広島の被爆者の焼け焦げたワンピース、
実のお母さまの入歯や口紅、
フリーダ・カーロのブーツ‥‥など、
さまざまな「遺品」を撮り続けてきた、
石内都さん。
デコトラとそのトラッカーたちや、
東北の人々の生活・文化を撮ったのち、
縄文土器の欠片を追いかけ、
近年は「古い蔵の中」を撮っている
田附勝さん。
ふたりに語り合っていただきました。
テーマは、もちろん「時間」です。
写真に、それは、写るのか?
全7回、担当は「ほぼ日」奥野です。

>田附勝さんのプロフィール

田附勝(たつきまさる)

1974年、富山県生まれ。
1995年よりフリーランスとして活動をはじめる。
2007年、デコトラとドライバーのポートレートを
9年にわたり撮影した写真集
『DECOTORA』(リトルモア)を刊行。
2006年より東北地方に通い、
東北の人・文化・自然と深く交わりながら撮影を続ける。
2011年、写真集『東北』(リトルモア)を刊行、
同作で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞。
その他の著作に、
写真集『その血はまだ赤いのか』(SLANT/2012年)、
『KURAGARI』(SUPER BOOKS/2013年)、
『「おわり。」』(SUPER BOOKS/2014年)、
『魚人』(T&M Projects/2015年)、
俳優・東出昌大さんの写真集
『西から雪はやって来る』(宝島社/2017年)、
最新刊に、縄文土器の欠片を撮影した
『KAKERA』がある。

>石内都さんプロフィール

石内都(いしうちみやこ)

現代日本を代表する写真家。
初期3部作『絶唱、横須賀ストーリー』
APARTMENT』『連夜の街』で
街の空気、気配、記憶を捉え、
同い歳生まれの女性の手と足をクローズアップした
1・9・4・7』以後
身体にのこる傷跡シリーズを撮り続ける。
2005年『Mother’s 2000-2005 未来の刻印』で
ヴェネチア・ビエンナーレ日本代表。
2009年に発表した写真集『ひろしま』(集英社)、
写真展「ひろしま Strings of time」
広島市現代美術館)では、
原爆で亡くなった人々の衣服を撮影。
衣服をまとっていた人々が
いまそこに在るように写し出したその作品群は
話題を呼んだ。
2014年、日本人で3人目となる
ハッセルブラッド国際写真賞を受賞。
2015年、
J・ポール・ゲティ美術館(ロサンゼルス)の個展
「Postwar Shadows」や、
2017年、横浜美術館の個展「肌理と写真」など、
国内外の主要美術館で展覧会が開催されている。
「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」が
2021年4月3日-7月25日、
西宮市大谷記念美術館で開催。

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第4回 人のための写真は撮れない。

──
宮古で撮らずに、すぐ横須賀へ戻って。
石内
そう。
──
いちばん遠い街という意味は‥‥。
石内
距離じゃないんだよね。精神の問題よ。
わたし、横須賀が大っ嫌いだったから。
で‥‥横須賀の街から出るというのが、
わたしの未来って感じだったの。
田附
うん。

石内
当時は東京に住んでいたし、
横須賀からはもう離れていたんだけど。
でも、ふっと
わたしがこれから撮るのはどこだろう、
と考えたときに、
そうか、自分の精神的な負担をかけた
横須賀の街でしかないなって。
──
敵(かたき)を討ちに‥‥と、
これまでも、おっしゃっていましたが。
石内
そうね、そんな気持ちで。
田附
当時、もう森山さんも遠野を撮ってた?
石内
撮っていたかな。もう40年前の話。
わたし、写真を撮りたくて撮りたくて
はじめたわけじゃないから。
はじめたあとも、どっちかっていうと、
暗室に入るために撮ってたから。
田附
暗室に入るための口実で(笑)。
石内
何を撮ったらいいか、わかんないわけ。
それで宮古まで行ったんだけど、
ぜんぜんシャッター押せないんだもん。
──
でも、宮古に行ったおかげで‥‥。
石内
そう、横須賀に出会った。
わたし、写真家になる気はなかったし、
ただただ、暗室に入りたくて‥‥。
田附
何かさ、もう「暗室家」だよね(笑)。
──
写真家というより(笑)。
石内
そう。で、慌てて横須賀へ帰ってきて。
半年くらいかかって撮って。
それでも50本は撮ってないかな。
わたし、お勤めしていたから。土日で。
──
あ、そうなんですか。
石内
当時わたしが参加してたグループ展に、
荒木(経惟)さんも来てくれたの。
東松(照明)さん、深瀬(昌久)さん、
森山(大道)さん‥‥。
田附
すごいな(笑)。
石内
そういう人たち、よく知らなかったし、
彼らもほら、ヒマだったのよ。
40年以上前、そんなに売れてないし。
田附
まあまあ(笑)。
石内
そしたら、荒木さんがね、
ニコンサロンで展覧会やりたいんなら、
ぼくのとこにくれば、
三木淳さんを紹介するよって言ったの。
当時、親しかったみたい。
──
あ、報道写真の。三木淳さん。
石内
まだ、誰にも見せてなかったんだけど、
でも荒木さんがそう言うから、
横須賀の写真を焼いて持ってったのよ。
まずは、荒木さんところにね。
そしたら、すごいほめてくれたんです。
じゃあ、これを持って、
三木淳さんのところへ行ってみようと。
田附
そんなことがあったんだ。
石内
そのとき、荒木さんがね、
「都さ、これは横須賀エレジーだよな」
って言ったのよ。
田附
エレジー?
石内
タイトル。横須賀エレジーがいいぞって。
それもいいかと思って、
三木さんのところに持ってって見せたら、
三木さんは、
そんな暗いタイトルじゃダメですよって。
田附
へえ(笑)。
石内
いま山口百恵の「横須賀ストーリー」が
はやってるから、
『絶唱、横須賀ストーリー』にしなさい、
って。
──
えっ、そういうことだったんですか!
石内
そうなの。そしたら荒木さんも、
うん、そっちのほうがいいなって(笑)。
だから、三木淳さんが決めたんです。
──
石内さんのデビュー作のタイトルを。
はああ‥‥。
石内
それで、はじめての個展をやったの。
荒木さんと、三木淳さんに見てもらって。
不思議ったら不思議だよね(笑)。
──
日本の写真の歴史的場面ですね、それは。
石内
今日は「出会う」って話をしているけど、
わたしも、やっぱり人に恵まれた。
荒木さん、森山さん、東松照明さんにも、
出会うことができた。
そして、彼らを「先生」にはしなかった。
田附
ああ。「生徒」じゃなかった。

