たくさんの人が憧れる
グラフィックデザイナー祖父江慎さんと、
糸井重里が久しぶりに会い、話しました。
ソブエさんのブックデザインはいつも斬新ですが、
なんだか世界になじんでいく「変さ」なのです。
ソブエさんのアイデアはどんなふうに生まれ、
実行され、形になっていくのでしょう。
糸井がひとつずつ手順を追うようにうかがいました。
ソブエさんのデザインからにじみ出るうれしいこと、
その源泉をじっくりおたのしみください。

この対談は「生活のたのしみ展2023」
ほぼ日の學校トークイベントとして開催されました。

>祖父江慎さんプロフィール

祖父江慎(そぶえ しん)

1959年愛知県生まれ。
グラフィックデザイナー。コズフィッシュ代表。
多摩美術大学在学中に工作舎でアルバイトをはじめる。
1990年コズフィッシュ設立。
書籍の装丁やデザインを幅広く手がけ、
吉田戦車『伝染るんです。』や
ほぼ日ブックス『言いまつがい』、
夏目漱石『心』(刊行百年記念版)をはじめとする、
それまでの常識を覆すブックデザインで、
つねに注目を集めつづける。
展覧会のアートディレクションを手がけることも多い。
X:@sobsin

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第7回 逆・傾向と対策。

糸井
自分で「変わった人です」と言ってしまうと
「ちょっとやり過ぎ」なことができない‥‥
ということはつまり、祖父江さんは、
「自分は変わっています」とは
言わなかった人なんでしょうか。
祖父江
うーん、あんまり、
変わってるかどうかって、
考えたことがなかったです。
平均的なこと、普通なことも
わからなかったので。
ひとりでいるのが好きだったから
「友だちと遊ぶの、ちょっとめんどくさいな」
と思っていました。
だからまわりからは
変わった子として見られてはいたのかなあ。
糸井
「距離感」の話がさっき出ましたけど、
祖父江さんは、子どものころから、
「友だちと遊ぶのは面倒だからひとりでいよう」
っていう状態をキープできるだけの
距離感覚を持っていたんですね。
祖父江
そうかもしれません。
糸井
それは、親御さんのおかげでしょうか? 
「ひとりでいないで、友だちと遊んできなさい」
という親御さんだったら、
キープできなかったんじゃないかな。
祖父江
そのあたりは、けっこう自由だったので、
幸せだった気がします。
糸井
たぶん、「友だちと遊んできなさい」
って言う親御さんも
「よかれ」と思ってのことなんだけど、
「よかれ」と思ってされたことで、
失うものもありますよね。
祖父江
そうですね、「よかれ」は、
あんまり機能しないですね。
そうしなかったほうがよかった、というほうに
動きがちな気がします。
糸井
仕事のマーケティングなんかにも、けっこう、
「よかれ」の要素が入っていますね。
「こういう層にこういうものを出すと喜ばれるよ」
という数字をたよりに、その通りの商品を出す、
というのは「よかれ」ですね。

祖父江
最近では自分たちを防御するための
「よかれ」も増えた気がします。
糸井
「よかれと思って、一応、
これだけはやってありますから」みたいな
「防衛的よかれ」ですね。
祖父江
だから、例えば、印刷を頼むときも、
「これは版がズレてもうれしいです」
「むしろ、ズラしてください」
と言うと、
印刷所にとっての失敗のリスクが減るから、
やってくれるんです。
「上手くいかないの、大推奨」っていう感じで
依頼すると、スムーズに動いてもらえるんですよ。
糸井
つまり、「失敗を望んでいます」っていう、
はっきりとした言葉があるといいわけですね。
祖父江
こちらが意志をはっきり示しておけば、
知らない人が見たら「ズレてるじゃないか」
と思われるような印刷でも、
「デザイナーがそう言ったので、
よかれと思ってやりました」って
堂々と言えるから、
安心して動いてくださるんだと思います。
糸井
似た話だと、僕は、
自分が大人になってからは、
若い人に対して
「失敗しておいでよ」という言い方を
けっこうするようになりましたね。
祖父江
失敗というものをどう捉えるか、
という話でもあるけども、
「失敗しても大丈夫」じゃないんですよ。
「失敗こそ、美しい」んですよね。
糸井
ああ、逆に。

