『理念経営2.0』『直感と論理をつなぐ思考法』
『じぶん時間を生きる』など、
ビジネス分野の話題書をいくつも出されている
佐宗邦威(さそう・くにたけ)さん。
「BIOTOPE」という会社(戦略デザインファーム)の代表で、
いろんな企業や自治体から相談を受けて、
未来のビジョンを作るような仕事をされています。
また佐宗さんは、いつも常識にとらわれない
興味深い動きをされている方。
もともと論理的思考側のマーケターだったのが、
「デザイン思考を勉強しよう!」とアメリカに留学したり、
コロナをきっかけに軽井沢に移住したり、
自身の経営での反省をもとに企業理念の本を作ったり。
そんな佐宗さんが「ほぼ日の學校」に来てくれて、
糸井重里とおしゃべりをしました。
佐宗さんが常に自由に動けているわけは?
そして、いま未来の可能性を感じていることは?
全4回でご紹介します。

>佐宗邦威さんプロフィール

佐宗邦威(さそう・くにたけ)

株式会社BIOTOPE代表
チーフストラテジック・デザイナー
多摩美術大学 特任准教授

東京大学法学部卒業。
イリノイ工科大学デザイン学科
(Master of Design Methods)修士課程修了。
P&Gマーケティング部で
「ファブリーズ」「レノア」などの
ヒット商品のマーケティングを担当後、
「ジレット」のブランドマネージャーを務める。
その後、ソニーに入社。
同クリエイティブセンターにて、全社の
新規事業創出プログラム立ち上げなどに携わる。
ソニー退社後、戦略デザインファーム
「BIOTOPE」を創業。
バラエティ豊かな企業・組織のイノベーション
およびブランディングの支援を行うほか、
各社の企業理念の策定・実装プロジェクト
についても実績多数。
2021年に生活の拠点を軽井沢に移し、
現在は東京オフィスとの二拠点を
往復する働き方を実践中。
近年は、教育分野、地域創生分野など
活動の幅をさらに広げている。

著書に、『理念経営2.0』
『直感と論理をつなぐ思考法』
(ともにダイヤモンド社)、
『じぶん時間を生きる』あさま社)、
『21世紀のビジネスに
デザイン思考が必要な理由』
(クロスメディア・パブリッシング)など。

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3 育休、そして軽井沢移住。

糸井
いま、論理と感性の両方が交差しながら
なにかを作り上げていくようなときって、
「それぞれの利益代表が話し合って
折衷案を出す」というのが、
答えの出し方の様式になっていると思うんです。
佐宗
ああ、そうですね。
糸井
だけどぼくはそういうことを別のやり方で
乗り越えている現実があると思ってて。
それがなにかというと
「生活者」としての自分なんですね。
論理的には「やるべきだ」と思ってても、
「なんとなく気分が乗らない」とやらなかったり、
予算を決めて服を買いに行ったはずが
「素敵! でも値段高い。どうやって買おうかしら?」
って、簡単にひっくり返したりする。
ビジネスの頭で考えてるようなときには
硬直している対立軸を、
実際にはみんな「生活者」になると
けっこうスルッとすり抜けていく。
そして佐宗さんという人はわりと、
そういった「生活者」としての自分を混ぜながら、
これまでの慣習みたいなものを
うまくとびこえていっているような気がするんですよ。

佐宗
ああ、その感じはあるかもしれないです。
糸井
たとえば独立後、どんどん
はたらいていた佐宗さんは、
こんどは「忙しくなりすぎた」という
困り事にぶつかるわけですよね。
そこでまた「しまった‥‥!」と反省するわけで。
佐宗
はい(笑)。独立後、引きも切らず
依頼が来る状態というのは、
もちろんすごくありがたかったんですけど。
だから最初の数年については、自分の能力を上げ、
仕事の効率を上げ、会社のメンバーを増やし、
当然のごとく、キャパシティを上げるように
動いていったんです。
なんですけど、4、5年くらいすると
「これ、走れるは走れるけど、
このままあと20年できるかというと厳しいな」
と感じるようになってきて。
このままいくと、体を壊すこともあるんじゃないかと。
家族によると、当時のぼくの口癖は
「いつか病気になってしまうんじゃないか」
だったらしくて。
糸井
あぁー。
佐宗
で、ちょうど2人目の子どもが
生まれたタイミングがやってきたので、
思い切って2か月ほど育休をとることにしたんです。
自分が社長の会社で社長が育休を取るのは、
かなり勇気が要ったんですけど。
糸井
そこの勇気ですね。
佐宗
はい。そこで思い切ってやった小休止は、
自分の生き方や働き方を考え直す、
すごくいいきっかけになりました。
糸井
それはさきほどの、会社を独立したときの
話とも似てますね。
つまり、こんどは2人目の子供という存在が
できちゃったわけで。
そのためには「この忙しさでは無理だぞ!
もうやってみて考えよう」と。
佐宗
そうですね。それもありますし、
ある種そのときも
「違う景色を知りたい」と思ったんです。
ずっと子育てをしてくれている妻に対して、
自分がその立場を体験して、
すこしでも理解できたらと思ったんですね。
それで2ヶ月間、妻が働きに行き、
ぼくが家事や子育てをやるという、
お互いが苦手なことにチャレンジしてみたんです。
妻も同じ会社で働いていたので、そこはやりやすくて。

