ふとしたきっかけで手にした
『椿井文書──日本最大級の偽文書』
という本がおもしろくて、
著者の馬部隆弘さんにお会いしてきました。
椿井文書のことをもっとくわしく、
という趣旨だったのですが、
ご本人のエピソードがいろいろ興味深く、
取材冒頭から予想外の展開に‥‥。
人生を変えた事件から戦国時代の権力論まで
(本の内容もときどき挟みつつ)、
貴重な話をたっぷり語ってくださいました。
「椿井文書ってなに?」という方は
こちらのページ(第0回)もあわせてどうぞ。
聞き手は「ほぼ日」稲崎です。
馬部隆弘(ばべ・たかひろ)
歴史学者。
大阪大谷大学文学部歴史文化学科准教授。
1976年、兵庫県生まれ。
1999年、熊本大学文学部卒業。
2007年、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。
枚方市教育委員会、長岡京市教育委員会を経て、
大阪大谷大学文学部准教授。
専攻は日本中世史・近世史。
著書に『戦国期細川権力の研究』
『由緒・偽文書と地域社会──北河内を中心に』
『椿井文書──日本最大級の偽文書』など。
2020年3月出版の『椿井文書』は、
「紀伊國屋じんぶん大賞2021」第6位、
「新書大賞2021」第3位のW受賞。
- ──
- 不運がいくつも重なり、
150箱分の古文書が水浸しに‥‥。
- 馬部
- はい。
- ──
- 濡れてしまった古文書は、
そのあとどうされたんですか。
- 馬部
- 急いで復旧させました。
とりあえず職員を総動員して、
図書館の床に段ボールと新聞紙を広げ、
その上に濡れた古文書を並べました。
新聞紙が水を吸ったら、新しいものと交換。
それのくり返しです。
- ──
- 意外と原始的なやり方なんですね。
- 馬部
- 和紙は丈夫ですからね。
もっと本格的な場合は、
水分を凍らせる方法もあるんです。
カップ麺のフリーズドライみたいに、
水気を凍らせて飛ばすやり方です。
その機械はけっこう希少なので、
一部の固着してしまったものだけ
依頼して処理してもらいました。 - いずれにしても、
一刻をあらそう事態でしたので、
とにかく新聞を何回も取り替えながら
水分を吸いとっていきました。
- ──
- 古文書の所蔵者の方々には、
どのように説明されたんでしょうか。
- 馬部
- 1軒ずつご自宅を訪問しました。
とにかくまずは謝罪ですよね。
それから事情を説明させていただきました。
- ──
- そこには馬部さんも?
- 馬部
- 図書館と施設管理担当の管理職、
そしてわたしの3人です。
当時の市史資料室で専門的なことがわかるのは、
非常勤のわたししかいなかったので。
- ──
- ‥‥怒られました?
- 馬部
- 事情を察してくださって、
こちらのほうが励まされることもありました。
もちろん、怒られもしましたね。
「いますぐ返してほしい」という方もいました。 - でも、そこで返却してしまうと、
史料の歴史的価値がわからないまま、
散り散りになってしまう可能性もあります。
なのでみなさんには、
「もうすこしだけ貸してください」と、
その場でお願いさせていただきました。
- ──
- お願いするには、
なかなか気まずい状況ですね。
- 馬部
- なので、ただ借りるだけじゃなく、
「専門的な解説書と目録を付けてお返しします」と、
そういう約束をしました。
- ──
- あ、なるほど。
そういう条件を出して。
そうやって1軒ずつ説得してまわって。
- 馬部
- いや、説得したというよりも、
せめてもの罪滅ぼしという感覚だったと思います。
当時のわたしにできることは、
それぐらいしかなかったんですよね。
- ──
- 所蔵者の方に返却するという選択肢は、
まったくなかったんですか?
- 馬部
- 歴史的価値を明確にしたうえで
史料を返却しないと、
散逸してしまう可能性もあります。
記録をしたうえで返却しないと、
正しい歴史を後世に残せなくなります。
それは市にとっても、市民にとっても、
損でしかありません。
そのため返却するにしても、
撮影するまでの猶予期間をいただきたかったんです。
- ──
- ちなみに、借りている古文書に
「専門的な解説書と目録を付ける」というのは、
誰が決めたんですか?
- 馬部
- わたしの判断で、そう決めました。
‥‥ただ、もちろん葛藤はありました。
それを本気でやりはじめたら、
しばらくは自分の研究ができなくなるので。
- ──
- ダンボール150箱ですもんね‥‥。
- 馬部
- 心の中では、研究者としての売り時を
逃すだろうなぁとも思いました。
正直、ローカル地域史をどんなに研究しても、
なかなか大学には就職できないんですよね。
でも、すくなくとも5年間は、
枚方市の研究に専念しようと覚悟しました。
- ──
- そう決めたんですね。
- 馬部
- 結局、5年どころか、
すべて終わらせるのに8年かかりました。
- ──
- じゃあ、その8年間は、
ずっと古文書の解説を書きつづける日々で‥‥。
- 馬部
- いやいや、ちがいます。
解説を書くだけなら8年もかかりません。
- ──
- え?
- 馬部
- いや、そうじゃなくて、
昼間は市の職員としてはたらいているので、
それだけ時間がかかったという話なんです。
- ──
- あ、昼間は別の仕事を!
- 馬部
- そりゃあ、そうですよ。
だって本来の自分の仕事は、
市史資料室での仕事なんですから。
しかも図書館に引っ越してからは
お客さんの数が増えて、
リファレンス対応だけで
1日が終わるくらい忙しくなりました。
- ──
- 解説はいつ書かれていたんですか?
- 馬部
- それこそ夜とか、仕事のあいまですね。
とにかく時間をつくっては、
空いた時間で解説を書いていました。
それだけではもったいないので、
その解説をベースに論文化もしました。
当時はほとんど休みがなかったですね。 - ただ、結果的にはその時期に、
椿井文書やそれ以外の偽史をたくさん分析して、
それを論文に残すことができました。
- ──
- まさにその時期に、
椿井文書を分析されていたわけですね。
- 馬部
- そうですね。
いまにして思えば、研究者として
このまま埋もれたくないという一心で、
偽史に関する論文を書いていた気がします。
- ──
- そうやって考えると、
もし水漏れが起きていなかったら、
椿井文書の論文というのは‥‥。
- 馬部
- すくなくとも
その時点では書いていないでしょうね。
もしあの出来事がなかったら、
それこそ自分のやりたい研究テーマを
ひたすらやっていたと思いますので。
(つづきます)
2021-06-04-FRI