韓国のエンターテイメントが
ちょっとおもしろくなる授業、その2です。
韓国語のドラマや映画の字幕翻訳を
手がけられている朴澤蓉子さんに
翻訳の世界について教えていただきました。
字幕ってどう作られているんだろう?
翻訳家はどんなことを考えて訳している?
いろんな好奇心がくすぐられる
現場のお話を、たっぷりご紹介します。

協力:小池花恵(and recipe)

>朴澤蓉子さんプロフィール

朴澤蓉子(ほうざわ・ようこ)

1985年生まれ。宮城県出身。
東京外国語大学在学中よりアルバイトで
韓日映像翻訳に携わり、
2010年からはフリーランスとして活動。
映画『ミッドナイト・ランナー』『最も普通の恋愛』
『詩人の恋』の字幕翻訳やドラマの吹き替え翻訳など、
手がけた作品は100タイトル以上。
2020年、「第4回日本語で読みたい韓国の本
翻訳コンクール」で最優秀賞を受賞。
同受賞作『ハナコはいない』をクオン社より刊行。

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(6)悩ましき「オッパ」問題。

──
翻訳をしていて
「これはもう韓国語のまま出せたらいいのに」
と思う言葉もありますか?
朴澤
そのあたりで言うと「オッパ」問題は
翻訳者の皆さん、本当に悩んでいて。
韓国語の「オッパ」というのは
直訳すると「お兄さん」。
女性が年上の男性を呼ぶときの呼称なんですけど。
──
「オッパ」問題。
朴澤
韓国では実の兄のことも「オッパ」と呼ぶし、
学校の親しい先輩も「オッパ」。
日本語の「先輩」よりも、もっと距離が近いかな。
知り合いの年上の男性にも言うし、
彼氏にも言ったりする。
けっこう特有のニュアンスがある言葉なんです。
だからそれを日本語でぜんぶ
「お兄さん」としてしまうのは、
ちょっと違うんですね。
昔、とあるドラマで、実の兄ではないけれど
親しい年上男性のことを「オッパ」と呼んでいて、
「お兄ちゃん」と訳されていました。
それで
「『お兄ちゃん』が何人か出てくるので混乱する」
という視聴者の声が若干あったんです。
それを見て、「『オッパ』の訳し方には
慎重にならないといけないな」
と思うようになりました。
最近は韓国語をわかる方も増えて、
「オッパはオッパだよね」という声もあるんです。
が、うーん‥‥難しいですね。
やっぱり大前提として、字幕というのは
「韓国語がわからない人に向けて訳すもの」
なので。
毎回、どうしたものかなとは思ってます。
──
いまは実際「オッパ」が出てきたら、
どう訳しているんですか?
朴澤
なかなか難しくて、
「相手の名前+さん」にしたり、
学校の先輩ということが明らかなら
「先輩」にしたり。
でも本当に
「うーん、どうなんだろうな‥‥」
という思いはずっとありますね。
「この場合はこう」みたいな、
わかりやすい答えは出てないです。
出てくる「オッパ」をすべてそのままにすると、
「オッパ」だらけになるんですよ(笑)。
ドラマの中で、誰を指してるのかわからなくなる。
でも名前と併記して
「◯◯オッパ」みたいにしたら、
それだけですごく字数も増えますから。
しかも全部カタカナだから、
どこまでが名前なのかもわかりにくい。
でも中黒を入れて
「◯◯・オッパ」としても、
それはそれでミドルネームみたいな感じで
変かなと(笑)。
──
難しい。
朴澤
先日はちょっとチャレンジで、
「オッパ」をそのまま使ったんですね。
でもそれは、女性2人&男性1人のシーンで、
そのなかの男女が気があるような、
だけど踏み切れない関係。
で、もうひとりの女性が
ふたりをくっつける作戦として
やきもちを焼かせようと、わざと親しげに
「オッパ~」と強調して何度も男性を呼ぶんです。
そのときは最初に呼ぶときに
「◯◯お兄さん」に「オッパ」とルビを振って、
そのあとからはそのまま
「オッパ」って出すようにしたんです。
これは「オッパ」が何度も繰り返されて、
象徴的に使われていたシーンだからできたことで。
強調して言ってることが画面からわかったし。
男性の「親しげに呼んでくれてありがとう」とか、
女性の「年下なのにいきなり名前で呼ぶのは
あれかなと思って」みたいな台詞まであって、
補完できる流れがあったので入れたんです。
でも、そんなにうまくいくことばかりじゃないので。
だから本当に毎回、
状況に合わせて考えている感じですね。
小説だと、いまはもう最初に
「オッパとは?」という注釈を入れて、
そのまま本文では「オッパ」と訳されているものも
たくさんありますから、
字幕もこれからだんだん変わっていくのかも
しれないですけど。

