「ダイナソー小林」としても知られる恐竜の先生、
小林快次さんの毎日は、とにかくたのしそう。
北海道大学で学生たちと研究に明け暮れたり、
世界の現場に出かけて発掘をしたり。
そんな小林先生が「ほぼ日の學校」で、
恐竜の面白さや、ご自身のこれまでについて、
いろんな話をしてくださいました。
特に印象的だったのが、子どもたちへの
「みんな、とにかくたのしんで!」などの
力強いメッセージ。
まっすぐな言葉の数々は、子どもたちだけでなく、
大人にも伝わってくるものがあります。
先生が研究をしながら大切に思っていること、
そして恐竜から感じているいろんなメッセージを、
「いまを生きる」ヒントにしてみてください。

>小林快次さんプロフィール

小林快次(こばやし・よしつぐ)

古生物学者。
国内外で積極的に発掘調査を行う、
恐竜研究の世界的な第一人者。
NHK「プロフェッショナル」
「NHKスペシャル」「NHKアカデミア」等に出演し、
恐竜の謎について知見を広めている。

1971(昭和46)年、福井県生まれ。
北海道大学総合博物館教授、同館副館長。
1995(平成7)年、ワイオミング大学
地質学地球物理学科を首席で卒業し、
2004年、サザンメソジスト大学
地球科学科で博士号を取得。
ゴビ砂漠やアラスカ、カナダなどで
発掘調査を行いつつ、
恐竜の分類や生理・生態の研究を行う。
近年、カムイサウルス、ヤマトサウルス、
パラリテリジノサウルスなど日本の恐竜を命名。
著書に
『恐竜は滅んでいない』(角川新書)
『ぼくは恐竜探険家!』(講談社)
『化石ハンター 恐竜少年じゃなかった僕は
なぜ恐竜学者になったのか?』(PHP研究所)
『恐竜まみれー発掘現場は今日も命がけ』
(新潮社)などがある。

 

<ほぼ日の小林快次さん関連コンテンツ>
・やりたいことのなかった青年は、いかにして「ダイナソー小林」になったか。

・特集『挑む人たち。』が本になりました。

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糸井
「現地」と呼ばれるような場所を訪れるたびに、
何かはある感じですか?
小林
必ず何かはありますね。
それはもう必ずあって、それこそあとは
「見つけられるかどうか」なんです。
だけど、そういう目でちゃんと見ていれば、
必ず成果は上がりますから。
それをこぼさずに持って帰って、
成果として論文を出すという。
ぼくは失敗した調査って、本当に1回もないですね。
糸井
地図上で「現地」となる場所って、
どうして現地になるんでしょうか。
小林
そもそも世界中に
「地質図」というのがあるんです。
というのも、どの国でも石油、石炭、
天然ガス、宝石、鉱物だったりが国の力になるので、
みんな地下資源を探索していますから。
そこで
「ここは天然ガスや石油はないけど、
なにか葉っぱの化石が出てるよ」
みたいな話があって、
「時期は恐竜時代だよ。なにかの骨も出てるよ」
となると
「じゃあ行ってきます」
と出かけていって、骨が見つかるという。

糸井
そうか。おおもとは産業的に
石油、石炭、金やら銀やらがある。
小林
そうですね。
糸井
大ざっぱには、何が出ているところが
恐竜の化石が出やすいんでしょうか。
小林
石炭というか、植物は大きいですね。
要は「河川堆積物」と呼ばれる、
川によって土砂が積もったような地層で、
そこに植物だとか貝とか、
それこそ軟体動物とかがあったりすると、
どんどん確率が上がっていきます。
石油とかを探している人たちは
化石に詳しいわけではないので
「なんだか知らないけど骨らしいのが出ている」
という報告がけっこうあって、
それが恐竜時代だったらほぼズバリですし、
そういうことがなくても、
やっぱり植物、貝とかが鍵になります。
結局、恐竜が食べる餌。
糸井
あ、そうか。食物連鎖。
小林
そうですね。食べるものがあれば、
必ずそれを食べている恐竜がいますから、
それで探しに行くのが多いですね。
糸井
急に変な質問ですけど、
「足あと化石」ってありますけど、
あれがぼく、概念としてよくわからなくて。
小林
(笑)はい。えっとですね。
田植えの時期に、まだ水が入ってない状態の
田んぼって入られたことありますか?
糸井
ないですけど、想像はつきます。
どろんこの。
小林
そこで足を抜くと、泥がそのまま
足のかたちになりますけど、
泥ってけっこう粘性があって、
かたどられた状態をそのまま維持するんですね。
一方、それが砂浜だと、足あとがついても、
波に洗われるとすぐなくなりますよね。
砂のように粒が大きいと形を維持できないんですけど、
泥ってすっごく細かい粒なので、
粘性を持つんですよ。
なので、恐竜が泥の上を歩くと足の形がのこって、
それがけっこう硬いんです。
その上に水が流れて砂が運び込まれると、
なかに砂がどんどん積もっていく。
そこにギューッと圧力がかかると石になる。
すると、砂の石「砂岩」と泥の石「泥岩」って
あるんですけど、
泥の石のほうはすごくもろいんです。
いわゆる黒雲母、白雲母とかが泥の石に入ってますけど、
雲母って水が入ると
すぐにぼろぼろになっちゃうんですね。
だけど砂の石のほうは、
ガチガチに固まった状態で残る。
なので、そうやって固まった砂岩と泥岩があって、
その泥岩のほうがなくなって、
かたどられた足だけが砂岩に残る。
そういうのがよくあるパターンです。

