災害や病気の流行、経済の急変など、
世の中の動きが変わるとき、
私たちの考えも変わります。
ずっと同じ考えを持ちつづけることはできないし、
ものごとの優先順位も変わります。
ひとつの考えにしばられてしまったことで
引き起こされたことも、かずかずあります。
しかし、周囲の意見に耳をかたむけて、
考えを訂正したり引き返すことには、勇気が必要です。
考えを変えることを厭わず、無知を恥じず、
よりよいほうへ行こうとする姿勢を持っていたい。

日々考えをあたらしくしていける人、
そんな方にお話をうかがっていきます。
最初のゲストは池谷裕二さんです。
聞き手はほぼ日の菅野です。

>池谷裕二さんのプロフィール

池谷裕二(いけがや ゆうじ)

東京大学薬学部教授。薬学博士。
科学技術振興機構ERATO脳AI融合プロジェクト代表。
研究分野は脳の神経回路に内在する
「可塑性」のメカニズム解明。
2013年日本学術振興会賞および日本学士院学術奨励賞、
2015年塚原仲晃記念賞、2017年江橋節郎賞。

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第3回 常識の正体は、慣れと親しみ。

――
自分が選択している考えに
凝り固まらないようにするには、
思考のルーツが分かっていることが大切、と。
池谷
ぼくはさきほど「多様性」と言いましたよね。
多様性には
「ダイバーシティ」または「バラエティ」の
ふたつの意味があると思います。
バラエティの「多様性」は、
いろんなものが雑多に点在している状態のこと。
例えば、おもちゃ箱にいろんなものが
たくさん入ってます、という状態。
そんな感じの「さまざまなもの」を指します。
けれども「ダイバーシティ」の「多様性」は、
幹があってそこから枝葉がいっぱい
出ているイメージです。
一本の木からたくさんの枝がのびている、
そんな「さまざまなもの」です。
――
つまり、思考は
「ダイバーシティ」ということですか?
池谷
そうです。ルーツがたどれるんです。
自分がいま、
どうしてこういう考えに至っているのかを
探ることができるのです。
ルーツが切れちゃうと「バラエティ」になって
たどれなくなってしまうから、
記録しておくことが重要です。
――
自分がこういう経験をしたからこうなった、と
記録して自覚しておく、ということですか?
池谷
「こういう本を読んだり、
こういうテレビを見たから、
こういう考えに至ってるんだよ」
というふうに、思考は枝分かれして
のびていくんです。
ですから「なぜこう考えたんだろう?」と
ルーツに戻ると、別の枝にもまた行ける。
幹にまで戻れれば、
そこからどんな枝へでも進むことができます。
自分の思考の枝を行きつ戻りつすることで、
考え方にフレキシビリティ、つまり
柔軟性が出るんです。
けれども、その枝葉の考えがどこから来たのか、
もとの自分の思考がなんだったのか忘れてしまうと、
戻れなくなってしまう。
そうなると、自分の考えにこだわることに
つながってしまうのです。
――
点しか見えていないから、
そこにこだわるしかなくなるんですね。
池谷
そういうことです。
――
けれども私たちは、
ふだんそこまで自分の思考の幹について
自覚できているわけではないですし、
思考の幹をたどることを心がけて
生活できるとも思えません。
それどころか、毎日何かにすぐに反応して、
いろんなことを思ったりやったりしてしまいます。
日常生活って、けっこう表層的です。
そんな短絡的な姿勢をとることへの慣れが、
さまざまなところに影響してしまって、
なんだかギスギスしてしまうこともあったりします。
池谷
そうなんですよ。
悲しいことに、それはもう、ほとんど
人間の運命なのかもしれない。
ちょっと、データをお見せしていいですか? 
――
はい。
池谷
これです、これです。
――
シマウマ‥‥?

池谷
シマウマです。
「シマウマの模様は、なんですか?」
――
シマシマです。
池谷
あはは。確かにそうですね。
では、問い直しましょう。
1.白地に黒いシマが入っている
2.黒地に白いシマが入っている
どちらでしょう。 
本来はそんなのどっちでもいいんですけど(笑)、
でもどっちかを選べと言われたら?
――
うーん、白地に黒のシマシマ、かな。
池谷
そうですよね、白地に黒を選ぶ人が多いです。
なぜかというと、白い紙に黒いペンで
書いたように見えるからですね。
紙はたいてい白です。
しかし、アフリカの人に同じ質問をすると、
ほとんどが「黒地に白のペイント」と答えます。
日本の人は白地に黒で、答えは1。
アフリカの人は黒地に白で、答えは2。
まず、アフリカの人肌の色が褐色である、
と理由があります。
それからアフリカには、白いペイントで
お化粧する文化を持つ民族もいます。
――
ああ、そうか。

池谷
だから、アフリカで生まれ育つと、
シマウマはまず黒い馬に見えるんだそうです。
そこに、白いラインが入ってる。
こういうことは、よくあることで、
立ち場が変わると見方が変わる。
――
はい。
紙に描いた絵の発想でシマウマをとらえるか、
白いお化粧でシマウマをとらえるか‥‥。
池谷
しかし、言い方を変えると、
こうも考えられませんか。
シマウマって、アフリカにいるんですよね。
――
うん、そうですね。
池谷
だからアフリカの現地の人が言うほうが、
より正しいということもできるんです。
だって、遠く離れた日本で、
ぼくたちはろくにシマウマを見たことがないです。
日本で勝手に「白に黒」と思いこんでるのは、
とんでもない勘違いだという言い方も
できると思います。
ぼくらはふだん、
自分の考えを偏見だとは思えず、
常識だと思っています。
でも、常識なんてものは、ほんとにはありません。
場所が変わるだけで、
黒と白もひっくり返っちゃう。
けっきょく常識というのは、
「その基準にどれだけ長く慣れ親しんでいるか」
ということでしかありません。
さきほど「多様性」の話をしましたが、
自分の思考のルーツを忘れてしまうことは
自分の考えが「当たり前のことだ」と
思うことにつながります。
自分の考えは自分にとっての常識になってしまい、
自分の常識は世界の常識だと思ってしまうのです。
しかしいま、こういう時代だからこそ、
常識は常識じゃないと
言いやすいんじゃないでしょうか。
そしてさらにいってみれば、
常識ってなんだと思いますか? 
じつは常識って「好き嫌い」のことなんです。

(明日につづきます)

2020-07-02-THU

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