糸井
やっぱりよかったですか。
佐宗
はい、すごくよくて。
それまで自分は家事や子育てをほとんどできない
人間だったんですけど、
子どもの面倒も見られるようになりましたし、
料理もやるようになりました。
また、子育てをする人たちの
なかなか息が抜けないことでの疲れ方とか、
自分の時間が取れないことでの行き詰まり感を、
身を持って知れたのもいい機会でした。
糸井
ずっとビジネスの意識で忙しくしてると、
「人が何を考えて、何を思ってるか」みたいなことが
どんどん重要じゃなくなるんですよね。
常に「買ってもらえるか」「これは受けるか」
ばかり意識して、
「効率」とか考えるわけだから。
それはやっぱりゆがんでますよね。
実際、何がいちばん変わりました?
佐宗
個人の部分では、単純に
「自分は仕事でしか楽しみを得てなかったな」
という。
まぁ、「気づけよ」って話ですけど(笑)。
でも、そのときから料理が趣味になって、
Netflixのドラマを見るような感覚もできたんです。
あとはちょっとしたことですけど、
喋り方が少しゆっくりになって、
お客さんとビジネスだけじゃない雑談が
できるようになりました。
糸井
それはでも、大きいですね。
声の速度とかトーンって、
話す内容にものすごい影響を与えますから。
佐宗
そして会社については、
代表がいない状態はすごくよかったなと。
「あ、いなくても回るんだ」って(笑)。

糸井
そう、回るんですよね(笑)。
佐宗
あとは代表をやってると、ずっと自分がいることで
みんなの成長を阻害してしまう面は
どうしてもあるので、強制的にいなくなるのは、
いいインターバルだったなと。
糸井
だけど、佐宗さんは普段から社会のありようを
考える仕事ですから、
きっとそういう変化が起きるだろうことは
頭ではわかってたわけでしょう?
佐宗
そうですね。
でもやっぱり体験することで得られる
解像度って、まったく違うんです。
デザイン思考でも
「口真似ができるくらい理解することで、
初めてその人の商品を作れる」
みたいな考え方をよくするんですけど、
その意味でも、そういう体験を
できたことはすごくありがたかったですね。
糸井
‥‥で、2ヶ月間の育休期間がありました。
と、また同じ忙しさに戻らないように
しなきゃですよね。
佐宗
はい。なんですけど、結果的には、
戻ってすぐのタイミングでコロナが来て。
糸井
あ、よかったかもしれない(笑)。
佐宗
そうなんです。
しかも育休期間を経験していたことで、
コロナ禍のリモートワーク中心の生活にも
スムーズに移行できたんです。
糸井
そこから、さらに軽井沢に移住ですか。
佐宗
そうなんです。
というのも、普段からお客さんに
「次世代のためのビジョンって何ですかね?」
みたいなことを問いかけていると、その質問が
自分に対してエコーのように返ってくるわけです。
「こんなことを言ってるけど、
自分自身はどうだろう?」みたいに。
糸井
ああ(笑)。それで素直にまた
「あ、俺できてない。ダメじゃん!」って。
佐宗
そうですね(笑)。

糸井
その「ダメじゃん」はいいなぁ。
なかなかできることじゃないと思いますね。
佐宗
それでまぁ、正直あんまり勝算が
あったわけでもないんですけど、
夫婦で話し合って、軽井沢に移住することにしたんです。
自然に近い環境だと自分たちも
リラックスできるだろうし、
子どもの教育にもプラスがあるだろうと。
「まず1年間トライしてみるのもいいか」と。
会社の代表が近くにいなくなることも含めて、
ちょっと勇気は必要だったんですけど。
糸井
区切りを先につくって、やりやすくして。
‥‥でも、これもやってみたらよかったわけですよね。
佐宗
はい、これも個人と会社の両面で
良い効果があったかなと思っていて。
個人の目線でいうと、東京にいると、
つい競争みたいなことを考えがちなんですね。
「同じ規模のデザインファームが
これだけの仕事をしているのに、
うちはどうなんだ?」とかって。
ですけど、軽井沢に移住したことで
「自分はもうこういうユニークな
ライフスタイルなので、自分たちの中で
前に進んでいると思えればいいんじゃないか」
と思えるようになりましたし。
達成欲求も減って、自分のペースで
生きやすくなったというか、
時間感覚が変わったんです。
このあたりは、軽井沢発のあさま社から
『じぶん時間を生きる TRANSITION』
という本で書きました。
自分の課題について、また本にして出したんです。

糸井
ああ、それもまた本の形にして。
佐宗
また一方では、15~20人ぐらいの組織だった
BIOTOPEって、代表である自分の影響力が
どうしても強くなりやすかったんです。
それが、近くにいないことで、
みんながより自由にできるようになって。
ただ、単にいなくなるだけでは困るので、
会社のミッションとバリューを決めて
「こういうルールと哲学でやる」として、
あとはいなくなる形にしたんですね。
そうすると、社長がいなくても、各自が
「自分たちならきっとこう判断をするだろう」と
判断できるようになって、
それまでいつまで経っても
自分が現場から離れられなかったところが、
完全に経営者としてのマネジメントの
仕事だけをすればよい形になって、
結果的に自分の時間も生まれたんです。
糸井
別の大変さはもちろんあったかもしれないですけど、
ひとまず、とてもいい機会だったわけですね。
佐宗
そうですね。いまは最低でも10年先の健康を
心配をせずに暮らせていることを思うと、
それだけでもなにかしら
やってよかったのかなと思っています。

(つづきます)

2023-12-06-WED

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