2003年頃、コンピュータといえば、
アメリカのシリコンバレーが中心でした。
ざっくりいうと、いま「ほぼ日」があるのも、
シリコンバレーのおかげです。

その頃、日本からエンジニアとしてアメリカへ渡り、
シリコンバレーの会社で働いていた上田ガクさんに、
現地のことや働き方などについて
レポートしてもらいました

あれから20年。
コンピュータやインターネットは
スマートフォンやさまざまなAI技術として
人々の日常に欠かせないものとなり、
デジタル産業は世界の経済に影響を与えるように。

さていま、シリコンバレーと呼ばれた場所は
どうなっているのでしょう?
現在は彼の地で起業している上田ガクさんに、
久しぶりにレポートをお願いしました。

>上田ガクさん プロフィール

大学の頃からコンピューターとインターネットが好きで、
2001年にシリコンバレーに渡り、
以来22年間シリコンバレーで生活している。
Yahoo!、Google、Twitterなどのテック企業で
ソフトウェアエンジニアやエンジニアリングマネージャーとして
会社の急成長を中から見てきた。

2014年にセンサーや機器もインターネットに参加させる
Internet of Things (IoT)の
スタートアップの会社MODE, Inc.をアメリカで起業し、
今はシリコンバレーの次のグローバルな働き方について
日々考えている。

好きな食べ物はハンバーガー。

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第5回転職が当たり前な社会の良いところと悪いところ。

日本では同じ企業に
10年20年勤める人もたくさんいますが、
シリコンバレーでは
私がやってきた20年前から転職の頻度がとても高く、
1、2年、長くても4年ごとに転職をすることは
珍しくありません。
私自身もこちらに来てから20年の間に
4つの職場で働きました。
急成長する会社がどんどん生まれてくることもあり、
大抵の場合は「転職しませんか?」という
お誘いのメールや電話が来ます。
「仕事が楽しくないな」とふと思ったときに
そんな連絡が舞い込むと
転職につながるわけです。
会社側も大変です。
働きやすい環境、面白い仕事、
良い待遇を用意しないとあっという間に
人が居なくなってしまいます。
いかに働き続けてもらうかに日々苦労をしています。
そんなこともあり、ランチが無料で提供されたり、
オフィスには娯楽施設がたくさんあったりと、
ニュースで見るようなシリコンバレーのオフィス環境は、
そのようなことから作り出されていったのでした。

オフィスの様子。2011年。 オフィスの様子。2011年。

今振り返ってみると、
激しい人材争奪戦は行き過ぎた感も強く、
華美な環境で社員は甘やかされていたようにも思います。
コロナの期間、現実世界での活動が
大きく制約されていたため、
オンラインでのビジネスは絶好調で、
この人材争奪戦には一層拍車がかかり、
各社が挙って大量採用を行った結果が、
昨今の大量のレイオフにつながっています。
何事もやり過ぎは良くないようです。
人々が数年おきに新しい職場に移っていくことは
概ね良いことだと感じています。
その中のトレンドの移り変わりは激しく、
10年前ホットだった会社が
今もホットであるとは限りません。
逆に登り調子の会社には人材がどんどん集まり、
あっという間に急成長を遂げます。
今で言えば、昨年から技術のトレンドとなっている
生成AIの会社にはすぐに必要な人材が集まることでしょう。
働く人たちが常に新しいところへと動いていくので、
何年かすると、以前一緒に仕事をしていた人たちが
色々な新しい会社で働くことになります。
新しい会社は成長に伴い求人も多いので、
「今、こういう面白い仕事をやっているのだけれど、
また一緒に仕事しない?」
といったような感じで誘われることがよくあります。
ちゃんと普段真面目に仕事をして、
まわりの人達に信頼されるよう誠実に仕事をしていると、
いずれ色々な良い話が舞い込んできます。
私も急成長する会社で働く機会に恵まれましたが、
2度の転職とも、元同僚がその会社で働いていて、
私を誘ってくれたから入れたのでした。
もちろんその逆もあります。
チームワークが悪い人や、
周りに迷惑をかけてしまうような人は、
新しい会社で人材を探している時に名前が挙がって、
「この人どう? また一緒に仕事したい?」
と聞かれたりしますが、
「ああ。。。。あの人ですか。。。」
みたいな反応をされてそこで話が立ち消える、
ということも良く見受けられます。
シリコンバレーといっても、
日々目の前のことをちゃんとやっていれば
みんな見ていてくれているというのは
世界共通のようです。

(つづきます)

2023-04-17-MON

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