よく晴れた、陽射しのあたたかな冬の午後、
ウッドストックの服を着た渡辺真理さんが、
たくさんのお菓子を持って、
谷川俊太郎さんのお宅を訪ねました。
「ほぼ日」の連載「マリーな部屋」で、幾度となく
スヌーピーのお菓子を取り上げてきた真理さん、
かねてから谷川俊太郎さんとお話ししたかったのが、
スヌーピーの登場するコミック
『PEANUTS』のことだったのです。
ふるくから親交のあるふたりですが、
真理さんが谷川さんに『PEANUTS』のことを
ちゃんとお聞きしたことはなかったのだそうです。
谷川さんは、詩人であるとともに、
スヌーピーが登場するコミック『PEANUTS』の
日本語への翻訳を、ずっと手がけてこられたかた。
2000年の連載終了後も未訳だった作品の翻訳を続け、
2020年に、約50年をかけての
『PEANUTS』全作品の翻訳が終わりました。
『PEANUTS』との出会い、
作者シュルツさんのこと、
詩と翻訳のこと、
キャラクターへの思い、
詩とAIのこと、
谷川さんの「いま」のことなど、
たっぷりお話しした1時間。
7回にわけてお届けします。
陽だまりのなかで
こうして、お話を聞いたのは
去年の暮れでした。
ほんとうは
もっと、もっと、聞きたかったです。
「ふふ、それはね、贅沢」って
おっしゃるかな。
谷川さん、
もしかしたら、もう
20億光年の彼方から
この小さな球を見て
おもしろがったりなさってるのかな。
膨らんでゆく宇宙を
大好きな車で駆け抜けながら
クラシックを聴いて
たのしんでいらっしゃるかな。
そういうこっちは、
さみしいです。
そういえば、
聞きのがしちゃったことも
あったんです。
「そういうの、あった方がいいかもよ」
って、おっしゃいますよね、多分。
はい。。。
つぎに会えるときを
たのしみに、とっておきます。
きっといつか、宇宙のかたすみで!!
わたなべ まり
2024年11月21日
谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)
1931年生まれ。詩人。
「朝のリレー」「二十億光年の孤独」
「いるか」「みみをすます」「生きる」など、
数千篇におよぶ詩作品や、レオ・レオニ作『スイミー』、
スヌーピーでおなじみ『PEANUTS』シリーズ、
『マザー・グースのうた』などの翻訳、
そして、テレビアニメの「鉄腕アトム」主題歌や
「月火水木金土日のうた」などの作詞も手がける。
現代を代表する詩人のひとり。
渡辺真理(わたなべ・まり)
アナウンサー。
1967年、横浜生まれ。
横浜雙葉小中高、ICU国際基督教大学卒業。
1990年にTBS入社、アナウンサーに。
1998年、フリーとなり、現在に至る。
「ほぼ日」では創刊時から連載「マリーな部屋」で、
好きなお菓子にまつわるエッセイを執筆、
「ほぼ日の學校」では
「渡辺真理の見るラジオ。」をはじめた。
ヘアメイク 相場広美
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- 谷川
- ウッドストックが最初出て来た時、
すごく新鮮だったね。
- 真理
- そうでした。小さくて変な鳥でした(*)。
- (*)
初登場の1967年から1970年までは
ウッドストックという名前はなく、
スヌーピーはSTUPID BIRDと呼んでいました。
その頃の谷川さんの訳は「ヌケサク鳥」や「マヌケ鳥」でした。
(>さらに詳しくはWikipedia「ピーナッツ(漫画)」の
ウッドストックの項目をごらんください)
- 谷川
- だいたい飛び方がおかしいしね。ふふ。
- 真理
- 頭を下にしてふらふら飛ぶんですよね。
はじめての登場回って、どんなふうに思われました?
ちょっと衝撃?
- 谷川
- 衝撃とまでは言わないけれども、
「こんな鳥はいないから、漫画になってるんだな」
っていう感じがしましたね。
シュルツさんが、ああいうふうに
小鳥を捉えたっていうのが、僕はすごいなと思ったの。
- 真理
- どういう意味でしょう。
- 谷川
- だって、あれ、小鳥じゃないじゃない?
人間じゃない、言ってみれば(笑)。
普通、小鳥っていうと、
もうちょっと小鳥らしく描く場合が多いんだけど、
ウッドストックはぜんぜん
小鳥じゃないような存在ですよね。
だから人間が読んで面白い漫画に
なってるんだろうと思うんだけどね。
- 真理
- 谷川さんが『PEANUTS』の翻訳を始められた時は、
アポロ11号の月面着陸の後でしたっけ。
その前のアポロ10号は、
チャーリー・ブラウンとスヌーピーの
名前のついた宇宙船が飛んだんですよね。
- 谷川
- 僕が翻訳を始めたのは、
それよか前だったんじゃないかな(*)。 - (*)
谷川さんが『PEANUTS』の翻訳を
始めたのは1967年、
アポロ10号と11号の打ちあげは1969年です。
- 真理
- そんな初期の頃からだと、
アメリカでは人気だけれど、
スヌーピーっていう存在、
日本では知られてないわけですよね。
当時の谷川さんには、
あのスヌーピーというキャラクターは
どう見えていたんですか。
- 谷川
- 我々の中にある、一種のこう、ダメなところ、
それから劣等感みたいなところを
始めから、あそこまでユーモアとして描けたのを、
すごいなと思いましたね。
普通はああいうふうに描くと、
本当に、ダメな男になっちゃうじゃない。
それがそうじゃなくて
ちゃんと救っているところがね、
シュルツの腕だと思いましたね。
- 真理
- おっしゃるとおり、
普通は、ダメとしか見られないダメなものを
「なんか、しょうがないなぁ」とか、
「どこか、にくめないなぁ」って思っちゃう。
そんなふうに愛しいと、『PEANUTS』の世界では
どうして思えるんだろうなって。
- 谷川
- ああいうキャラクターが出来たのは、
やっぱりシュルツの手腕だと思う。
チャーリー・ブラウンにしてもそうでしょう。
- 真理
- たしかに、チャーリー・ブラウンも!
