宇宙飛行士の野口聡一さんが、
スペースX社の宇宙船クルードラゴンの
運用初号機「レジリエンス」に搭乗して、
国際宇宙ステーションへと飛び立つ‥‥!
宇宙ファンならずとも、
このニュースを誇らしく感じた方が
たくさんいたのではないでしょうか。
宇宙開発がまた盛り上がりを見せる一方で
「宇宙ってなんだか難しくない?」
というムードになっていることを、
野口聡一さん本人が危惧していました。
こんな時代だからこそ、手にとれる宇宙を。
夢でつながる宇宙の話をしませんか。
野口さんが3度目の宇宙へと飛び立つ前に、
糸井重里とオンライン対談を行いました。
※宇宙航空研究開発機構(JAXA)の機関紙、
「JAXA’s[ジャクサス]」
81の特集企画として収録された対談を
「ほぼ日」編集バージョンでお届けします。
野口聡一(のぐちそういち)
JAXA宇宙飛行士。博士(学術)。
1965年神奈川県生まれ。
2005年スペースシャトル
「ディスカバリー号」による
国際宇宙ステーション(ISS)
組み立てミッションに参加、
3度の船外活動をリーダーとして行う。
2009年、日本人として初めて
ソユーズ宇宙船にフライトエンジニアとして搭乗。
ISS第22次/第23次長期滞在クルーとして
ISSに約5ヵ月半滞在し、
「きぼう」日本実験棟ロボットアームの
子アーム取付けや実験運用などを実施。
2020年、スペースX社の開発した
新型宇宙船「クルードラゴン」に搭乗。
ISSに長期滞在する。
趣味はサバイバル術と料理。
著書に『宇宙においでよ』
『宇宙に行くことは地球を知ること』
(矢野顕子と共著)など多数。
Twitter @Astro_Soichi
- 糸井
- ぼくが小学生の頃にニュースで見た
ガガーリンの宇宙飛行では、
無限の宇宙の端っこまで行ったのかなと
ワクワクしていたんです。
でも実際は、地球の周りの本当に低いところを
ぐるっと回っていたということを
小学生の頃は知りませんでした。
ここ最近だと、ジェット機を飛ばして
相当高いところまで行くと、
短い時間だけ疑似無重力が味わえるという
サービスもありますよね。
「でも、それは地球じゃないか?」
と言いたくなるようなものまで「宇宙」と言われて
ごっちゃにされているので、
夢が壊れているような気がしていたんです。
でも、「はやぶさ」みたいに実感がありながら
宇宙を語れるものが間に入ってくれたのは、
とてもうれしく思いましたね。
- 野口
- はい。そうですね。
- 糸井
- そういう意味では、
月旅行が現実的になってきているのは、
遠さと近さの両方があるものとして
認識できましたよ。
- 野口
- 先ほどガガーリンの話が出ましたが、
「どこまで行ったのかわからないけれど、
すごいところに行ったらしい」
というのが、おそらく当時の方々の
素直な感想だったんだと思うんですよね。
- 糸井
- はい。まさにそうです。
- 野口
- 特に当時は冷戦のさなかでしたし、
自分たちの空の上を知らないうちに
悠々と飛んでいったということが
非常に驚きだったんだろうと思います。
ガガーリンを宇宙に飛ばしたソ連に対する
アメリカ、ケネディ大統領の作戦が
世界中のどこからでも見える
月に旗を立てるっていうすごい計画でした。
結果的には、ご存じのとおり成功しましたよね。
しかしながらそれ以降、
目に見える成果といいますか、
誰もがすごいと思えるような成果から
離れた世界に行っているのは確かだと思います。 - たとえば、私が子どもの頃に
ボイジャー計画で打ち上げられた探査機は、
じつは40年以上経った今でも
太陽系のはるか遠くで飛んでいるんです。
そのニュースを見た当時は私も感動しまして、
本当に素晴らしいと思う一方で、
今ではちょっと世の中の関心とは
遠いものになりつつありますよね。
惑星探査機はいっぱい飛んでいるのですが、
「はやぶさ」や「はやぶさ2」のように、
わが手に戻ってきて
宇宙観を与えてくれるというものは、
最近少ないなと改めて思いますね。
- 糸井
- そういう意味でも、
月面着陸のアポロ計画というのは
プロダクトとして
本当によくできていたとも言えますね。
- 野口
- 去年が月面着陸50周年という年で、
私が滞在しているアメリカのヒューストンでは
アポロ計画にまつわる講演会が
たくさん行われていました。
当時、まだ20代でアポロ計画を支えていた
エンジニアたちのお話をうかがえましたし、
月面を歩いた方たちとも交流できました。
アメリカの国力もあったと思いますが、
失敗を恐れないであるとか、
成功を疑わないという、すごい信頼ですよね。
