三浦雄一郎さんの、関野吉晴さんの、
星野道夫さんの傍らには、
「もうひとりの冒険者」がいた。
映像カメラマンとして、
名だたる冒険家や探検家たちと
行動を共にしてきた前田泰治郎さん。
他の誰かを撮るという仕事柄、
極地での前田さんご自身の写真は、
ほとんど残っていないそうです。
でも、お話をうかがってみたら、
前田さんの人生こそが、
ダイナミックな冒険者のそれでした。
冒頭の南極の話からびっくりします。
全7回、担当は「ほぼ日」奥野です。
前田泰治郎(まえだ・たいじろう)
1946年(昭和21年)8月15日生まれ、
令和2年で74歳。
1968年、駒沢大学経済学部卒業。
1970年より映像制作会社にて撮影に従事。
1980年、フリーランスカメラマンとして独立。
1981年より14年間、
NHK制作技術局撮影部山岳撮影研修の講師を務める。
1987年、撮影を主とする株式会社タイムを設立し
各局の番組を250本あまり撮影する。
2015年から、はドローンによる撮影を手掛け、
2018年からは6K映像も手掛ける。
- ──
- ヴィンソン・マシフって、
南極大陸の最高峰だということですけど、
標高と言いますと‥‥。
- 前田
- 以前は5200メートルと言われていて、
でも、計測し直したら、
4900メートルくらいになったのかな。
- ──
- その山を、1週間かけて登った。
- 前田
- 南極ってのは、大陸の上に
2000メートルの氷が載ってるんです。 - なので、飛行機で
標高2500メートルくらいに着陸して、
そのあとは、えんえん平地を歩くんです。
- ──
- なるほど。
- 前田
- カメラの機材とスキーを背負って2日間。
シェルパなんかいませんから。
- ──
- ぜんぶ、自分たちの力で。
- 前田
- あれにくらべたら、エベレストは楽です。
3食昼寝付き、ロープ付き、酸素付きで。 - ま、お金があれば、という話ですけどね。
- ──
- 先日、高所山岳ガイドの倉岡裕之さんも、
同じようなことを、おっしゃってました。 - じゃ、移動の最中も、動画撮影しながら。
- 前田
- 飛行機の中から撮ってました。
- 南極にポーンと着陸して、荷物降ろして、
パッキングして、ソリに積んで‥‥。
途中で、巨大な壁に出くわしたんですよ。
最大傾斜45度くらいの。
- ──
- 45度って、感覚的には絶壁ですよね。
- 前田
- そう。もう、ソリじゃ無理な傾斜なんで、
荷揚げをするわけです、
自分らで重たい荷物を背負って、全員で。 - そんなのが、
300メートルくらい続きましたね。
- ──
- アイスクライミングってやつですか。
- 前田
- そうです。八ヶ岳とかでやってるような
完全な垂壁じゃないですけど、
それでも、おっしゃるように、
45度って、ほとんど垂直に感じますよ。
- ──
- カメラ機材もあるわけで‥‥。
- 前田
- 大変でした。
- ──
- 当時、ヴィンソン・マシフには、
ルートも何もない状態だったんですよね。 - 南極への飛行ルートがなかったように。
- 前田
- 何もないです。過去に1回だけ、
アメリカの登山隊が登ったという記録は、
あったみたいですけど。
- ──
- じゃ、その次が、前田さんたち。
- 前田
- だから、だいぶ苦労しましたね。
- ぼくらのあとは、だいぶ楽になってます。
いまはお金さえ払えば、チリ空軍が
「いらっしゃい、ビューン」って(笑)。
- ──
- つまり、ルートが開拓されたから。
- 前田
- はい。
- ──
- ルートのない極地へ踏み込んでいくのは、
どういう感じなんですか。
- 前田
- ワクワクしますよ、そりゃあもう。
すごく、おもしろいです。 - だって「果たして行けるの?」ですから。
全員が全員、半信半疑なんだから。
- ──
- はー‥‥・
- 前田
- そもそも飛行機が降りれるかどうかさえ、