糸井
穴を埋めた側が残るんですね。
小林
反対のケースもありますけど、多いのはそっちです。
固い方が残るという。
糸井
いまのようなお話を説明できるように
なるには、これはこれでまた
いろんな研究があったわけですよね?
小林
まぁ、そうですね。
ぼく自身は教科書で読んだんですけど、
そういう知識と、体感的に得てきた
自分の経験との組み合わせ。
いま、田んぼを歩いたことがある人は
少ないかもしれないですけど、
泥の上を歩くと足あとが残るのは同じですから。
糸井
つまりそう考えると、水辺ですよね。
水のあったところに生きものがいるのも
原則だから。
小林
そうですね。
水があるところはいろんな生物がいて、
餌になって、食べに来る恐竜もいますから。
つながってきます。
糸井
もともと「勉強しなかった」という人が、
そういうことを1個ずつ
勉強していくわけですよね。
小林
そうですね(笑)。
糸井
それは全然嫌じゃないわけですよね。
小林
それはもう。
ぼく自身、外に出るのが好きだし、
実際に野外で、本当に自分で体感しながら
いろいろ発見をしていくのって、
すごくたのしいですから。
糸井
「こういうことか!」っていう。
小林
実際、教科書を読むよりも、自分で体験したほうが、
情報を鮮明に覚えられるし、記憶にも残るんです。
その意味で、バーチャルもいいですけど、
やっぱりみんな野外に出て、
本物に触れてもらえるといいなと思ってますね。
糸井
バーチャルも、アニメも、
人間の想像力がもとじゃないですか。
頭の中にあるものを動かすのがアニメーションだし、
データに置き換えられるものを
情報として表現するのがバーチャルだから。
その限界ってたぶんあって。
小林
そうなんです。
また、人間の想像力というのも
たいてい自然が元になってるんですね。
たとえば今年(2024年)は辰年ですけど、
空想上の生き物である「龍」も、
「実はワニが起源じゃないか?」
という説があるんです。
古代中国には大きなワニがいて、
中国で「龍」という文字ができたのもその頃。
そこからできたんじゃないかという。
やっぱり人間って、どこかで見たものを
参考にするところがあって。     
いわゆる「想像力」も、
完全に何もないところから生まれるわけではなく、
どこか限られたなかで
出てくるものかなと思うんです。

糸井
歴史を見ても、
「自然を人間の頭のなかで加工して表現する」
という循環が、ずっと繰り返されてきてますし。
小林
そして、現生生物から生まれた空想と、
自然がつくり出したとんでもない規格とが
交わっているのが「恐竜」なんですよ。
糸井
ああー。
小林
見たことのない形や、見たことのない大きさ。
自然がそういうデザインをつくっていたことが、
人間にとってすごく刺激になるわけです。
だから今後さらに
「こんなでかいのがいた!」とか
「こんな形で表現した恐竜がいた!」となれば、
それがまた自分たちの想像のデータに入ってきて、
また新しいキャラクターが生まれることも
あると思います。
糸井
「恐竜」という概念自体が生まれたのも、
そんなに昔じゃないですよね?
小林
200年ぐらい前ですかね。
本当に新しいものです。
糸井
つまり、たった200年ともいえるわけで。
それまでの人たちはどう考えてたんですか?
小林
やっぱりいろんなところに伝説がありますよ。
去年ぼくがアラスカのユーコン川を調査したときも、
河原に恐竜の足あとがたくさんあったんです。
だけどそこに暮らす人々は
「3メートルぐらいの大男がいるんだ」
とか言っていて。
「本当に気を付けないとさらわれる」
「これがその大男の足跡だ」
みたいに彼らが言うのを、
「これ、恐竜の足あとなんだけどな‥‥」
とか思いながら聞いてたんですけど(笑)。
糸井
つまり、恐竜を知らない人たちには、
人間に似た形のもので想像されていた。

小林
そうなんです。
しかも彼らのなかでは
「見た人がいる」「さらわれて洗脳された」
といったUFOみたいな話で語られてたんです。

(つづきます)

2024-10-30-WED

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