こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
20年くらい前に見た映画
『絵の中のぼくの村』のことが
ずっとこころのどこかにありました。
芸術家で絵本作家の
田島征三さんのエッセイを元にした
東陽一監督の作品です。
今回、出版社の福音館書店さんに
田島征三さんを
ご紹介いただけることになりまして!
あの映画の思い出を胸に、
伊豆のお住まいを訪ねてきました。
絵のこと、映画のこと。
生きもののこと、子ども時代のこと。
そして、
双子の兄である田島征彦さんのこと。
ゆっくり、うかがってきました。

>田島征三さんプロフィール

田島征三 プロフィール画像

田島征三(たしませいぞう)

1940年、大阪府生まれ。自然ゆたかな高知県で育つ。
多摩美術大学在学中に手刷り絵本『しばてん』を制作。
『ちからたろう』(ポプラ社)で
第2回ブラティスラヴァ世界絵本原画展金のりんご賞、
『ふきまんぶく』(偕成社)で
第5回講談社出版文化賞絵本賞、
『とべバッタ』(偕成社)で第11回絵本にっぽん賞、
第38回小学館児童出版文化賞など、
国内外での受賞多数。
2009年、新潟県十日町市の廃校を
まるごと空間絵本にした
「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」を開館。
2013年より、瀬戸内海の
ハンセン病回復者の国立療養施設がある大島に
「青空水族館」「森の小径」「Nさんの人生絵巻」
などのアート作品を創っている。
2019年、第42回巖谷小波文芸賞を受賞。

前へ目次ページへ次へ

第5回 兄・田島征彦さんのこと。

──
お兄さんの征彦さんとは、
ずっと一緒にいたわけじゃなくて、
大学は別々なんですね。
田島
ぼくは多摩美で、征彦は京都芸術大学。
──
さっき『ふるやのもり』が24歳だって、
つまり、大学を卒業してすぐに。
田島
大学時代から、いろいろ仕事してたから。
当時、創刊直後の『月刊太陽』の
木下順二さんの「日本の民話」ってので、
イラスト4ページ描いたりとかね。

──
じゃ、学生時代からご活躍されて。
田島
うん。生意気だった。
──
一方で、征彦さんは‥‥。
田島
ずっと「染色」という方法で、
おもしろい作品をつくってたんだけど、
世間的なデビューは、
ぼくより10年くらいあとです、結局。
──
あ、そうなんですか。
田島
童心社の「まつりの絵本」というので
デビューして、外国の賞も獲って、
かなり評判になったのが‥‥
あれが1974年、75年くらいかな。
当時、ぼくの名前はもう出ていたんで、
「わしは名前、変えてやるわ」
って言って、
どんなペンネームにしたかと思ったら。
──
ええ。
田島
「たしま」が「たじま」になっただけ。
──
テンテンがついた、と(笑)。
田島
それで双子でしょ?
よけいややこしくなってるんだ(笑)。
海外へ行ったら完全に他人だし。
──
たしかに(笑)。
田島
でも『じごくのそうべえ』って絵本が、
ものすごく当たったんです。
ぼくが描いた絵本を
ぜーんぶ足してもまだ足りないくらい、
売れちゃってるんだ。
──
わあ、すごいです。

田島征彦『じごくのそうべえ』(童心社) 田島征彦『じごくのそうべえ』(童心社)

田島
何百万部とか売れてるんじゃないかな。
詳しいことは、わからないけど。
──
双子で同じように絵を描いてるのって、
どういう感覚なんでしょう。
ライバルなのか、それとも同志なのか、
戦友みたいな感じなのか‥‥。
田島
うーん、方向性がちがってるからなあ。
アーティストとしての方向性が。
ただ、ひとつ、言えることはね。

──
ええ。
田島
征彦は、ぼくの世界を
なるべく見ないようにしていると思う。
──
見ないように?
田島
うん。見ないようにしてる。
彼の住んでいる近くで展覧会をしてね、
「近いから来てよ」って言っても、
なんだかね、ぜんぜん取り合わないし。
──
そうなんですか。
田島
興味を持ちたくないんじゃないかなあ。
──
へえ‥‥それは、なぜでしょう。
田島
ひとつには、わだかまりというかなあ。
子どものころから、ぼくのほうが、
つねに征彦より「先」だったんですよ。
──
先。
田島
転校先の学校で友だちをつくるのも先、
美術関係に進みたいと言い出すのも先。
ぼくは土佐中学って進学校だったけど、
小学校のときの「山田先生」が、
がんばれがんばれって励ましてくれて、
一生懸命に、受験の勉強をしたんです。

