ひとりひとりが新しい視点を得ることで、
未来をちょっと良くできるかも、しれません。

13歳からの地政学』の著者であり、
国際政治記者の田中孝幸さんが
「ほぼ日の學校」で地政学の授業をしてくれました。
前半は、地球儀を使った講義形式。
後半は、会場のメンバーからの質疑応答。
みんなが知っておくとよさそうな
基礎的な知識について、田中さんがたっぷり3時間、
全力で話してくださいました。

地政学とはどんな学問か、国の統合や分裂のこと、
日本やロシアの特殊性について、
将来の不幸を防ぐためにできること、
子どもたちに対する思い‥‥などなど。
「知識は将来を守る武装になります」と田中さん。
ぜひ、お読みいただけたら嬉しいです。

>田中孝幸さんプロフィール

田中孝幸(たなか・たかゆき)

国際政治記者。
大学時代にボスニア内戦を現地で研究。
新聞記者として政治部、経済部、国際部、
モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、
世界40か国以上で政治経済から文化に至るまで
幅広く取材した。
大のネコ好きで、3人の子どもたちの父。
しっかりしていて面白い地政学の本を
子どもたちに読ませたいと書いた
13歳からの地政学カイゾクとの地球儀航海』
10万部超のベストセラーに。
2022年10月より、ウィーンに赴任中。

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(5)「我々の失敗を勉強してほしい」

田中
地政学を勉強するのって、
「ほかの人にやさしくなれる」という
メリットがあると思うんですね。
基本的には人間って、
どこへ行っても変わらないんですよ。
同じホモサピエンスというか、
ヒューマン・ビーイングというか。
生まれ落ちた場所や経験で、
考え方や行動様式が変わっているだけに
すぎないということ。
わたしも世界のあちこちをまわりましたけど、
その思いは年々強くなっています。
当たり前かもしれないですが、
人というのはみんな同じなんですね。
でも世界中で、その当たり前のことが
共有されているかというと、そうでもない。
考えなしに「あいつは◯◯人だから」
「あいつは△△出身だし、
あそこはとんでもない国だから」
みたいなことを言う人、けっこういませんか。
ヘイトスピーチってそういうことですよね。
要するに、自分にとって都合が悪い人を
すべての敵とみなして
「世の中の問題は、みんなあいつが悪い」
と攻撃する。
そんなふうに誰か敵を設定して
「ぜんぶあいつのせいだ」と
喧伝するようなことって、すごくよくあるんです。
非常に強権的な、独裁者と言われるような人は、
よくこのテクニックを使うんです。
ヒトラーもそうでしたし。
本当は現実って、そんなにシンプルな
ものじゃないんですね。
だけどそういうことを言い出す人が多いから、
そういう話が普通になってしまっている。
ヘイト的な言論って、
非常によくないなと思いますよね。
「あいつは□□人だから付き合わない」
とか、アホらしいじゃないですか。
面白くもないし、
なにより、やさしくないですよね。
だから地球儀を見ながら
世界の多様さに思いをめぐらせるって、
すごく良いことだと思うんです。
さまざまな相手のことを学べば、
自分の立場も客観的に見られるようになる。
そうやって得た感覚は
人同士がわかりあうことにもつながって、
その積み重ねが無駄な戦いや、
紛争を避ける力にもなるんじゃないか。
それはわたしの実感としてあるんですよ。

田中
『13歳のための地政学』を書いた理由にも、
いま言ったような思いがあるんです。
本屋に息子を連れていくと、
ヘイト的な本がすごく多いと感じるんですね。
『21世紀を荒らし回るあの国』とか
『悪魔の△△△の陰謀』みたいなね。
「誰かがぜんぶ悪くて、
そいつを叩きつぶさなければいけない」
みたいな言説があふれている。
うちの息子がそういうものを
間違えて読み出したら困るなと思ったんです。
ただ出版社の人に聞くと、
そういうシンプルなメッセージを掲げる
ヘイト本って、それなりに売れるらしいんです。
過激な主張ってわかりやすいから、
一定の売上がとれる。
だから世の中でそれなりに出版されているんだと。
その一方で
「まともなことを言っている本は、
なかなか売れない」という話も聞きまして。
それで「そうか!」と思って、
「まともなことがいちばん面白いんだよ」
という本を書いて、
息子たちに読ませることができたら、
すごくいいんじゃないかと考えたんです。
それが今回の本を書いた、
まずひとつの動機だったんです。
‥‥また、これはあまりこれまで
言ってこなかったことなんですけれども、
実はわたしには
『13歳からの地政学』を書いた、
もうひとつの動機というのがあるんです。

