なにかを突き詰めてきた方のお話って、
やっぱり面白いんです。
本、雑誌、ポスター、ウェブサイト、各種表示など、
我々が日常的に目にするさまざまな文字を
長年にわたりデザインされてきた、
書体設計士の鳥海修(とりのうみ・おさむ)さんに、
文字をつくる仕事について教えていただきました。
スティーブ・ジョブズが
「Cool!」と言ったというヒラギノ明朝体、
iPhoneの表示に使われているヒラギノゴシック体、
鳥海さんが所属する「字游工房」の
フラッグシップ書体である游明朝体や游ゴシック体など、
新しい書体はどのように生まれるのだろう?
一書体につき約14500文字ある漢字は、どうつくる?
明朝体の魅力や、つくり終えたときの気持ちは?
貴重な制作過程の映像も、登場しますよ。

>鳥海修さんプロフィール

鳥海修(とりのうみ・おさむ)

1955年山形県生まれ。
多摩美術大学を卒業後、
1979年に写研に入社し、
書体デザイナーの道を歩む。
1989年に字游工房の設立に参加し、
同社の游明朝体、游ゴシック体、
SCREENホールディングスの
ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシックなど、
ベーシックな書体を中心に
100書体以上の開発に携わる。
字游工房として2002年に第一回佐藤敬之輔賞、
ヒラギノシリーズで2005年グッドデザイン賞、
2008年東京TDC タイプデザイン賞、
2024年吉川英治文化賞を受賞。
2022年京都dddギャラリーで個展「もじのうみ」を開催。
私塾「松本文字塾」塾長。
著書に『文字をつくる仕事』(晶文社)
『本をつくる 書体設計、活版印刷、手製本
―職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』
(河出書房新社、共著)
『明朝体の教室─日本で150年の歴史を持つ
明朝体はどのようにデザインされているのか』
(Book&Design)がある。

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3  ひらがなのストローク。

明朝体の本文比較(続き)
鳥海
明朝体の解説、続けます。
「蒼穹(そうきゅう)仮名」も
私がつくった仮名書体です。
このあたりもすべて、漢字は文游明朝体です。

<蒼穹仮名R> <蒼穹仮名R>

鳥海
「蒼穹仮名」は外国文学の翻訳書に
使うものとしてつくった仮名書体です。

<文游明朝体 蒼穹仮名R> <文游明朝体 蒼穹仮名R>

鳥海
ちょっと難しい話をしますね。
仮名のデザインは「運筆」、
筆の運びがすごく影響します。
で、さきほどの「文麗仮名」の場合は、
ストロークがちょっとめんどくさくて、
うねる感じでゆっくり書いていくイメージです。

(文麗仮名の「あ」のイメージ) (文麗仮名の「あ」のイメージ)

 
だけど「蒼穹仮名」の筆の運びは、
もっとまっすぐで早い。
というのも外国文学の場合は、
筆運びへの思い入れがないほうが
自然だと考えたんですね。
イメージしたのはたしか
チャールズ・ディケンズの本だったかな。
読みはじめたらあまりにも暗くて、
私は途中で読むのをやめたんですけど(笑)。
それもあって、明るい書体にしました。

<文麗仮名R> <文麗仮名R>

<蒼穹仮名R> <蒼穹仮名R>

鳥海
そして「勇壮仮名」のイメージは、
プロレタリア文学。
『蟹工船』とかを読んで、ということですね。
これは「文游明朝体」をつくった私の後輩が、
いまより少し若いときにつくったものです。

<勇壮仮名R> <勇壮仮名R>

<文游明朝体 勇壮仮名> <文游明朝体 勇壮仮名>

鳥海
「垂水仮名R」「朝靄仮名」「古雅仮名」「水面仮名」、
この4つも私です。
まず「垂水仮名」は、
もともと「流麗仮名」っていう名前で、
縦に流れる書体のイメージでつくったんです。

