口笛と出会ったのは小学3年生のとき。
そこから独学でひたすら技術を高め、
19歳のときにアメリカでの口笛国際大会で
世界チャンピオンになった儀間(ぎま)太久実さん。
大学卒業後にプロの口笛奏者になるも、
音楽の世界はそんなに甘くはありませんでした。
プロとして大きな壁にぶつかり、
あんなに好きだった口笛にも迷いが生まれ‥‥。
栄光からの挫折、そして悩める日々。
それでも自分の「好き」を信じる儀間さんは、
ようやくひとりの口笛吹きとして
やるべきことが見えてきたと話します。
口笛チャンピオンの半生、じっくりうかがいました。
担当は「ほぼ日」の稲崎です。

>儀間太久実さんのプロフィール

儀間太久実(ぎま・たくみ)

口笛奏者。

1988年大阪府生まれ。
10歳より独学で口笛をはじめる。
2006年、第1回全日本口笛音楽コンクールで
準グランプリを受賞。
2007年にアメリカのノースカロライナ州での
国際口笛大会
「第34回インターナショナル・ウィスラーズ・
コンベンション(ティーンカテゴリー)」に参加し、
ポピュラー・クラシック部門共に1位を獲得し、
日本人初の総合優勝を果たす。
帰国後はプロの口笛奏者として活動開始。
これまで国際大会で3度の優勝を飾る。
2023年より大阪狭山市特命大使に就任。
クラシック、ジャズ、
日本の唱歌・童謡からオリジナルまで、
様々な音楽を通じで口笛の可能性を探求している。

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02 19歳で世界チャンピオン

──
儀間さんは高校3年生のときに、
全日本口笛音楽コンクールに出場して、
そこで準グランプリを受賞されます。
儀間
はい。
──
どうしてそのコンクールに
出てみようと思ったんですか。
儀間
高校3年生のときに、
中学のときの先生から手紙をもらったんです。
「今度、口笛の大会があるらしいけど、
儀間くん口笛うまかったし、出てみたら?」って。
──
ということは、その手紙で知った?
儀間
そうなんです。
じつはその大会というのが、
日本で一番最初の口笛コンクールだったんです。
なのでまずはびっくりしました。
「えぇー、そんな大会があるんか!」って。
──
先生とはよく連絡を取られていたんですか。
儀間
いやいや、全然なかったです。
卒業してから一回も。
中学の修学旅行のときに、
みんなの前で口笛を披露したんです。
レクリエーションの時間に。
たぶん、そういうのでぼくのことを
覚えていてくださったんやと思うんですけど。
──
じゃあ、手紙で知って、出てみるかと。
儀間
そうですね。
まず、コンクールというくらいですから、
自分以外に口笛を愛している人がいるというのが、
純粋にうれしかったんです。
だからまずはそういう人らに
会ってみたいって気持ちが強かったです。
あと、高校生のときは、
自分が世界一口笛がうまいと思ってました(笑)。
なので、そういう人たちの中で
自分がどれぐらいのレベルなんやろって。
それがすごく知りたいのもありましたね。
──
出ることが決まれば、
大会に向けて特訓をするわけですよね。
儀間
めちゃめちゃしました。
──
具体的にはどういう練習をするんですか。
儀間
小さい頃にお世話になった
ピアノの先生が近所にいらっしゃって、
まずはその先生に相談に行きました。
「口笛大会に出たいんですけど、
どうしたらいいですかね」って。
ただ、先生は口笛の専門家じゃないので、
自分の演奏を聞いてもらって
もっとこうすりゃいいんちゃうかなとか、
こうアレンジしたらいいんちゃうかとか、
主にはそういう相談です。
口笛の部分の相談できないので、
そこは自分でやるしかないんですけど。
──
口笛の練習といっても、
いまみたいにYouTubeがあるわけでもなく。
儀間
当時は何もないです。
教則本もYouTubeもないですし、
もちろん口笛教室なんかもなかったです。
──
じゃあ、頼れるものは自分だけ‥‥。
儀間
そのときは完全に自分だけの世界でした。
ひとりで吹きまくるしかなくて、
空手でいう正拳突きを1万回やるみたいな。
ロジックもわからないし、
とにかく吹きまくってなんとかするという、
そういう練習ですね。
──
ピアノの先生が近くにいたのが、
せめてもの救いですね。
儀間
いや、ほんとそうなんですよ。
そういう意味では運がめちゃくちゃよかった。
中学校の先生の手紙がなかったら、
大会のことも知らなかっただろうし、
もし知っていたとしても
近所にピアノの先生がいなかったら、
結果は残せてなかっただろうし。
あと、コンクール会場が大阪だったんです。
──
あ、家からも近い!
儀間
そう、これもけっこう大事。
もし東京での開催だったら、
たぶん行ってなかったと思います。

