古賀史健さんが1年かけて生み出した著書
『さみしい夜にはペンを持て』が大ヒット!
中学生に「書くこと」のおもしろさを
伝えたくてつくられた本ですが、
心にもやもやを抱えた誰もが
もっと先へと読み進めたくなるようなお話に。
主人公の「タコジロー」みたいに、
なんだか日記を書きたくなってきたりもして。
しかもこの本、手に取るとわかるのですが、
内容はもちろん、装丁にも、挿絵にも、
とんでもない熱量が込められていて、
そのあたりのお話もぜんぶ、聞いてみましょう。
この本をつくるために、
何度も何度も書き直したという古賀さんに
糸井重里が感心しきりの対談、全7回です。

絵:ならの

>古賀史健さんのプロフィール

古賀史健(こが・ふみたけ)

ライター。株式会社バトンズ代表。
1973年福岡県生まれ。
1998年、出版社勤務を経て独立。
主な著書に『取材・執筆・推敲』
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』のほか、
世界40以上の国と地域、言語で翻訳され
世界的ベストセラーとなった
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著)、
糸井重里の半生を綴った
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』
(糸井重里共著)などがある。
2014年、ビジネス書ライターの地位向上に
大きく寄与したとして
「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。
2015年、株式会社バトンズを設立。
2021年、batons writing college
(バトンズの学校)開校。
編著書の累計は1600万部を数える。
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(3)子どもは嘘を見抜くから。

古賀
ちょっと『MOTHER』の話に戻りますけど、
『MOTHER』みたいなゲームは
ティーンエイジャーが遊ぶものですよね。
もっといえば、小学生も遊ぶものです。
糸井さんが広告で作ってきたものは
20代、30代が主なお客さんだったと思いますが、
子どもに対してどう伝えたらいいんだろう、
みたいなことって考えましたか。
糸井
この本を書いた人らしい質問だなぁ。
それはね、考えてないのかもしれない。
古賀
お嬢さんがいらっしゃったから、
考えなくても書けたということですか。
糸井
それはあるけど、
娘は『MOTHER』をプレイしていないんです。
古賀
ええーっ!? そうなんですか?
糸井
怖かったんで、やらなかったって。
ゲームで遊ぶタイプの脳みそを持っている子と、
遊ばない子といますからね。
でも、ゲームのセリフみたいなことは
普通に子どもにもしゃべってました。
ぼくは大人と子どもの区別みたいなものを、
両方に、なるべくしないようにしていて、
大人としゃべるときも、
専門用語のやり取りなんてしなくても
仕事はできちゃうんですよね。
子どもを相手に説明するのが難しいようなことも、
いっしょにしゃべりながら考えたら
理解してくれるようになりますから。
そういえばときどき、子どもから
とんでもなく難しい問題を聞かれたことがあって。
古賀
たとえば?
糸井
娘はキリスト教系の学校に通っていたんで、
信心があろうがなかろうが、
教育はその教えに則っているわけです。
森羅万象のすべてを神様が創りたもうた、
という教えをいつも聞いていたわけですよね。
そうしたらあるとき、娘から
「パパ、蚊は‥‥どうしているの?」って。
古賀
神はなぜ、蚊を創りたもうたのか(笑)。
糸井
矛盾を感じていなければ、そんな質問はしないわけ。
「蚊のヤロウ!」と思っていれば気にしないけど、
神様がみんなを創ったと教わったから、
「えっ、なんで神様は蚊を創ったんだろう」って
自分の中でぶつかったわけですよね。
いま同じことをもう1回聞かれたとしても、
「痒みを教えるためじゃない?」とか、
「パンっ!て叩いちゃったなぁっていう心は、
叩かない人にはわからないから」とか、
いろんなことを話し合うんだと思うんです。
いっしょに考えようっていう姿勢は、
大人とでも子どもとでも、同じでしたね。

