしやすいよなあと苦笑しつつ、
その自然な高まりと合唱がなんだかとてもうらやましかった。
あ、いかん。これ、いくらでも書けちゃうな。
「パリオリンピックを観ている」じゃなくて、
「ロックをオヤジが語っている」になっちゃうな。
もうひとつだけ書かせてくれ、もうひとつだけ。
ちぇっ、しかたがないなあ。もうひとつだけだよ?
心の中でOKが出たので書くけれども、
近年、ぼくが発見したシンガロングは
これまでに挙げたものに比べると若々しい楽曲で、
RADWIMPSの「スパークル」である。
ここ数年、RADWIMPSはワールドツアーを敢行していて、
アジア、ヨーロッパ、北中南米などを回っている。
会場は撮影が禁じられていないようで、
客席からのLIVE映像がYouTubeなどにあげられているのだが、
ファンが客席から撮影されたシンガロングは、
当然ながら歌声がカメラの近くで発生するため、
シンガロングファンにとっては生々しくてたまらない。
「スパークル」は、言わずとしれた
『君の名は。』という新海誠監督のアニメ映画の挿入曲で、
物語のなかでもとても重要な場面で流れる。
映画が海外でも大ヒットしていることもあり、
この曲を待ち望んでいるファンは多く、
イントロが流れる時点で客席のボルテージは急上昇する。
何度観てもぐっと来てしまうのは、
海外のファンが日本語の歌詞を
ばっちり覚えて歌っているところで、
「まだこの世界はぼくを飼いならしてたいみたいだ」
なんていう文学的な日本語の歌詞を
他言語圏の人々が熱唱する様子はなかなか感動的で、
世界各地のファンが動画をあげるものだから、
開催地別に「スパークル」を追ってしまう。
(このへんがちょっと恥ずかしい趣味だ)
ちなみに、シンガロングの声量は、
文化的なものもあるのか国によって明らかに違っていて、
ぼくが知るかぎりメキシコのファンが一番歌う。
オリンピックが終わって、夜、
ぽっかりとすることがなくなったなら、
ぜひメキシコの「スパークル」を検索してみてほしい。
さて、ここまではまったくオリンピックと関係がないが、
あながち関係がないともいいきれない、
と思っている方も多いと思う。
そう、そのつもりで書いている。
とくにインターネットが発達して以降、
人が好きになるものは、
好きになる対象そのものだけではなく、
好きなものに対する人々の好意的な反応と
セットになっているとぼくは思っている。
つまり、それが好き、というだけではなく、
好きなそれをほかの人も好きな状況とか、
好きなそれにみんなが寄せている反応とか、
そういうまわりのものをセットで
好きになっていることが多いと思うのだ。
それは、もともと人がそういう性質なのか、
好きなものを好きな人たちの反応を
簡単に知ることができるように
なってしまったからなのかはわからない。
善し悪しはさておき、
自分が好きなものを好きだという人の存在や
好きだという声が、
自分が好きなものを好きだという感情を
増幅させるのは間違いない。
(逆に冷めるということも含めて)
スポーツはそのシステムを
ずっと昔から持ち合わせている娯楽だと思う。
あんまり話を大げさにしたくないんだけど、
ローマ時代からそうなんじゃん?
身近な例に引き戻すと、
満員の野球場で野球を観たことがあるだろうか。
3万とか4万の観客が集まったスタジアムで観ると、
ホームランって、ちょっと怖いのだ。
誰かが思わず発する「うおっ」というような声が、
数万人分集まるのだ。
打った瞬間、何千人とかが同時に立ち上がるのだ。
その放物線を目で追いながら、
興奮のボルテージと絶望のボルテージが
シンクロしながら加速していくのだ。
そしてその弧が客席のどこかに着弾すると、
常識的な人はそんな声を出さないでしょう
というボリュームで人々がなにか叫ぶのだ。
選手の名前とかを大声で連呼するのだ。
しかも叫んでいるのが自分だったりするのだ。
感情がたかまり、うねり、連鎖する。
非日常的で、爆発的で、ちょっと怖い。
つまり、スポーツをみんなで観るというのは、
おもしろいに決まっているのだ。
ああ、こんなに文字数を費やして、
結論が「みんなで観るとおもしろい」なのか。
でもやっぱりそうなんじゃん?
みんなで観るととてもいいことは、
感情の増幅のほかにもうひとつ重要なことがあって、
それは、そこに集まっている人は、
ひとりひとりがぜんぜん知らない人どうしであっても、
好きなものが一致している、ということである。
無作為に集められた集団ではなく、
それが好きで集まっているということは、
居合わせるひとりひとりをとても安心させる。
近年、人々が「推し」を人生の大切な要素としているのも、
そういうことなのだと思う。
安心な環境で感情を増幅させることができる。
つまりそれが
「みんなで観るとおもしろい」の正体なのだ。
たとえば、映画がヒットすると、
観客が自由に声をだすことができる
「応援上映」という特別な回が企画されることがある。
みんなで観るとおもしろいからだ。
スポーツのパブリックビューイングも、
ゲーム実況も、野外フェスも、
ひょっとしたら花見もハロウィンも初日の出も、
みんなで観るとおもしろい。
オリンピックで、
勝ってほしいと多くの人が願っている選手が、
そのプレッシャーを押しのけて勝つのは、
ものすごく怖くておもしろい。
みんなでそれを観ているからだ。
昨夜、レスリングの藤波朱理選手が
公式戦137連勝で金メダルをとったのも、
卓球女子団体のメダルが確定したのも、
みんなで観ていたからおもしろかった。
きっとセーリングは次回のオリンピックで
観る人が増えるだろうから、
今回よりずっとおもしろくなる。
フェンシングが大会のたびに
どんどんおもしろくなっているのも
そういうことなのだと思う。
「みんなで観るとおもしろい」の祭典、
オリンピックも気づけばもう数日で終わってしまう。
でも、オリンピックのよさのひとつは、
終わってしまうということでもある。
「#mitazo」というちょっとかわったコンセプトも、
独特の「みんなで観るとおもしろい」だよね。

(つづきます)

2024-08-09-FRI

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    タイトル写真:とのまりこ