特集「THE CHAMPIONS」の1人目は、
バックギャモンのプロプレイヤーで、
二度の世界一に輝いた矢澤亜希子さんです。
チャンピオンに必要不可欠なものといえば?
才能、努力、情熱などが浮かびますが、
じつは「運の強さ」こそ一番大事なのでは?
取材前に抱いていたその仮説は、
矢澤さんの話でひっくりかえされました。
運が大きく影響するゲームで、
どうやって勝ちをつかみ取っているのか。
バックギャモンの世界から、
人生のシンプルな法則を学んだ気がします。
担当は「ほぼ日」の稲崎です。
矢澤亜希子(やざわ・あきこ)
プロバックギャモンプレイヤー。
1980生まれ。
日本人3人目の世界チャンピオン。
世界各地のトーナメントを転戦し、
数多くの優勝を果たす。
2012年に「ステージIIIC」の子宮体がんが発覚。
手術と抗がん剤治療による副作用と戦いながら
14年に世界選手権を制し、18年に再び勝利を収め、
日本人初、女性としては世界初となる
二度の世界チャンピオンに輝く。
著書に『運を加速させる習慣』(日本実業出版社)、
『がんとバックギャモン』(マイナビ新書)がある。
- ──
- 矢澤さんは2012年に
「ステージ3C」の子宮体がんが見つかり、
そこから闘病生活をされています。
- 矢澤
- はい。
- ──
- 著書にも書かれていましたけど、
がんが見つかったときに、
「手術をしないと1年もたない」と宣告されたと。
- 矢澤
- そうですね。
そのときの5年生存率が50%でした。
「手術が成功しても50%」ということです。
- ──
- 当時は手術するかどうかで悩まれたそうで。
- 矢澤
- 手術すると子どもが産めなくなるので、
心の面での葛藤がありましたが、
生きられる可能性にかけてみようと思って、
手術することを決めました。
- ──
- そのあと抗がん剤治療を受けながら、
バックギャモンの大会に出場をつづけ、
2014年の世界選手権で
はじめて世界チャンピオンになります。
- 矢澤
- そこで優勝したときは、
まだ抗がん剤の副作用で髪がなかったので、
ウィッグをつけて出場していました。
- ──
- ふつうなら大会に出るどころか、
そんなに副作用がある状況だと、
海外に行くことすら不安だと思うんです。
- 矢澤
- そうかもしれないです。
- ──
- どうしてそういう状況でも、
バックギャモンをつづけようと思えたんですか。
- 矢澤
- というよりも、
おそらく病気になってなかったら、
こんなにもバックギャモンに対して
真剣になってなかったと思います。
- ──
- そうなんですか?
- 矢澤
- いま振り返ってみると、
バックギャモンをはじめた大学生の頃は、
ほんとうにバックギャモン漬けだったんです。
それこそ365日24時間、
ずっと頭のなかにバックギャモンがいて、
1年後に日本チャンピオンになることができた。
自分としてはそこで、
一区切りやり遂げた感があったんです。 - そのあと大学を卒業して社会人になって、
バックギャモンは土日くらいしかしなかったので、
そういう意味では、
以前とは向き合い方が変わっていました。
本でもすこし書きましたけど、
その頃から体調が悪くなりはじめて、
土日のバックギャモンを完全にやめたんです。
そのあと症状がさらに悪化して、
仕事もやめることにしました。
- ──
- そのときはがんが見つかっていなくて、
原因不明と言われていたんですよね。
- 矢澤
- がんの検査はしていたんですけど、
そのとき通っていた病院では、
年齢的に子宮体がんの
可能性はないと言われていました。
だけど体調は全然よくならないし、
自宅療養をはじめたあとも
どんどん症状が悪化する一方で‥‥。 - それでこれはおかしいと思って、
他の病院で精密検査をしてもらったら、
やはりがんが見つかって、
すでに4センチほどの大きさになっていました。
- ──
- がんもかなり進行していた‥‥。
- 矢澤
- そこで手術をするしない含めて、
生き残れるか死ぬのか先が見えないわけですけど、
いろんなことを考えるなかで、
死という最悪な場合に備えて
自分の「生きた証」を残しておきたいなって
思いはじめたんです。
だって助かる見込みが50%って、