古賀
そこでお子さんの言うことを否定しないで
話し合おうとするのは、糸井さんらしいです。
糸井
答えはわからなくてもいいっていうのが、
ぼくの考え方なのかな。
古賀
なぜ『MOTHER』当時の質問をしたかっていうと、
中学生が読む本では嘘が書けないと思ったんです。
子どもはどんな嘘でも見抜いてくるし、
都合のいい嘘とか、きれいごととか、
そういうのは一切書けないと思ったんです。
むしろ、大人が読むビジネス書のほうが
嘘が通りやすいんですよね。
この本を大人向けに書いていたら、
もっとハッピーエンドにしたと思うんです。
でも、あまりにもわかりやすい展開だと、
中学生は逆に疑っちゃうだろうなと思って。
いままでに書いた本の中で
読者の鋭い目をいちばん意識しながら
書いた本だったんですよね。
糸井
最初に書いた文章教室の本がありましたよね
(『20歳の自分に受けさせたい文章講義』)。
そのときにも若い読者を想像していたし、
実は『嫌われる勇気』だって、
大人が読む形式にはなってないんです。
つまり、古賀さんが自分の名前で書く本では、
読者と作者との間でお互いにわかり合えている
大人は、最初から全部排除しているんです。
古賀
ああ、たしかに。
糸井
この間の文章読本
(『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』)でも、
大人を排除しているんですよ。
知について古賀さんの考える一番地があって、
そのあたりは身についちゃっているんじゃないかな。
『さみしい夜にはペンを持て』では
中学生を意識して書いたんだろうけど、
ぼくにはみんな同じだよって思えました。
古賀
じつは、この本をつくるきっかけのひとつが
『取材・執筆・推敲』をつくったことでした。
あの本ができあがったときに
「こんなのできちゃった!」って
書けたことがめちゃくちゃ嬉しかったんです。
内容にもすごく自信があったんですが、
期待していたほど部数も伸びなくて、
思っていた評価ではありませんでした。
周りは大ヒットだよって言ってくれるんですけど。
なんでだろうなって考えてみたら、
結局、その本をいちばん喜んでいたのが
自分だったからなんですよね。
糸井
ああ、古賀さん自身がね。
古賀
本を読んだ人よりも、
自分のほうが気持ちいい本だったんです、あれは。
だから、自分よりも喜んでくれる人がいる本を
つくらないと、みんなに支持されたり、
本当に届けたい人には届かないだろうなと思って。

糸井
前の本は、古賀さんがどう思ったかは別として、
ライターでもないほとんどの人でも、
その入口から入ってこられる本だったんですよね。
内容は十分、親切だったわけですよ。
あの本ではまったく嘘を書いていなかった。
古賀
はい、嘘は書いてないです。
糸井
いまあえて言うなら、
あの本の入口が「書き手のために」って
狭く見えていたんじゃないでしょうか。
私は書く人じゃないなと思っている人が、
お店に入って来てくれなかったわけです。
あえて言えば、そういうことになるんじゃないかな。
そういう意味でも、中学生に対象を絞るんじゃなくて、
どこを対象に置いている本なのか
わからないでもかまわない感じなんです。
これまでに何度も思ったことなんだけど、
『嫌われる勇気』もそうで、
古賀さんの書く本はマーク・トウェイン作品が
ヒントになっていると思うんですよ。
少年小説っていうジャンルに入れられてはいるけれど、
大人も子どもも関係ないんですよね。
古賀
ああ、たしかにそうですね。
『嫌われる勇気』の下地には、マーク・トウェインの
『人間とは何か』という本があります。
糸井
きっとそうですよね。
みんなが読める本のはずなんですが、
日本語ではどういうわけか、
知識人と大衆の階層に分かれてしまっているんです。
「本を読む人のための本」と、
「本を読まない人のための本」があるっていう
分断が起きちゃっている中で、
古賀さんはその区別をせずに市場を考えている。
それはきっと、ライターっていう代理人として
書いていた時代のおかげだと思うんですよね。
知識人の側にいると思っている人たちは、
古賀さんが代理人として書いていた本を
「俺はそういうの読まないから」って
読んでいなかったと思うんですよね。
古賀
お話をうかがっていて思いだしたのは、
ぼくが高校生ぐらいまで、
ロックかポップスかみたいな論争があって。
糸井
ポップスがバカにされていたんですよね。
古賀
そう、ポップミュージシャンは
大衆向けでダメなやつだって言われて、
ロックであるものがカッコいいとされました。
糸井さんはどっちも聴いていた上で、
すごく尖ったロックのことをカッコ悪いって
おっしゃっていましたよね。
その当時の糸井さんの影響もあって、
ぼくは「ポップス」っていうものに対して、
音楽を聴く上でも、何かをつくる上でも、
めちゃくちゃ意識していますね。
大衆的であることに対する憧れとか尊敬が、
相当強いんだろうなって思いました。