──
そういう幸運も重なり、
しかもその大会では準優勝までされて。
儀間
はい。
──
そのときはどんな気分でしたか。
儀間
準優勝になれたということは、
もしかしたら自分の口笛は
けっこういい線いってるんじゃないかって。
──
だって準優勝ですもんね。
儀間
いろんな人の口笛を聞いて、
「けっこう俺、いけるんちゃう?」みたいな。
まあ、若気の至りじゃないですけど、
自分の力を過信してる部分はあったと思いますけど。
とはいえ、そこで準優勝したことで、
国際大会への出場資格がもらえたんです。
それで優勝した方とぼくのふたりが、
日本代表としてアメリカに行くことになりました。
──
まったく想像つかないのですが、
口笛の世界大会ってどういう雰囲気なんですか。
儀間
その世界大会はけっこう歴史が古くて、
ぼくが出たときで34回目でした。
アメリカのノースカロライナ州という、
めちゃくちゃ自然豊かな森みたいな場所で、
街にある立派なホールが会場なんです。
ひとりずつステージに上がって口笛を吹きます。
ぼくは『トルコ行進曲』と『情熱大陸』をやりました。
──
そのときの演奏の手応えというのは‥‥。
儀間
自分でいうのも恥ずかしいですけど、
観客全員がスタンディングオベーション(笑)。
──
おぉーっ!
儀間
あ、そのときの動画があるんですけど、
よかったら見てみますか?
──
はい、ぜひ見たいです。
儀間
(パソコンで動画を探しながら)
これは『トルコ行進曲』のときの演奏ですね。
髪型が若者っぽくて恥ずかしい(笑)。
──
この演奏で儀間さんは
世界一になったわけですよね。
儀間
そうです。
──
当時の口笛を聴くのははじめてです。
わー、すごいたのしみ。
儀間
いいですか、じゃあ、再生しますね。
──
おぉぉーーっ、ブラボー!(大拍手)
儀間
ありがとうございます(笑)。
──
すごい盛り上がりですね!
まさにスタンディングオベーション。
儀間
はい、めっちゃウケました。
──
あと、手の動きがすごいんですね(笑)。
途中、エミネムみたいでした。
儀間
クセがすごい(笑)。
いまはこんな動きしないんですけど、
このときは勝手に体が動いちゃうというか。
久しぶりにぼくも動画で見ましたけど、
こんなに動いていたんですね。
──
でも、めちゃくちゃ楽しそうですね。
全身で口笛を表現されてるというか。
はぁぁ、すごい、ちょっと感動しました。
このパフォーマンスで世界チャンピオンに。
儀間
はい。
──
チャンピオンになる前となったあとで、
気持ちの変化ってありましたか。
儀間
気持ちの変化はとくにないんですが、
帰国してから生活は一変しました。
このとき大学1年生だったのですが、
一応、大学の広報部に
「口笛で世界一になりました」って
報告しに行ったんですけど、
その翌日からメディア取材が殺到しました。
──
おぉ、そんなにすぐに。
儀間
ひっきりなしに新聞やラジオの取材があって、
どこどこの音楽イベントに出演してほしいとか。
そういう意味では生活はガラッと変わりました。
──
音楽イベントというのは、
「ステージで曲を披露してください」みたいな。
儀間
そうです。
地域の夏祭りだったり、
オーケストラと共演してくださいとか。
──
そんな経験、
いままで一度もなかったわけですよね?
儀間
ないです、ないです。
そんなのやったこともなかったけど、
こういう経験はいましかできないと思って、
いただけるお仕事は全部受けました。
テレビにもたくさん出ましたし。
──
まさに生活が一変ですね。
儀間
そのときに漠然とですけど、
もしかしたら自分は口笛奏者として
生きていくかもしれないって。
そういう予感はちょっとしましたね。

(つづきます)

2024-11-12-TUE

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    Photo: Tomohiro Takeshita