話を聞くほど、月へ到達したこと以上に、
「よくそんな綱渡りみたいなことやりましたね」
ということに感動してしまいます。
当時のケネディ大統領が
「われわれは月に行く。難しくても行くんだ」
と言ったかどうかわかりませんけれど、
当時の技術力を駆使して人類がギリギリ届く範囲に
目標を設定していたことがすごいなと思います。
もちろんそれは、ガガーリンにしたって同じで、
ソビエト連邦が共和主義の優位性を示すために
おそらく当時の局長が「次は宇宙だ」と
エンジニアをたきつけて
強引に成功させたのだと思うんです。
時の指導者が難易度の高い計画を立てて、
そこに技術者がうまく乗っかっていくやり方は、
ある意味で成功するパターンなのかもしれません。
- 糸井
- 飛んでいるロケットを思い浮かべたときに、
垂直に宇宙に飛び出すイメージと、
地球の周りを回ることで平行に見える空と、
どちらもありますよね。
でもやっぱり、人の宇宙観っていうのは
垂直なイメージを持ちたいんだと思うんですよね。
月面着陸と聞いて人々が思い浮かべたのは、
垂直の旅だったんだと思うんですよね。
- 野口
- 垂直と平行、なるほど。
感覚としてはそうですね。
- 糸井
- そう、感覚としては。
- 野口
- ええ、よくわかります。
私も、ロケットの打ち上げは
何回も見させていただきましたけれど、
肌感覚として一番感動したのは、
自分が乗っていたスペースシャトルではなく、
友人の飛行士が乗っていたソユーズロケットです。
まだ私が新人の頃に見たのですが、
平原の何もない大地にロケットの発射台だけがあって、
「3、2、1、ボン」と火がついたときに、
地平線が見えるところから
ロケットが真っすぐ空に上がっていったんです。
重力を振り切ってロケットが上がっていく、
そこに自分の知っている人が乗っているんだと。
地球というわれわれが知っている世界から
垂直に離れていくことで、
「人類にはこんなことができるんだ!」
と強烈に感動したことを覚えています。
おそらく糸井さんにとっての宇宙は、
地球の地面に棒を立てて、
そこから真っすぐ上げていったその先に
月があるという感覚ですよね。
- 糸井
- そうです、そうです。
- 野口
- 実際に月に行くときには、
地球の周回軌道にまずは乗って、
スピードを上げていって
スーッと放り投げるように月へ向かいます。
- 糸井
- はー、そうなんですね。
- 野口
- ただ、垂直に地面を蹴って
上がっていくものに対する畏怖の念というのは、
間違いなく人類の遺伝子に刻まれています。
上に行くことがすごい。飛びたい。
そういう感覚的なことも含めて。
- 糸井
- その感覚がみんなにあったから、
月っていうシンボルに向かっていくときに、
誰もが憧れを抱いたんでしょうね。
- 野口
- アポロ計画のロケットも、
細長い形をしていましたからね。
当時の開発技術が
どこまで実現できたのかわかりませんが、
宇宙船が飛行機のように滑走路から飛び立って
水平に飛んでいく技術が開発されていたら
また違った感覚だったと思うんです。
- 糸井
- ああ、それは違ったでしょうね。
ぼくはガキだったから、
スペースシャトルの形が飛行機に似てるのが、
ちょっとつまらなかったんですよ。
- 野口
- なるほど。
- 糸井
- 子どものぼくが思い浮かべたロケットは、
長い砲弾のようなものが
どこだかわからない向きに飛んでいく姿です。
しかもその目的地が月なんだ、
というシンボリックな喜びがあったのに、
「スペースシャトルは平行に近いような斜めに飛ぶ」
「回収してまた使える」という変化を遂げたことで、
夢と言うのはおこがましいですけれど、
ぼくの宇宙観がどこかで
「あれ、がっかりしちゃったなあ」と。
もしも月面着陸のあとに
火星計画がどんどん進んでいたら、
ぼくはもっと宇宙少年だったんじゃないかなあ。
- 野口
- 糸井さんの考えに近い方向へ進んでいるのが、
今度私が乗るロケットを開発している
アメリカのスペースXという会社ですね。
- 糸井
- ああ、そうみたいですね。
- 野口
- 私が乗る「クルードラゴン」も鉛筆型といいますか、
まっすぐ立った先にカプセルがある形状です。
スペースXは本気で火星探査を目指していて、
月の次は火星まで行くための
ロケットをつくるんだということを、
会社の目的として全面に出しています。
糸井さんはじめ、1960年代に子どもだった方々の
宇宙への夢を正しく継承しているのは、
スペースXなのかもしれませんよ。
(つづきます)
2020-11-12-THU