糸井
ぼくは自己反省からそう思ったんですよ。
若いときはやっぱり生意気だから、
自分が選ばれた場所にいるって思いたがるの。
ロック一辺倒だとか、もっと過激にだとか、
思い上がっていたところがあったんじゃないかな。
でもそれは思想的によくないなと思うことがあって、
とにかくできるだけ手を伸ばそうと思って。
古賀
そうでしたか。
糸井
坂本龍一くんはポップスの実験を山ほどしたけど、
それでも届かなかったという言い方をしました。
ポップスの領域っていうのは、
本気で考えている人にとっても永遠の謎なんです。
坂本くんは、現代音楽や教養としての
クラシックは学んでいて腕があったから、
スタジオミュージシャンとしても重宝したよね。
古賀
言われてみれば、ライターとしての仕事は
スタジオミュージシャンに近いですね。
「これ弾けるだろ?」という感じで頼まれて、
いろんなスタイルは一応できますが、
自分の本を書いてもいいとなったら、
自分の音楽って何なんだろうかと迷う。
それこそロックっぽく、
限られた領域でウケる音楽をつくるのは
それほど難しいことじゃないんですが、
「界隈」でちやほやされるところから抜け出して、
大きなところで何かしたくなったんです。
あれこれ迷って生まれた『嫌われる勇気』は、
自分にはできないかもしれないけど、
とにかくやってみようっていうチャレンジでした。
糸井
大雑把に言えば、どの本も古賀さんの私小説なの。
言葉を使えないままで
ひとつの場所にずっといるのは辛いけれど、
言葉を使えるようになってから、
おもしろくなったっていうお話です。
そう考えると、今回の本のヤドカリおじさんは、
古賀さんよりも苦労している感じはします。
ヤドカリさんはおそらくスピンアウトがあるなら、
結構な目に遭っている人なわけで。

古賀
そうですね。
糸井
古賀さんは両方の話を書ける場所にいるんです。
「タコジローはそのままでもよかったんだけどね」
と言ってあげながら書くこともできるし、
言葉を上手に使って変わらせることもできたし。
これを読んだ大人も、何かやってみようかな、
どこまで戻ればいいんだろうっていうのが
みんなわからないんで、
中学生まで戻りたいんじゃないですかね。
一時、ぼくはあらゆる人が
少年小説を書けばいいと思った時期があって、
「ジュブナイル」っていう言葉が、
都合のいい言葉だなと思ったんです。
つまり、あらゆる人がマーク・トウェインを書けば、
変な界隈にいなくてもいいわけ。
古賀
たしかに糸井さんは、
みんながジュブナイルを書くべきだって
おっしゃっていましたよね。

(つづきます)

2023-08-30-WED

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  • 『さみしい夜にはペンを持て』はこんな本

    『さみしい夜にはペンを持て』はこんな本

    「ぼくは、ぼくのままのぼくを、好きになりたかった。」
    中学生のタコジローがヤドカリおじさんと出会って
    日記を書きはじめ、たくさんの気づきを得ます。
    糸井重里はこの本の帯のために、
    このようなコメントを寄せています。
    「長編詩であり、冒険絵本であり、
    あらゆる少年少女のハンドブックであり、
    文章を書くことがすっかり
    おもしろくなってしまう魔法の本。
    こんな本は、世界中でもはじめてなんじゃないかな。」
    発売前から重版となって大ヒット、
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    『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)
    著:古賀史健 絵:ならの