わかんなかったわけだし。 - 仮に降りることができたとして、
離陸できるかどうかわかんないんですよ。
こんどは、帰るときに。
- ──
- 片道切符になってしまう恐れが。
- 前田
- パイロットのやつも、あとになってから、
「やると言ったはいいけど、
帰ってこれるかはわかんなかった」って。 - それ先に言っとけよ~、みたいな(笑)。
- ──
- 降りられるかどうかがわからない場所で
降りられても、
帰って来られるかどうかわからないって、
はじめて月へ行った人たちと、
そんな変わんない心境じゃないですかね。
- 前田
- まあ、でも、地球ですからね。
- 降りる場所については、
空からいろいろリサーチして決めました。
- ──
- ちなみに、行き帰りの燃料って‥‥。
- 前田
- それは、チリ空軍にお願いして、
帰りの分をドロップしてもらったんです。 - Cー130で。
- ──
- えっ、すごい(笑)。
米軍の有名な輸送機ですよね、それ。
- 前田
- ずいぶん大げさだなあ、って(笑)。
- ──
- ドロップって言うと‥‥。
- 前田
- 空中投下してもらったんです。
ドラム缶で12本くらいだったかな。
- ──
- すべてが聞いたことのない話(笑)。
- チリから南極まで飛んでいくのって、
どれくらいかかるんですか。
- 前田
- チリの突端、
プンタ・アレーナスってところから、
ドレーク海峡を挟んで、
だいたい3時間半くらいだったかな。 - スピードの遅い飛行機で、
たしか、180ノットくらいでした。
時速350キロくらい。
- ──
- 前田さんは、それまでも、
当然、雪山のご経験というのも‥‥。
- 前田
- 学生時代、山岳部だったんで。
- ──
- じゃあ、昔から、
山にはずっと親しんできたんですね。
- 前田
- そうですね。
- スキーがうまいわけじゃないけれど、
北海道生まれなもんで、
まぁ、三浦さんと一緒に滑ってても、
絶対に転ばないだけで(笑)。
- ──
- 相当お上手でしょう、それは。
- 前田
- たぶん、そのあたりを、
三浦さんが見越してくれたんですね。 - かっこよく滑る人は
そこらじゅうにいると思うんだけど、
それだと、長く滑れないらしい。
- ──
- 三浦さんが滑るようなところは。
- 前田
- すぐに、息切れちゃうそうです。
- ぼくはもともと山屋だから、
重たい荷物を背負って滑るってのは、
仕方ないと思っていたから。
- ──
- なるほど、そっちに慣れていた。
- 前田
- ただ、ヴィンソンのときは、結局、
条件が悪すぎて、
ぼくはスキーを途中で放棄しました。 - ヒドゥン・クレバス‥‥って言って、
そこら中に、
見えない穴ぼこが開いてるんですよ。
それ、スキー履いてても
ズボッといくことがありますから。
- ──
- わー‥‥。
- 前田
- 実際、一回、腰まで落ちましたし。
- ──
- えっ。
- 前田
- でも、そのときぼくは
スキーを放棄してアイゼンを履いて、
ザイル背負って、テント背負って、
リュックサックいっぱいの状態で、
カメラを担いでいたんです。 - 危険地帯を過ぎたなというあたりで、
三浦さんが
上からピューッと滑ってきて、
フレームアウトして、
OK、次へ行こうと一段下がったら、
ストーンと落ちたんです。
- ──
- わあ。
- 前田
- リュックが引っかかって、助かった。
あれ、落ちてたら今ぼくいないです。
- ──
- クレバスって深い‥‥んですか。
- 前田
- どんなに浅くても
15メートル、20メートルはある。 - 落ちたら絶対、出てこれないですね。
- ──
- よかったです‥‥。
- 前田
- はい。三浦さんも
「あぁ‥‥生きててよかったなぁ!」
って言ってました(笑)。
(つづきます)
2020-10-15-THU
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