シュルツさんには一回、お会いになったとか。
やっぱり合う感じでしたか?
谷川さんと相通ずるものというか。
- 谷川
- うん、感性的に近い存在だってことは、
会ってすぐ思いましたね。
- 真理
- シュルツさんの評伝を読むと
「変わった人だ」って書かれていて。ふふ。
家族や友だちとご飯を食べてる時も
じっ~と黙っていて、
最後の最後にすごく短いセンテンスで
面白いことをひと言だけおっしゃったりするとか。
でも、あとはずうっと黙って観察してると
書いてありました。
- 谷川
- まあ、でも、我々、
詩を書いている人間の立場からすると、
そんなに変わってると思えないんですよね。
似たようなところがあるから
好きなんじゃないかなと思う、シュルツの漫画を。
- 真理
- 谷川さんもやっぱりずうっと観察を‥‥。
- 谷川
- しない。
- 真理
- あ、それはなさらないんだ。
- 谷川
- 観察はしてません、ぜんぜん。
- 真理
- じゃ、どんなところが通じる感じだったんですか。
- 谷川
- やっぱりユーモアのセンスだよね。
それがすごくミニマルに描かれているっていうところ。
普通、コミックって、やっぱりどうしても
誇張するじゃないですか。
でも『PEANUTS』はぜんぜん誇張しないで
ありのまま以下で描いて、
あんなにおかしく描けるっていうのは、
やっぱり漫画のライン(描線)がすごいんだって
思っていましたね、ずっと。
- 真理
- ライン‥‥なるほど。
それはシュルツさんの経験によるものだと思われますか?
生い立ち、失恋、飛び級して馴染めなかった学校など、
いろんな経験ゆえのもの?
- 谷川
- 天与のものとしか言えないと思うな、あれは。
「モーツァルトがどうしてモーツァルトなのか」
みたいなのと同じですよ、
と、僕は思っていますけどね。
- 真理
- だって普通、「盛り」たくなるものですよね。
- 谷川
- うん、そう思いますね。
- 真理
- でも『PEANUTS』は全部、削ぎ落としちゃう。
そういえば私、谷川さんと話したくて、
何度かインタビューや対談をさせていただいた中で、
1回だけほめられたことがあって。
- 谷川
- 本当? 1回しかほめてないんだね(笑)。
- 真理
- はい、1回で十分です(笑)。
ラジオに来ていただいた時、
話す時間が1時間ぐらいあったのですけど、
私、内容を何も決めていなかったんです。
そしたら、谷川さんがはじまる前のブースで
ふたりになった時、
「(話の)テーマはあるの?」とお聞きになって。
私が「テーマ、ないんです」と言ったら、
「真理ちゃん、それはいいね!」って。
「テーマがないのは素晴らしいです。
みんなテーマを決めて話したがるけど、
テーマがないのはとてもいいね。
じゃ、これからテーマがない話をしましょう」
って言ってくださって。
そして、まず
「だって、詩人って自称でしょう」
っておっしゃったの。
世の中には免許があるとか
資格がある職業がたくさんあるでしょう、でも、
「詩人は違うの。自称でしょう? 自分で名乗るわけ」
っていうふうにはじめられて、
それが、とても素敵なお話だったんです。
何を言いたいかっていうと、
その時の谷川さんも「テーマがない」ことを
ほめてくださったのですけれど、
私の場合は深く考えずにそうしちゃったんですけど、
「盛らないこと」とか「型通りにしないこと」って、
本当は、勇気が要ることだろうなと思うんです。
仕事をすれば、するほど。
自分の作品をよく見てほしいし、受け入れてほしいし、
仕事した痕跡をのこしたいし、
できればお金につながったほうがいいしってなると、
どんどん盛ったり、大音量になっていったり、
安易に成功例を真似たりしちゃうから。
- 谷川
- 詩っていうのは、その反対なんですよ。
盛らないの、ぜんぜん。
盛ると品が悪くなって、
詩じゃなくなっちゃうことが多いの。
言葉が足りないほうがいいって、
芭蕉もそんなことを言ってたんじゃないかな(*)。 - (*)
松尾芭蕉に「言ひおほせて何かある」(全部言ってしまって何になる)
という言葉があると、高弟であった向井去来の『去来抄』に
記されています。
- 真理
- 谷川さん、どのくらいでそう思われたんですか。
子どもの頃から、とかじゃないですよね。
- 谷川
- まさか! あはは。
- 真理
- 思春期を過ぎて二十代頃に、
もうそう思われてたってことですか。
- 谷川
- いや、そういうふうに
決定的に思っていたわけじゃなくて、
書いているうちにだんだんと
そういう傾向のものになっていった、
という感じですね。
僕は常に自分が実行しているものの関連で、
感じたり考えたりしてますね。
- 真理
- その時その時の仕事の中で?
- 谷川
- 「その時までの自分の人生の中で」
って言ったほうがいいね。
- 真理
- はい。そうですよね。
そのことが、私たち読む側、受ける側に
考える余地というか、ちょっとした空白、
遊び場をくれますよね。
- 谷川
- そうですね、
詩はそういうふうに書かないと
余韻が無いわけだから。
- 真理
- 難しいだろうなぁ、それは、でも。
- 谷川
- でも、そういう性質って生まれつきだから。
(つづきます)
2024-02-14-WED