ヘアメイクという仕事を通じ、
俳優やモデルなど、表現をなりわいとする人たちに
長くふれてきた岡田いずみさんは、
その人の魅力について
深く考える瞬間がたびたびあるといいます。
人の魅力って何だろう?
表現という仕事に就く人の特別さって?
なぜ、あの人は輝いて見えるのだろう?
その話をするならぜひ、と、
岡田さんが会いたかったのが、
AMUSEで新人発掘を担当し、
多くの俳優を見いだしてきた大橋良行さんでした。
大橋さんは、街をあるく彼らの、
いったい何を見てきたのか、
どこに魅かれて声をかけるのか。
そして、魅力とはいったい何なのか。
全5回、たっぷりおたのしみください。

>大橋良行さんのプロフィール

大橋良行(おおはし・よしゆき)

株式会社AMUSEの新人開発担当マネジャー。
発掘(スカウト)から、俳優の育成を担当する。
自ら経営をしていた株式会社ウィルの時代から、
上野樹里、吉高由里子、佐藤健、
三吉彩花、甲斐翔真などを育てててきた。

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その3 会社ごとの移籍。

岡田
そもそも大橋さんが
このお仕事に入るきっかけは、
どういった経緯だったんですか?
大橋
僕、大学の建築科を出ていて、
卒業して設計事務所に入ったんです。
ところが、入った途端に
「全然つまんないな」と思って(笑)。
岡田
え、何がつまらなかったんですか?
大橋
地味だったんですよね、やっぱり。
担当したのが階段の設計とかなんですが、
僕が設計するとね、
どうしても最後に階段が床と合わない。
岡田
最後の一段が?
大橋
はい。だから空洞があいて落ちちゃうんです。
あ、俺こういうの絶対向いてないな、と思いました。
そしたら大学時代の友人が
「俳優になる」って言うので、
「ウィル」という事務所を一緒に立ち上げたんです。
会社自体は21年間、社長をつとめ、
その途中から、モデル事業を始めたんです。
当時、資生堂の『花椿』のお仕事をされてた、
有名なカメラマンの横須賀功光さんと懇意にしていて。
資生堂出身でいらっしゃるんですよね、岡田さん。
岡田
そうなんです。
私は実家が資生堂の化粧品屋さんだったんですけど、
資生堂のPR誌の『花椿』に憧れて、憧れて。
どうしても資生堂のサブファ(SABFA)という、
メイキャップアカデミーに行きたくって、
3年間、美容師の免許を取るために頑張りました。
大橋
偉いなぁ!
岡田
そして卒業し、資生堂に入りました。
商品に関してのコンセプトもすごくよくって、
10年ほど面白く過ごさせていただきました。
大橋
横須賀さんに、
専属のヘアメイクさんがいらして。
なんておっしゃったかな。
岡田
富川栄さんですね。
私の上司でした。
大橋
そうでしたか。
アートディレクターが、天野幾雄さん。
その時代に、資生堂さんの宣伝部のすごさを
ずいぶん見せていただいたんですよ。
みんな怒鳴ってましたね、当時はね(笑)。
ヘアメイクさんって、
結構怒鳴られるポジションですよね? 
岡田
私より上の世代はほんとにそうでしたね。
私は当時はアシスタントで
ギリギリ、その世界を見ていたという感じです。
毎回戦いっていうか、まさに「真剣」、
斬るか斬られるかかみたいな感じでした。
私自身が斬られることはそんなになかったんですけど。
大橋
すごいですね。
岡田
でも、真剣勝負って、
受ける度量があるからぶつけられるんですよね。
全力の剛速球が投げられるのは受けとめる人がいるから。
そういう現場でもあったなぁと思いますし、
今ではそれが羨ましいなぁとも思います。
大橋
やりがいのある現場だったんですね。
岡田
「何時間でも付き合うよ」という現場でしたから、
モデルは大変だったと思うんですけど。
大橋
もうすごかったですよ。
岡田
朝8時に入って、次の日の8時まで、なんて、
全然当たり前だったし、
3日くらい家に帰れなくって、
その辺で皆バタバタ寝ながら
仕事していることもよくありました。
それでも、いいと思うものを
追求するんだっていう現場を体験できた。
私は多分、その世代の最後だという気がするんですよ。
大橋
そうかもしれないですね。
岡田
あれだけの集中力と本気。
アートディレクターさんが、
納得いかなかったら「帰る」って言うんです(笑)。
「俺の作品にしたくないから帰る」って。
だから、そこにいる人は、
モデルさんも含めて全員が真剣勝負。
心は白装束みたいな気持ちで(笑)いるんです。
大橋
いやぁ、ほんと、そうですよ。
すごかったです。
岡田
だからこそ伸びなければいけない、
私は今すぐ成長しなければいけないって、
全員がそう思ってるっていう気合があった(笑)。
そういう場ではミラクルも起きやすくって、
それが作品につながっていくんですよね。
いい時代でもありましたよね。

