たくさんの人が憧れる
グラフィックデザイナー祖父江慎さんと、
糸井重里が久しぶりに会い、話しました。
ソブエさんのブックデザインはいつも斬新ですが、
なんだか世界になじんでいく「変さ」なのです。
ソブエさんのアイデアはどんなふうに生まれ、
実行され、形になっていくのでしょう。
糸井がひとつずつ手順を追うようにうかがいました。
ソブエさんのデザインからにじみ出るうれしいこと、
その源泉をじっくりおたのしみください。

この対談は「生活のたのしみ展2023」
ほぼ日の學校トークイベントとして開催されました。

>祖父江慎さんプロフィール

祖父江慎(そぶえ しん)

1959年愛知県生まれ。
グラフィックデザイナー。コズフィッシュ代表。
多摩美術大学在学中に工作舎でアルバイトをはじめる。
1990年コズフィッシュ設立。
書籍の装丁やデザインを幅広く手がけ、
吉田戦車『伝染るんです。』や
ほぼ日ブックス『言いまつがい』、
夏目漱石『心』(刊行百年記念版)をはじめとする、
それまでの常識を覆すブックデザインで、
つねに注目を集めつづける。
展覧会のアートディレクションを手がけることも多い。
X:@sobsin

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第5回 距離取り屋さん。

糸井
話を戻して、ソブエさんの仕事の進行について。
打ち合わせが終わったら、まず
本文の文字組みを考えるんでしょうか。
祖父江
僕の場合はそうです。
原稿が来ていない状態で、
カバーだけ先に入稿してほしいと言われることも
たまにあるんですが、
やっぱり、内容を見ないとカバーは作れません。
カバーは、「だいたい、こういう本だ」っていうのを
感じるためのジャケットみたいなものだから、
本文あってこそじゃないですか。

糸井
今、ものすごくグネグネしながら
お話しされてましたけど、力強かったです。
祖父江
「本文あってこそ!」ですよ。
糸井
そうですよね。
なんていうか、強い意志が、今、
伝わってきました(笑)。
祖父江
伝えられました。よかった。
糸井
絵本だったら、文字組みだけじゃなくて
絵のトリミングとかも、
作家本人ではなくデザイナーがやる場合も
ありますよね。
祖父江
前はそうだったんですが、
最近は、トリミングまで作者さんがやるケースが
増えてきました。
写真家さんとかもそうです。
糸井
作家性がプロデュースに関わってきた
ということですかね。
祖父江
そうですね。
昔は、文字組みについても、
出版社ごとのルールがありました。
それが、だんだんと作家さんが
「こういうふうに組みたい」という意図を
出せる環境になって、
出版社のハウスルールが崩れたんです。
内容に合わせて「こう組みたい」という
要望が通るようになってきました。
糸井
でも、ソブエさんは、
作家さんの意見と違う考えだったとき、
どうするんですか。
祖父江
そういうときは、
希望どおりに作ったものと、
「こっちのほうがよくないかな」っていうのと、
両方お渡しします。
糸井
ご提案するんですね。
祖父江
うん、悩まれそうだったら、両方作って
提案します。
糸井
思えば、きっと写真家も作家も画家も
「やろうと思ったら、全部自分でもできちゃうよ」
っていう時代に、
専門的にブックデザインをしている人というのは、
相手が信頼してくれないと
仕事にならないですね。
祖父江
ですね。
糸井
「ソブエさんに頼んだんだけど、
本当は自分でできるんだよ」みたいな気持ちを
持っている人とは、やりづらいですよね。
祖父江
逆に、「自分の作品がどんなふうにされるんだろう」
っていう期待をしてくれている人もいる気がします。
糸井
ああ、そうか。
祖父江
そんな、ご本人が思いつかないところに対する
期待値がけっこうあるので、
「先方はきっとこうしたいんだろう」
と思ったとおりのことをやるよりは、
「こうは来ないだろう」と考えたほうをやるほうが
喜んでもらえることがあります。
糸井
そうなると、もう、
場外乱闘みたいになってくるわけですね。
しかも、ソブエさんの場合は、
試合の種類がめちゃめちゃ多いです。
作る本ごとに全然違う試合をしないといけない。
これは、時間も掛かりますね。
祖父江
うん、ただ、
そんなにきちんとしてるわけじゃなくて、
思いついたことをどんどんやっているような
ものですけども。
だいたいの人は、
自分のことは自分がいちばんわかりにくい、
ということがあるから、
「こういうふうにさせてくれ」というよりも
「どうなんでしょう」という感じのご依頼が
多い気がします。
糸井
そうか、つまりソブエさんに依頼をしたときに、
作家さんは、「私、どうなんでしょう?」って
訊いているのかもしれないですね。