──
ええ。
田島
それで、なんとか合格できたんだけど、
征彦のほうは、担任の先生がね、
血相を変えて家へ飛んできて、お袋に、
「征彦くんは、
土佐中を受けようとしてるそうですね。
やめさせてください。
みっともないじゃないですか!」って。
──
どうして、みっともない‥‥。
田島
いやいや、あの中学というのは、
高知県下にあまたある小学校のなかで、
1、2を争う子ばかりが受けて、
それでも落ちちゃうような学校なのに、
学級でビリに近い征彦くんが受けて、
いったい、どうするんですか‥‥って。
──
ひどい。
田島
それに対しては、お袋が怒って怒って。
「たしかに、そうかもしれません。
でも、本人ががんばっているんだから、
どうして励ましてやれないんですか。
どうして応援してやれないんですか。
そんな教育者で恥ずかしくないですか。
今すぐ帰ってください!」
って言って、追い返してたましたけど。
──
映画にも描かれてましたが、
お母さまも、小学校の先生でしたよね。
征三さんがむしゃくしゃして、
ひとんちの畑の
サトイモの葉っぱをめった切りにして
帰ってきたとき、
ひとしきり怒ったあとに
「楽しかった?」って聞くような。

田島
結局、ぼくに思いやりがなかったのか、
征彦をつらい目に遭わせてたのかな。
セイちゃんのせいで、ぼくが
どんなに苦しかったか知ってるかって、
今でも、よく言ってるよ。
──
大人になってからも、
そうやって喧嘩をするものなんですか。
田島
もっと激しいよ、昔のほうが。
まるきりぶつかってくるから。
──
ああ、そうですか。
田島
結局、双子だから、
きっと相手もわかってくれるはずだと。
そういう「甘え」があるんでしょうね、
ぼくのほうに。

──
おふたりの合作の絵本もありますけど。
田島
ああ、同じ場面を、
右ページと左ページで描きわけたやつ。
ぼくは、ふだんは紙に描いているけど、
征彦の絵は「染め」だから布なんだ。
──
ええ。
田島
ぼくのほうは、布には描きづらい。
なのに、
ぼくのほうが苦労をしてるのに、
もんくばかり言う。
──
はー‥‥。
田島
ま、あれも喧嘩ばっかりしながら。
だって、やっぱり妥協できないですよ。
芸術上の問題となると、とくに。
──
なるほど。
田島
60くらいかな、それくらいのときに
高知新聞の日曜版で、
「往復書簡」を連載したんですよ。
──
あ、征彦さんと。双子の往復書簡。
それは、おもしろそうです。
田島
いや‥‥
ぼくが、なんの遠慮もなく書くでしょ。
最初のうちはおもしろかったんだけど、
だんだん、征彦、怒り出しちゃってね。
──
あー‥‥(笑)。
田島
本気で怒ってくるから、
もう、なんか醜い闘いになっちゃって、
結局、辞めちゃったんだけどね。
──
はぁ。
田島
その後、書籍化されたんだけど。
──
怒りの往復書簡の本!
読んでみたいような、
読みたくないような‥‥(笑)。
田島
だからね、たぶん、征彦が
ぼくの作品をあまり見たがらないのは、
「征三は征三で、やればいい」
って、そういうふうに思ってるんです。
ぼくのほうでは、
ユキちゃんのつくるものに興味あって、
おもしろいなって思ってるんだけど。
──
じゃ「片思い」なんですかね(笑)。
田島
大学くらいまでは、一心同体でしたよ。
はなれていても、会いたくなったりね。
何かをつくるにしても、
なんとなく同じ方向を向いていたりね。

(つづきます)

2019-12-08-SUN

前へ目次ページへ次へ
  • 祝・田島征三さんが、
    第42回巌谷小波文芸賞を受賞!

    このインタビューを準備している真っ最中、
    田島征三さんが
    巌谷小波(いわやさざなみ)文芸賞を受賞、
    という嬉しいお報せが飛び込んで来ました。
    昨年の受賞者はミロコマチコさん、
    おととしは、加古里子さん。
    過去には、手塚治虫さんや長新太さん、
    工藤直子さん等も受賞している文芸賞です。
    授賞式は、この連載の開始日、12月4日。
    田島さん、おめでとうございます!