──
ほかにそういう「訳すの困るなぁ」という
単語ってありますか?
朴澤
「シッタ」とか。
「洗う」という言葉ですけど、難しいんですよ。
わたしだけかなあ。
──
シッタ。
朴澤
手を洗うのも「シッタ」、
シャワーを浴びるのも「シッタ」、
顔を洗うのも髪を洗うのも
場合によっては「シッタ」なんですね。
なのでよく
「ちょっと洗ってくる」と
みんな引っ込んでいくんですけど、
いったい何を洗うのか(笑)。
まあだいたいは「シャワーを浴びてくる」なんですが
次にバスルームが映ると
手や顔しか洗ってなかったりする。
ひと昔前のドラマだと桶で足を洗ってたり。
仕方がないので毎回、
ぼかしたりしながら訳してて。
「この家にはバスタブがあるから
『お風呂入ってくる』でいいのか?」と悩んだり
「ここは手でいいや」と思ったり、
「バスルーム行ってくる」にしたり、
「夜寝る前だからシャワーかな」とか。
わたしだけかも…。
──
敬語関係の言葉も訳しにくいですか?
朴澤
ああ、訳しづらいですね。
日本語と韓国語の敬語のレベルって、
ちょっと違うので。
敬語って、日本語だとすごく
かしこまったイメージですけど、
韓国語だとそこまでじゃないんです。
お互いに敬語で話す夫婦もいるし、
子供が親に敬語で話したりもするので。
なので日本語にするときに
敬語をとってしまっていいかは
悩ましくて、これも毎回悩むんです。
結局、作品によって変えているんですけど。
たとえば恋人同士で
ずーっと敬語で話していた場合、
ひと昔前だったら訳し方として、
最初からタメ口にしてたかもしれないです。
「日本語だと違和感があるから」
という理由ですね。
でも最近は「敬語の丁寧な感じが心地よい」
とおっしゃる視聴者の方もけっこういますし。
あと韓国のドラマって、物語が進む中で
「今日から敬語をやめよう」と
言いだしたりするんですよ。
韓国の人は、なあなあで言葉遣いを変えなくて、
ちゃんと断ってからじゃないとタメ口にしないので。
だから、敬語をなくしていたあとで
そういう台詞が出てきたら
「うわ、もうタメ口にしてしまってた‥‥!」
となるので、けっこう慎重になりますね。
──
あと難しそうなものというと
‥‥悪口とか?
朴澤
ああ、韓国語には悪態が
すごくたくさんあるんですが、
これも翻訳しにくいことが多いです。
悪態は「たとえば」も口にできない感じですけど(笑)、
犬関連のものが多いですね。
「犬野郎」「犬の子」「犬のガキ」
このあたりがメジャーな悪態です。
あとは病気とか、身体的なことを悪く言う
悪態もあります。
でもそういう表現は使えないし、
悪態の日本語訳はどうしても
ワンパターンになりがちなので
私は自分の表現辞典に
「悪態」というページを作って、
そこにためていってます(笑)。
日本語でも「ブタ」とか「チビ」とか、
容姿のことを言う悪態がありますけど、
そういうのも当然使うわけにいかないので、
どうしても「くそったれ」とか「クズ野郎」とか
「ろくでなし」とかになっちゃいます。
──
たしかに字幕の悪態って、
そのあたりの言葉を見ることが
多い気がするんですが、そういう理由なんですね。
朴澤
でも当然、韓国でも悪態を大っぴらには
放送できないんですよ。
なので「ピー音」を入れることもあるし、
あるいは悪態と似た発音の、
違う単語を使って罵ったり。
そのあたりのバリエーションとしては、
「携帯電話の着信音が犬の鳴き声だったら、
その人のことが嫌い」とか。
姑から電話がかかってきて、
着信音が「ワンワンワンワン!」だと、
「ああ、また来た(うんざり)」みたいな(笑)。
──
犬はポイントなんですね。
朴澤
ポイントですね。
二日酔いで苦しんでいるときに
「こんど酒を飲んだら俺は犬以下だ」
(→もう二度と飲まないぞ、飲みすぎないぞ)
みたいな台詞があったりしますし、
「犬にも劣る」「犬になるな」といった
表現も多いです。

(つづきます)

2023-02-11-SAT

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