ほぼ日における「野球の人」、
田口壮さんが久しぶりの登場です!
オリックスの中心選手として日本一を経験し、
メジャーで2度の世界一に輝いた選手時代から、
2016年からはオリックス・バファローズの
指導者としてパ・リーグ三連覇。
こうして華やかな経歴を並べたくなるのですが、
イップス、ケガ、浪人生活など、
いいことばかりの野球人生ではありませんでした。
2024年シーズンの開幕直前に読みたい、
田口さんと糸井による野球談義です。
田口壮(たぐち・そう)
1969年7月2日生まれ。3歳で野球をはじめる。
甲子園には、出られなかったが、
関西学院大学へ進学し、野球部で大活躍。
関西学生野球連盟での公式戦通算123安打は
いまも破られていない記録。
1991年、ドラフトでオリックス・ブルーウェーブと
日本ハムファイターズから1位指名を受ける。
抽選の結果、オリックス・ブルーウェーブに入団。
ちなみに、イチロー選手は、
同じ年のドラフト4位でオリックスに入団。
1994年、外野手に転向し、レギュラーに定着。
1995年から3年連続でゴールデングラブ賞を獲得。
1995年には、念願のリーグ優勝。
翌年には日本一に輝いた。
2002年、セントルイス・カージナルスと契約。
マイナーとメジャーを行ったり来たりしたが、
2004年、メジャーに定着。
チームもリーグ優勝を果たした。
2006年には、ついにワールドチャンピオンに。
2007年オフに、フィラデルフィア・フィリーズと契約。
翌年、二度目のワールドチャンピオンを経験。
2009年、シカゴ・カブスと契約。
2010年、オリックス・バファローズと契約。
2012年、現役引退。
現役引退後は野球解説者として活躍。
2016年、オリックス・バファローズの
二軍監督に就任。
2019年から一軍野手総合兼打撃コーチ、
2021年からは現職の
外野守備・走塁コーチに配置転換された。
- 糸井
- 決して鳴かず飛ばずなわけじゃなく
「すごいぞ!」っていう軟式野球の選手で、
硬式球に持ち替えて自主的に練習もしていた
田口壮さんが高校野球部に入ったっていう、
マンガの物語がありまして。
- 田口
- はい。
- 糸井
- さあ、入学した途端に大活躍!
- 田口
- 途端に大活躍はしてないかな。
- 糸井
- ズルズルっと後ずさりしていますけど。
- 田口
- 一応、1年生の夏の予選は出てます。
- 糸井
- お、出てますか。
- 田口
- 途中から出ました。先輩がケガしたんで。
- 一同
- (笑)
- 田口
- 有名校だけあって、年功序列っていう、
なかなか崩せない伝統もありましてね。
- 糸井
- 1年生ですし、それはしょうがない。
艱難辛苦っていう感じですね。
ただ、プロ野球選手のインタビューを
いろいろ聞いていますと、
「高校1、2年で、
甲子園でピッチャーをやってました」とか、
ワッと盛り上がったものがあるのかなと思って。
- 田口
- ワッと盛り上がるものはないですね。
ショートで高校に入ったんですけど、
3年生の先輩がうまかったんで。
- 糸井
- ものすごい選手だったんですよね。
きっと、その人はプロに行って活躍も?
- 田口
- その先輩は2022年まで
オリックスで副寮長をなさっていました。
- 糸井
- へえ、副寮長ですか。
じゃあ選手としては?
- 田口
- 選手としては高校で終わっているんですけど、
その後、中学校の教師として
ソフトボール部の監督をやっていましたね。
で、どうしてもキャリアの最後に
プロ野球に関わりたいということで、
面接を受けてオリックスの副寮長になったんです。
- 糸井
- 後に副寮長になる先輩がいたおかげで、
田口さんはショートでレギュラーになれなかった。
- 田口
- 副寮長になるくらいの人ですからね。
- 糸井
- 精一杯やっても、副々寮長ですよ。
- 田口
- やっぱり、1年生では崩せませんでした。
ちなみにぼく、1年生で夏の県予選に出て、
ぼくのトンネルで負けたんですから。
- 糸井
- それは伝説の選手にありがちですね。
- 田口
- そもそも、ショートで入部をしたのに、
全然違うファーストを守ったんです。
- 糸井
- それはハンディキャップです。
- 田口
- ピッチャーの先輩が投げてきた
ショートバウンドの牽制球を後ろに逃して、
ランナーが3塁に行きました。
その後、ファーストゴロを打たれて、
その球をトンネルしたのが決勝点。
- 糸井
- デコレーションケーキの上に
ショートケーキまで乗せたような話(笑)。
- 田口
- もう、盛り盛りですよ。
何人かの先輩からは
「お前のせいで人生変わったぞ」と
後々に言われましたね。
- 糸井
- 試合中に責めはしなかったですか。
- 田口
- その時は責められてないですね。
でも、大学受験で失敗した先輩からは
「お前のせいで人生変わった」と(笑)。
- 糸井
- 「田口のせいで」っていうタイトルで、
その人たちにインタビューしたいくらい。
- 田口
- 田口のせいで(笑)。
- 糸井
- 今のところ、スポーツ新聞的には
芽が出てないかのように捉えられそうですが、
高校2年生になったらもう大丈夫?
