災害や病気の流行、経済の急変など、
世の中の動きが変わるとき、
私たちの考えも変わります。
ずっと同じ考えを持ちつづけることはできないし、
ものごとの優先順位も変わります。
ひとつの考えにしばられてしまったことで
引き起こされたことも、かずかずあります。
しかし、周囲の意見に耳をかたむけて、
考えを訂正したり引き返すことには、勇気が必要です。
考えを変えることを厭わず、無知を恥じず、
よりよいほうへ行こうとする姿勢を持っていたい。

日々考えをあたらしくしていける人、
そんな方にお話をうかがっていきます。
最初のゲストは池谷裕二さんです。
聞き手はほぼ日の菅野です。

>池谷裕二さんのプロフィール

池谷裕二(いけがや ゆうじ)

東京大学薬学部教授。薬学博士。
科学技術振興機構ERATO脳AI融合プロジェクト代表。
研究分野は脳の神経回路に内在する
「可塑性」のメカニズム解明。
2013年日本学術振興会賞および日本学士院学術奨励賞、
2015年塚原仲晃記念賞、2017年江橋節郎賞。

前へ目次ページへ次へ

第2回 偏見を持たずに思考できない。

――
自分の考えが壊れることを知っている科学者に対して、
私たちはつい、指示を仰いでしまっているのですね。
専門家の発言は指示ではなく、
ひとつの考えであると思っておいたほうがいいですね。
池谷
そうだと思います。
けれども何か手は打たなくてはなりません。
手を打たなきゃいけないんだけれども、
その「手」は人それぞれ、考え方が違います。
「じゃあ、こうしましょう」ということを
提示したとしても‥‥、
例えば「緊急事態宣言」ひとつみてもそうです。
「みなさん自粛しましょう」ということになっても、
従う人もいれば、反対する人もいます。
反対することはいけないことではありません。
さまざまな意見はあっていいのです。
でも、その局面は
「何かの手を打たなきゃいけない」ときなんです。
打ったにしても、
全員がその方向に一斉に均一になびくわけがない、
というのは当然の結果で、
やる前から見えていることではあるのです。
とくにSNSが発達している現在では、
それが顕著に出ますよね。
――
提示する側も、それはわかっているんですね。
池谷
はい。もっと先のことでいえば、
私たちはいまワクチンを待っていますけれども、
ワクチンができたときにも当然、
反対する人が出ます。
副作用があるでしょうし、
費用面の問題もあるでしょうし、
いろんな意見が出ます。
それはあたりまえのことです。
だって、インフルエンザのワクチンはもうあるのに、
毎年インフルエンザのワクチンを
打ってない人も、たくさんおられるでしょう。
コロナウイルスも、いまは
「ワクチンさえできれば」と言っていますが、
その状況もどんどん変わっていくと思います。
できたらできたで、次の展開がある。
ワクチンには必ず、
副作用があるものです。
絶対にやったほうがいいと分かったとしても、
投与したことによって亡くなる人が出るはずです。
マスメディアは、そんな一部の悲劇を
クローズアップする傾向がある。
「こんな惨事があった」というニュースが
大々的に広まります。
そして新しい批判や風評のムーブメントが
今後も起こります。
だから、けっきょく大切なのは、
心の準備なのではないだろうか、と
ぼくは思います。

――
心の準備ですか。
池谷
そう。
「正解はひとつに決まらないよ」
という心の準備です。
今回のパンデミックひとつを見ても、
いろいろな価値観が
そこから生まれてきているでしょう。
「自分はそのなかのひとつに
着地するかもしれないけれども、
それだけが真理じゃないよ」
という準備です。
――
自分はこういう解決法を
取ろうとしているけれども、
それは真理ではないと自覚しておくこと、ですか。
池谷
菅野さんもぼくも、世の中のみなさんも、
各自、考えるじゃないですか。
自分の考えを持つことは大切なんです。
だけど、考えることというのは、
偏見を持つことと一緒なんですよ。
――
え?!
池谷
「考える」ことと「偏見を持つ」ことは表裏一体。
いや、むしろ、イコールなんです。
あんな意見もあるよね、こんな意見もあるよね、
こんなこともあるよね、というのを全部、
平等に置いていたらどうなります? 
それは「考える」とは言いません。
――
意見をあちこちに置いて眺めているのと、
考えるのは‥‥ちがう。
池谷
「世の中にはさまざまありますね、以上」
これはなにも考えていないに等しい。
ただの意見の陳列。
つまり多様性を、そのまま手を入れずに
放置することは、思考放棄なんです。
――
私は「いろんな考え方があるなぁ」と、
多様性をいいものとして、
そのままにしている気がします。
池谷
いえ、どんな方もけっして
思考放棄しているわけではないと思います。
だって、いまも日常で、各自がなんらかの
手を打っているわけですからね。
さまざまな情報があるなかで、
自分のポリシーを持って、
「私はこういう考え方を大切にする」という
道を取っているんです。
マスクひとつとってもそうでしょう。
しかしそれは、たくさんある可能性のひとつ、
もしくは複数を
「選んでいる」ということです。
なにかの考えに重きを置くということは、
見方を偏らせることなんです。
「私はこれが大切だと思う」というのは、
世間では「考える」と言いますが、
「偏見を持つこと」と言い換えても同じなんです。
――
はぁぁ、なるほど。
池谷
ぼくたちは偏見を持たないと考えることはできないし、
考えることによって偏見が生まれるのです。
そして、自分の考えを持って行動し、
自分の考えを持って情報を集め、
集めた情報を持って次の考えへと展開していく。
偏見のうえに偏見を重ねていくのです。
その「偏見のうえに偏見を重ねること」こそが、
思考する、思索する、思案するということであり、
成長するということなんですよ。
偏見を持たないと、成長できないんです。

――
偏見に偏見を重ねて成長していくんですか。
池谷
偏見というと悪いニュアンスで
とらえてしまうかもしれないけれども、
そうじゃないんです。
偏った考えを持つのはあたりまえのことなんです。
生きるということは偏見を持つということなんです。
みなさんの意見や考えはひとりひとりちがいます。
ひとりひとりが考えを持っているということは、
人の数だけ偏見があるということです。
――
みんなが偏見を持っている、
ということが自然なことであるとすれば、
やっぱり考えを変更できなくなることは、
怖いことのように思えますね。
池谷
そうなんです。
――
偏見‥‥つまり自分が正しいと思っている考えに
凝り固まらないようにするには、
どうしたらいいんでしょうか。
池谷
「自分の思考のルーツ」が
分かってることが大切です。
――
考えのルーツですか。

(明日につづきます)

2020-07-01-WED

前へ目次ページへ次へ