<垂水仮名> <垂水仮名>

<垂水仮名>
<垂水仮名>

鳥海
この「ような」って、いい感じでしょ?
こんな「よう」、あまり見たこと
ないかもしれないですけど。
ちょっと平安時代の古筆的な要素を入れた書体です。

<垂水仮名「ような」> <垂水仮名「ような」>

鳥海
「朝靄仮名」は、谷川俊太郎さんの詩を組むことを
想定してつくった仮名書体です。

<朝靄仮名> <朝靄仮名>

鳥海
さきほどの「文麗仮名」は近代文学向け、
しかも夏目漱石の『こころ』ということで
対象がはっきりしてましたけど、
谷川さんの場合はいろんなジャンルの詩があるし、
現在進行形でいっぱい詩を書かれているから、
私には捉えきれないと思ったんですね。
それでこのときは
「私(鳥海)が谷川さんに見てもらう、
詩を組むための仮名文字をつくる」ということで、
とにかく真面目につくりました。

<朝靄仮名> <朝靄仮名>

鳥海
そしたら谷川さんはこれを見て、
『私たちの文字』という詩を書いてくださったんですよ。
しかも「鳥海修さんへ」と書かれていたんです。
すごくない?  あれはうれしかったなぁ。

 
続いて「古雅(こが)仮名」は、
版木に掘った文字で刷られた
江戸時代の本の文字をベースにつくっています。
なので右上がりの、
けっこう古い字形になっています。

<古雅仮名> <古雅仮名>

<古雅仮名> <古雅仮名>

鳥海
最後に「水面(みなも)仮名」。
カッコの中に
「(横組み専用)」って書いてあるでしょ?
縦にも組めないこともないんだけど、
横に組むことをイメージしてつくった書体ですね。

<水面仮名R(横組み専用)> <水面仮名R(横組み専用)>

鳥海
横組みにしたときの文章の流れを
「游明朝体」と比べてみると、
明らかに「水面仮名」のほうが
流れるような気がするんですよね。

<水面仮名R(横組み専用)> <水面仮名R(横組み専用)>

<游明朝体R> <游明朝体R>

鳥海
日本語の表記でひらがなってすごく大事で、
全体の5、6割がひらがなになっているわけです。
そして、ひらがなの特性って
「縦組み」なんですよ。縦書き。
左上から入って、最後に右下のあたりで
次の文字の左上に向かうように抜けるんですね。

(「あ」と「い」のストローク) (「あ」と「い」のストローク)

 
「し」とか「れ」とか例外もありますけど、
ほとんどは左から入って、
また最後に左に抜けるストロークに
なっているわけです。
横組み用の仮名をつくるときに、
それをどうしたらいいのか考えてつくったのが
「水面仮名」なんですね。
そこで「横につながるように書けばいい」と考えて、
横に文字を組んだときに、前の文字の終わりが、
次の文字の左上の位置に
自然にたどりつくようにしたわけです。
だから「水面仮名」は他の書体と比べると、
「あ」の最後の部分が
ちょっと巻きあがっていたりします。

鳥海
それぞれそんなふうに作っていて、
「游明朝体」は使用範囲が広いというか、
普遍的な書体を目指してつくってますけど、
ほかのものはもう少し範囲を絞って
「これはこっち寄り」「これはこっち寄り」
みたいな感じなんですね。
私がつくる書体ってだいたいそんなもので、
大きなスタイルの変化はあまりないんです。
というのも、読みやすい文字をつくりたいんですよ。
よく私は「文字は社会のインフラ」という
言い方をしてるんですけど、
なるべく多くの人に読みやすくて、
「これは誰々のデザインだ」といった意識をされず、
きれいで読みやすい書体にしたいんです。
本文書体って、それが私は大事だと思うんだよね。

(続きます)

2024-05-18-SAT

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  • *文字づくりのもっと詳しい話は、
    ぜひ『明朝体の教室』ご覧ください。

    明朝体の教室
    日本で150年の歴史を持つ明朝体は
    どのようにデザインされているのか

    鳥海修 著
    (Book&Design、2024年)

    本文用明朝体の制作手順から、
    各書体の比較検討、文字の歴史まで、
    鳥海さんが明朝体のデザインについて、
    たくさんの図版を交えつつ、非常に丁寧に、
    わかりやすく教えてくれている本。
    書体デザインを学びたい人であれば
    きっと読むたびに発見がある、
    いい先生になってくれる一冊です。

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