やっぱり怖いじゃないですか。
- ──
- かなりショックな数字ですよね。
- 矢澤
- だからもし最悪の展開になってしまっても、
私がいなくなった後でも消えない
「生きた証」を残せたら、
自分の人生には価値があったって、
ちょっと前向きに思えるんじゃないかなって。 - じゃあ、どうやったらそれは実現できるか。
どんな価値が自分にはあるだろうって考えたとき、
最初に頭に浮かんできたのが、
バックギャモンのことだったんです。 - バックギャモンは得意だったし、
もし世界チャンピオンになることができたら、
自分の生きた証が残せるかもしれないって。
そこでスイッチが入ったんだと思います。
- ──
- そこから本気で、
世界チャンピオンをめざしてみようと。
- 矢澤
- じつはそれまでの自分は、
バックギャモンというゲームが
おもしろいからやっていただけで、
チャンピオンになりたいとか、
誰々には絶対に負けたくないとか、
そんなことを考えたこともなかったんです。 - よく他のインタビューでも、
「負けず嫌いですか?」とか、
「ライバルは誰ですか?」とか訊かれますけど、
そんなこと思ったこともないんです。
そもそも誰かに勝ちたいって思って
バックギャモンをやっていないというか。
- ──
- 好きだからやっていただけで。
- 矢澤
- ほんとうにそうなんです。
その局面の正解を発見したり、
自分の実力が大会で通用したりすることが
うれしいからやっていたというか。
そういう気持ちが強かったので、
もしずっと健康なままだったら
「世界チャンピオンをめざそう」という
マインドにはならなかったでしょうし、
バックギャモンに対して、
ふたたび真剣になることもなかったかもしれない。
- ──
- それこそ死を身近に感じられたからこそ‥‥。
- 矢澤
- 全部やるべきことをやっても、
5年後の生存率は50%ですから。
どうしても死のことは頭をよぎりますよね。
- ──
- そういう恐怖とも戦っていたわけですね。
- 矢澤
- たとえ手術が無事に終わっても、
そこからの5年はずっと不安なんです。
考えはじめるとどんどん怖くなる。
ただ、バックギャモンをしているときって、
そういうことを考えなくて済むんですよね。
- ──
- あー、なるほど。
- 矢澤
- 対戦中はそんなこと考えるひまもない。
だから当時の私にとっては、
死の不安を忘れる手段として
バックギャモンはすごく都合がよかったんです。
- ──
- バックギャモンのことで頭をいっぱいにして、
ちょっとでも死を遠ざけようと。
- 矢澤
- だからある意味では、
バックギャモンを利用していたんでしょうね。
だって手術後の入院中も、
病院での点滴やおなかのドレーンが抜けないうちから、
パソコンでオンライン対戦をしてましたから。
- ──
- はぁぁ、すごい‥‥。
- 矢澤
- とにかく世界チャンピオンを目標に、
基礎から実力を磨きました。
だから2014年に世界一になったときは、
あまりに真剣に向き合いすぎて、
ゲームを楽しめていたかはわかりません。 - それとは対象的に、
2018年に2回目の世界一になったときは、
手術から5年経過の記念すべき年でした。
そのときは生きた証とか死の恐怖とか、
そんなことを考える必要もなくなって、
純粋にゲームそのものを楽しめました。 - だから1回目の優勝と2回目の優勝は、
同じ大会とはいえまったく別物なんです。
- ──
- モチベーションも意気込みも
正反対だったんですね。
- 矢澤
- ほんとうにそうでした。
1回目のときはつらい日常から
逃げるための手段として
やっている部分もありましたし、
何も結果を残せなかったら
病気も同じようにいい結末にならないかもと、
そういうネガティブな思考があったと思います。 - それが2回目のときは死の不安も解消されて、
純粋にゲームを楽しもうっていう
ポジティブな気持ちで臨んだら、
ふたたび優勝することができたんです。
両極端な気持ちですけど、
どちらも私にとっては最高の瞬間でした。
(つづきます)
2024-10-31-THU
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