祖父江
わかりやすい例で言うと、
『伝染るんです。』という本を作ったときに、
わざと乱丁・落丁があるようなデザインに
してありました。
それを「狙い」でやったというのは、
正直、ちょっとダサいと思うんですよ。
本当に偶然、乱丁・落丁した状態で
市場を回ってくれたら
それがいちばんいいんだけど、
そうはいきません。
だから、本当は堂々と
「上手くいかないこと」が高らかに持ち上げられて、
みんなに愛でられるような世界が
うれしいなあと思っています。
「傾向と対策」という言葉が
流行った時代がありましたが、
「こういう傾向だからこういう対策を取る」
とあまりに考え過ぎると、嫌になっちゃいます。
「どうなるかわからないからやる」
というのも変だけれども、
やってみることによって、
どうなるかが見えてくるっていうことは、
たしかにありますよね。
たとえば江戸時代の版画でいうと、
まず下絵を描く人がいて、
それを彫り師が起こしました。
その時点で下絵がどこまで残ってるかは、
やってみないとわからないんです。
その辺の、どうなるかわかんない状況の中だから
面白いものができます。
最初からプランが固すぎると、
それに向かおうと努力しすぎてしまうから、
あんまり良くないのかなあと思います。
糸井
ああ、それを聞いて思い出しました。
ある人事担当の方から
「『真面目すぎない感じの人』が
採用されやすいという傾向が世に広まると、
就活生みんながちょっと崩したことをするんです」
という話を聞いたことがあります。
これもまさしく「傾向と対策」ですね。
祖父江
そうですね、
「ちょっと崩れたのがいい」という
傾向を軸に対策すると、
それもまた危ないんです。
だから、逆・傾向と対策のほうがいいんですよ。
糸井
逆・傾向と対策。
祖父江
「こうした場合、こうなったら失敗だから、やらない」
じゃなくて、
「こうした場合、こういう失敗が出てくるだろうから、
やってみる」
とか。
糸井
祖父江さんがやっていることって‥‥それですか。
祖父江
はい、どちらかというと
「わからないからやってみる」に近いです。
結果がわかることって、
あんまりたくさんやっても、
「時間がもったいないじゃない」と思っちゃう。
糸井
地球から、どこか違う星の生命体に向かって
サインを出しているという
宇宙的な計画を聞いたことがありますけど、
ああいうのにちょっと似てるところがありますね。
祖父江
似てます。
「ベントラー!」とか言ってね。
で、毎夜、
「いないだろうけど、もしかして‥‥」
って。それは、やってて楽しいですよね。
糸井
それはもう完全に、
いわゆる「商品社会」からは
外れた行為ですよね。
祖父江
はい、そうですね。
そんなことばっかりやってると、
社会というものが
成り立たなくなりますよね。
糸井
でも、ある種の「作品」っていうのは、
そこの領域にいられます。
あともう一方では、
「社会」をもっと広げちゃうという
やり方があるんですよ。
祖父江
おっ、そういう手がある!

糸井
見えてるところだけを「社会」と呼ぶと
窮屈な感じがしますけど、
人類史的な視点から言えば、
「もっとずっと向こうのほうまで社会だよ」
っていう見方になりますよね。
それで、けっこう何とかなるんです。
祖父江
ああ、なるほど。
今、ちょっと反省しました。
社会について知ってるつもりでいたのが
間違ってたかもしれません。
糸井
いやいや(笑)。
でもね、形として見えるものとして
「社会とは」って考えちゃうと、
商品社会から外れた行為は
社会と対立せざるをえなくなってしまいます。
でも、実際の社会には、人がいっぱいいて、
関係が無数のパズルみたいになっている。
で、そこには、じつは、
テントウムシとかも入っている、川も流れてる。
祖父江
ああ、そうか。
じゃ、カエルもいて、いいですよね。
糸井
カエルもいていいです。
カエル込みで、そこまで、
「社会」は広げられると思う。
「今日、起きて何時にどこに行かなきゃな」
という自分は、狭いほうの「社会」にいます。
休みの日の、
「何時に行かなきゃ」がない自分だったら、
社会はもっと広がってる。

糸井
一方で、狭いところに閉じこもるのが
面白い場合もありますね。
つまり、仲のいい友だちや恋人同士は、
社会を狭くして、
二人だけのものにすることが楽しいわけですよ。
祖父江
なるほど、なるほど。
糸井
だから、
社会を対象化しないことが大事なんじゃないかな。
祖父江
社会を対象化しないことが大事‥‥
これ、2000円分ぐらいの話になってきましたね。
会場
(笑)
祖父江
さすがだなあ、糸井さん。
糸井
いや(笑)、僕も、
こう考えるまでには長くかかりました。
でもね、じつは僕は
そんなに悩んではいないんですよ。
なぜかというと、
僕より先に思いついたり、
ちょっと実行したりしてくれている人が
いつもいるからなんです。
祖父江
そうなんですか。
糸井
若い人も、
すごくいい感じで活躍してたりするし。
今の社会はけっこう面白いです。

(つづきます)

2023-12-27-WED

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