- 田口
- 2年生、それなら芽が出てますよ。
- 糸井
- おお、何がどう?
- 田口
- 2年生でスカウトが来てますから。
- 糸井
- ああっ! やっと伝説がはじまりましたよ。
田口さんは前からすごいとは聞いてましたけど、
どういうスカウトが来たんですか?
- 田口
- 日本ハムの方でしたね、
最初に来られたのは。
- 糸井
- 一般受験で入るような学校だし、
人数もギリギリの野球部ですよね。
そこのショートにスカウトが来ちゃった。
- 田口
- そうです。
- 糸井
- スカウトに何を見せつけたんですか。
- 田口
- 何を見せつけたかっていうと、
うちの部長先生が。
- 糸井
- また違うキーワードが出た。
- 田口
- 野球部の部長さんを務めていた先生がおられて、
たまたま居酒屋で飲んでいたら、
そこに日本ハムのスカウトの方がいたっていう。
- 糸井
- 田口さんとはどう関係するんですか?
- 田口
- あ、全然関係ないですよ。
「うちの田口はいいから一回見に来い」くらいで。
- 一同
- (笑)
- 田口
- 「見に来い」って言われて来てくれたんです。
お酒の席で学年も聞いてなかったのかな。
だから、2年生のときに来ちゃったんですよ。
- 糸井
- はあーっ!
- 田口
- でも、これで後々有名になっていくわけですから。
- 糸井
- いや、そうですよね。
ぼくらの目の前で観客をしている
「ほぼ日」のみんなは笑ってるけどさあ、
ここで笑ったやつ、いまに見とけ!
- 田口
- そうです、そうですよ。
- 糸井
- そのスカウトは、
田口選手の敏捷な動きを見たわけですね。
- 田口
- ぼくは、スカウトが来たときに
気づいていなかったんですよ。
でも、「いいぞ」っていう話になって、
そこからスカウトが増えていきました。
- 糸井
- それって、何がよかったんでしょう。
- 田口
- 肩が強かったのと、足は速かった。
この2つはあったんじゃないかなと。
- 糸井
- 足は、目立つくらい速かったですか。
- 田口
- まあ、速かったと思いますよ。
- 糸井
- よかった。なんだかホッとしました。
- 田口
- 高校1年生のスポーツテストで、
50メートルを普通の運動靴で測って、
5秒9を出したんです。
陸上部の先生が、
「運動靴で走って5秒9は出ない!」って
ぼくは何回も走らされましたね。
普通なら体力測定って2本で終わるのに、
5本くらい走るように言われまして、
ぼくは全部5秒9を出しました。
- 糸井
- その足ならスカウトにも目に見えますね。
あともう1つが、肩の強さ。
「田口の肩」といえば後に有名になる話です。
当時から肩はよかったんですね。
- 田口
- 小学校のときは岡山にいたんですけど、
岡山市でソフトボール投げの記録会があって、
いつも上位にはいましたね。
- 糸井
- 上位ってことは、もっと上もいる?
- 田口
- なあんかぼくの人生、
だいたい上に1人はいるんですよ。
- 糸井
- いわばイチローさん的な。
- 田口
- そうです。
いっつも1人はいますね。
中学校のときに甲子園でリレーをやったときも、
1人抜かれたんですよね。
- 糸井
- 高校のショートには
副寮長になるまでの先輩がいたし。
- 田口
- うーん、いつも1人いるなぁ。
(つづきます)
2024-03-20-WED