田中
なにかというとわたし、学生時代に
ボスニア戦争に非常に関わっていたんですね。
現地をウロチョロして、
戦争のことをそれなりに体験していたんです。
ボスニア戦争というのは
1992年から1995年にかけて起こった
ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に
勃発した武力戦争です。
「ボスニアムスリム」と呼ばれるムスリム系の人、
クロアチア系の人、セルビア系の人という
3民族による武力衝突が起きたんですね。
たとえばわたしの最大の親友に、
クロアチア国籍のセルビア人で、
ボイヤンというやつがいるんです。
彼はクロアチアに住んでますけど、
親戚は全員ボスニアやセルビアにいるんです。
むかしはみんな同じ国に住んでいたんです。
ユーゴスラビアという大きな国でしたから。
でも内戦が起きて、ユーゴスラビアが
7つくらいの国に分かれてしまった。
これは
「親戚がある日とつぜん、みんな外国人になった」
みたいな話です。
それによってわたしの友人のボイヤンも、
リンチされたり、非常にひどい目に遭ったんです。
彼はいまでも生きてますけど。
国が分断されてしまったことによって、
いろんなひどいことが起きたんですね。

田中
また、わたしが非常に仲が良かった別の友人に
エミルというやつがいるんです。
彼はサラエボに住んでいたんですけど。
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都ですね。
サラエボは1984年に冬季五輪があった、
非常に美しい町です。
余談ですけど、女性も美しい。
男も美しいんですけどね。
いろんな民族が混じりあう結節点のような場所で、
ハーフの人のような美しさがあるんです。
サラエボは盆地にあって、
まわりを山に囲まれているんです。
そしてこの町はボスニア内戦のときに
セルビア人勢力が山をぜんぶとって、
3年半、町を完全に包囲してしまったんです。
わたしの友人のエミルは、その3年半、
包囲されたサラエボの町で
ずっと砲弾を受け続ける生活をしたんです。
そういう、なかなかタフな状況を
生き残ったやつなんです。
3年半、彼はなにをしていたかというと、
兵隊にとられたくないからと、
ずっと地下室に隠れてたんですね。
それで、もう発狂寸前になりそうなときに
戦争が終わって、外に出てきたんですけど。
そのサラエボの悪夢のような状態を
経験した彼が、
わたしに言ったことばがあって、
こういうものだったんです。
「ここで起きたことは
他人事じゃないよ、おまえ。
もちろん日本は先進国ですごくいい国だろうけど、
人間は同じような失敗をするものだ。
人間の失敗というのは共通してる。
だからおまえには、我々の失敗を勉強してほしい。
ここで我々を襲ったような不幸が、
君らの子どもたちに降りかからないようにするのが、
お願いしたいところだ。
もしそれができるなら、我々の不幸も、
なんらかの意味があったということに
なるからなんだよ」と。
これ、けっこう重いことばで。
そのときにわたしは彼から
「やるのか、やらないのか」
って言われて、
「じゃあやるよ」と答えて、
もう四半世紀が過ぎてしまったんですけど。

田中
彼は、そのあとで自殺しました。
戦争が終わったあとで自殺する人って、
けっこう多いんですね。
トラウマとか、いろんな思いが
あとから戻ってきたりがあって
「生きのこったと思ったら、死んじゃった」
というのがありますけど。
そういう、重たい話なんですけど、
それが彼の、わたしに対する宿題というか、
遺言でもあったので。
だからそれがわたしにとって、
この本を書く動機になっているという。
‥‥なので基本的に、
地政学とか国際関係の話って、
エリートだけが知っていればいいという
話じゃないんですよ。
ひとりのエリートが完璧に知っているより、
100人の普通の人が
そこそこ知っているくらいのほうが、
世の中に良い影響があると思うんですね。
やっぱり民主主義だから、100人で選ぶわけです。
そこでわかっている人が多いほど、
そういう人たちが良い政治家を選びますから。
そして政治家の、
国の将来を決めるような決断って、
そういう国民の理解度に大きく左右されますから。
みんながそこそこ知っていれば、
ちゃんとした決断ができる。
逆に、ひとりのエリートしか知らなくて、
普通の人達がまったく知らなかったら、
みんなを不幸にする判断が選ばれることがある。
だから、みんなが専門家になる必要はないんです。
ただ、あるていど面白さや興味を感じて、
関心を持っていただくというのが、
おそらくいちばん大事なのかなという思いがあって。
ですから『13歳からの地政学』は、
わたしにとってはそういう、
友人からの遺言というか、要請に対する
ひとつの答えでもあるんですね。
タイトルに「13歳」とつけたのは、
「13歳以上ならほとんどの人口を
カバーできるだろう」という考えからです。
あと、息子たちへの思いもありますね。
それで今回の本を書いたというのが
正直なところです。

(つづきます)

2022-10-11-TUE

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  • 「打ち合わせの話を、先出しで。」
    今回の「ほぼ日の學校」の授業にあたっての
    糸井とのトークを記事にしたもの。
    田中さんのことや、国際関係の奥深さを
    全5回でさっと知ることができます。

    「新聞記者たちの、雑談。」
    それぞれに国際政治、経済が専門の
    記者のおふたりと糸井による、
    国際ニュースについてのトーク記事。
    おふたりの魅力的な語りで、
    ニュースの基礎をたのしく学べます。