祖父江
そればかりではないですけれども、
そういうこともあると思います。
例えば、モデルの方が、
せっかくのいい写真を
自分で無駄にしてしまうことって、
けっこうあるんですよ。
自分のイメージが強すぎて、
「自分はこういう笑顔が似合う」
と思い込んでしまうと、
それに当てはまらない表情の写真を却下しちゃって、
あんまり面白みのない写真ばかり残っちゃう、
なんてこともあります。
そういうところは冷静になって、
「人は客観的にどう思うのか」を知るのが
大事だと思います。
糸井
つまり、「他人の目」代表になってほしい、
と思ってもらったら、仕事が上手くいく、と。
被写体が自分の写真を
ダメにしちゃうことがあるという話は、
一般にも言えますよね。
人からどう思われたいかは、
誰もがいつも思っているわけです。
「こう見られたい自分」を過剰に盛っていったら、
ただうるさいだけになってしまいますし。
祖父江
今は加工の自由度が高くなったので、
何もしないほうがいいようなときも、
加工しちゃう、ってこともあるでしょうね。
鏡に写った自分の姿を見慣れているから、
そうでない自分の姿に対する抵抗感が、
だいたいの人にはあると思うんです。
「えっ、俺、こんな顔してたんだ」って。
糸井
自分を支えていたイメージが、
崩れちゃうんですよね。
それは、表現物でも同じようなことが
起こるのかもしれません。
自分では「こういう小説を書いた」
と思っていたものに対して、
人が違った判断をすると、
自分の作品のイメージが崩れてしまうとか。
祖父江
作品を作った本人は、
作品と自分との距離が近すぎると、
作品のイメージがわからなくなっちゃうことが
あるんだと思います。
だから、作品と作者の間にこう‥‥
「距離取り屋さん」として
デザイナーが入ることによって、
ちょうどうれしい距離感が作れるんじゃないかな。
糸井
距離取り屋さん。
祖父江
距離取り屋さん(笑)。
糸井
距離取り専門家。

祖父江
距離取り屋の仕事も、大事ですよね。
あんまりしゃしゃり出すぎてもダメだし、
誰でもできるくらいのことしかできなかったら、
それもまずいし。
糸井
「作品を人に伝えるときの距離感を、
一旦私に預けてもらえませんか」
っていうのが、ブックデザインだと。
祖父江
そういうことに近いんじゃないかと
思います。
糸井
それはもしかすると、建築でもそうなのかなぁ。
施主は「こうしたい、ああしたい」というビジョンが
明確にあるつもりでいても、
自分が見たことのあるものの範囲でしか
言えないじゃないですか。
だから、
「◯◯大聖堂みたいな建物にしたい」
と言ったとしても、
距離取り屋さんが、
「日本にその大聖堂は、ちょっとどうでしょう」と。
祖父江
そうすると、施主のほうも、
距離取りの人が客観的に意見するおかげで、
あんまり考え込まずに
どんどん意見を出せるのかもしれないですね。
糸井
そうですね。
「安心して好きなことを言いますから、
距離取り屋さん、取捨選択してください」って。
祖父江
そういうことですね。
それで、距離取り屋の僕は、
「あ、これがいいなあ、これもいいなあ‥‥」
なんて言うわけです。

(つづきます)

2023-12-25-MON

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