(3)のぞき日記  1990年 (平成2年) 1月1日 東京スポーツ  撮影2017年12月6日 東京都東久留米市 (3)のぞき日記  1990年 (平成2年) 1月1日 東京スポーツ  撮影2017年12月6日 東京都東久留米市

石内
やっぱり、わたしも一人でやりたかった。
あなたと同じね。
だから、わたし、歳は下だったんだけど、
彼らとは対等だったんです。
対等に付き合えたし、対等に話せた。
それは、いま思うと、すごくよかったな。
田附
すげえ時代だなあ(笑)。
石内
みんながヒマだったのよ(笑)。

──
ちなみに「絶唱」が出たときも、
まだ、お勤めされていたってことですか。
石内
そうです。
2作目の『APARTMENT』のときも、
3作目の『連夜の街』のときも、まだね。
──
そうだったんですか。
石内
そうよ。木村伊兵衛賞をもらったのが
2作目なんだけど、
女がはじめて受賞したっていうことで、
いっぱい仕事がきたの。
雑誌や新聞社から、もう、次から次へ。
田附
うん。
石内
わたし、仕事で撮ったことなかったし、
よくわかんなかったんだけど、
一回くらいはやってみようと思って、
引き受けたら、
それが、アメリカに行って撮る仕事で。
もう、つまんなくて、つまんなくて。
──
どうしてですか。
石内
わかんないけど、写真って、
仕事として撮るのってつまんないのよ。
──
こう撮って、みたいなことだったり?
石内
いや、別に何にも言われなくて、
勝手に撮ればみたいな感じだったけど。
それでも、撮れない。つまんなくって。
シャッター押せないんですよ。
わたし撮影が苦手って言ったじゃない。
だから、
人のために写真なんか撮りたくないの。
田附
撮るのは、自分の写真だけ‥‥だ。
石内
そう。
アメリカで、つまんなくて撮れなくて、
仕事がぜんぜん進まなくて、
金輪際、やんないほうがいいなと。
それ以来25年間、
一切お願いされた仕事はやらなかった。
──
はああ‥‥。
石内
だって、つまんないんだもん(笑)。
田附
まあね、俺もたまに仕事をしてるけど、
正直さ、
おもしろくないものもあるけど(笑)。
石内
写真家になるつもりがなかったからね。
写真ってやっぱり、
自分のためだけに撮るものだなと思う。
人のためには、撮れなかった。
田附
ただ、その後「ひろしま」とか‥‥。
石内
うん。それは他人事とは思えないから。
つまり「ひろしま」はもちろんだけど、
「フリーダ」も、
「Naked Rose」も「sa・bo・ten」も、
みんな頼まれた仕事ではあるんだけど、
みんな他人事として撮ってないからね。
田附
うん、そうだね。
石内
とくに「ひろしま」のときはね、
もしも、1945年8月6日の広島に
わたしが生きていたら、
このワンピース、
わたしが着ていたのかもしれないって。
そのリアリティが、すごかった。
田附
ああ、自分のものでもおかしくないと。
石内
そう。あのワンピースを前にしたら、
強烈に、そう感じたんです。
だからわたし、「ひろしま」撮れてる。

(c)Ishiuchi Miyako「ひろしま#131 donor:Masaki, S.」 (c)Ishiuchi Miyako「ひろしま#131 donor:Masaki, S.」

(つづきます)

2021-05-06-THU

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  • この文章を書いている5/1(土)現在では
    新型コロナウィルスの感染拡大により
    中断されていますが、
    現在、西宮市大谷記念美術館で
    「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」
    が開催されています。
    もともとは実業家の邸宅だったという
    素晴らしい建物をめぐりながら、
    これまであまり公開してこなかった作品含め
    石内さんの多くの代表作を鑑賞できます。
    ご自身でも「会心の出来!」という展覧会、
    とってもおすすめです。
    美しい庭園を見ながら飲む珈琲も、いいです。
    再開されたら、ぜひ行ってみてください。
    詳しいことは、特設サイトでご確認ください。

    また、田附勝さんの「KAKERA」は
    現代の新聞紙に乗せられて保存されていた
    縄文土器の欠片を撮った作品集です。
    何千年も前につくられたものの土器片と
    つい先日の出来事を記した現代の紙とが、
    1枚の写真のなかに同時に存在することの
    不思議さ、こわさ、おもしろさ。
    さらに言えば、田附さんが撮っているのも
    別の時間だし、
    それをぼくらが見るのも、また別の時間。
    そういう、
    時間の体積のようなものを目の前にすると、
    心臓がドキドキしてきます。
    詳細は、特設サイトに載っています。
    また、Amazonでのおもとめは、こちら