大橋
テレビコマーシャルっていうものが、
いろんな意味でトップだった時代ですね。
その出来が会社を左右した。
テレビコマーシャルが全てを決めていた時代。
だからもう戦闘態勢。
面白い時代ではあったんですけど、
怖い時代でもありましたね。
岡田
15秒の中で、商品のよさと、モデルのよさと、
CMの面白さを伝えなければいけない。
しかも大量につくっていたじゃないですか、昔って。
そしたらやっぱりああいう現場になっちゃうよね、
っていう感じはすごくしますね。
毎回「新しかった」。
簡単に誰かがやったフォーマットをなぞるとか、
そういう時代ではなかった。
そのフォーマットから変えていくんですよね。
大橋
あの時代──80年代ごろは、
あらゆる才能がCM界に集まった時代だったんですね。
糸井重里さんもそうですよね。
岡田
そうですね、糸井さんも。
大橋
その後、そのいろいろな才能は
テレビや映画界に移っていったりしましたけれど、
あの頃は短いコマーシャルに全ての才能が集まっていた。
名作も生まれましたよね、
市川崑監督、大原麗子さん主演の
サントリーレッドのCMとか。
コマーシャルから、素晴らしいスターも
たくさん生まれた時代でした。
ありとあらゆるものがそこから生まれ、
相互拡散をしていきました。
岡田
大橋さんもその時代を経て、
いまの、アミューズに?
大橋
僕、83年に自分の会社「ウィル」をつくって、
モデル事業部を始めたのが94年だったんです。
その後、2004年に大里洋吉さんっていう、
いまの会長に出会って、会社に入れてもらいました。
もう17年か18年目かな、そのくらいになるんです。
移籍したとたん、
樹里も吉高もグングン、
面白いように伸びていくわけです。
「何で?」って思うくらい。
おっきい会社に入ると全然違う、と思いましたね。
アミューズって会社自身、
大きく育ててくれる会社で、
そこが素晴らしいなっていうふうに感じます。
僕はみんないい方向に向かってると思ってます。
岡田
大橋さんご自身のお仕事はどうですか?
大橋
自分で会社をやってるときには、
規模が小さかったので、
見つけても入ってくれない人もいましたが、
アミューズは楽です。
めちゃくちゃ楽です。
「朝ドラに出ている、あの人」とか、
「大河ドラマに出てる、あの俳優さん」、
その事務所なんですよ、って言うと、
すぐに信頼をしてもらえます。
それはやっぱすごいですね。
お父さんやお母さんに対するアピールも。

岡田
アミューズのみなさんとお仕事をすると、
マネージャーさんたちがすごくフラットだと感じます。
丁寧だけれど慇懃すぎるほどではなく、
私たちもほんとに心地よく、
フラットでいられるようにしてくださいます。
‥‥この例えが適当か、わからないんですけど、
ボクシングを見ていていっつも思うんです、
あのリングの、そこにいるだけのために
生活のすべてが決まるような人たちには、
リングをバシーッて張ってあげないと、
そこに行く気がしないだろうなって。
そのリングの張り方ってあるじゃないですか。
緊張感バキバキのリングなのか、
それとも日向ぼっこしそうな、優しいリングなのか、
いろいろあると思うんですけど、
アミューズさんは
「全力を出していいんだよ」っていう、
一番フラットな状態で、緊張させすぎず、
でも、心地よくピンと張ったものがそこにあります。
私もいつもご一緒させていただいて、
学ぶところがとても多くって。
大橋
あぁ、そうですね!
岡田
はい。そういうふうな場所に行くと、
その人はその人らしくいられるんだなって。
安心感がある場所っていうのは、
スタッフそれぞれが信頼できる人じゃないと
飛び込めないというのがあるので、
私もそうありたいと思います。
それのお手本みたいなものって、
なかなかいつもあるわけじゃないけれど、
あぁ、こここういうことなんだなっていうのを
アミューズのみなさんと一緒の現場で、
よく感じさせていただくことが多いです。
大橋
ありがとうございます!

(つづきます)

2022-03-30-WED

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