メディアに多数出演、
Twitterでの独自のキャラクターにファンも多い
ロシア軍事研究家の小泉悠さんに、糸井重里が
ウクライナ戦争の話をうかがいました。
なかなか語るのが難しい話題ですが、
軍事オタク出身で、ちょっとしたユーモアや
キャッチーな話題などもはさみつつ、
やわらかく語ってくださる小泉さんのお話は、
身構えず、落ち着いて聞くことができます。
日本で暮らす私たちはこの戦争について、
どんな軸を持てばいいのだろう?
「知っておいたほうがいい部分」や
「考えておくべき部分」は、どこだろう?
戦争や軍事との向き合い方を考えるための
なにかヒントになれば、と思います。

*2023年5月「生活のたのしみ展」でおこなわれた
「ほぼ日の學校 特別授業」を記事にしたものです。

>小泉悠さんプロフィール

小泉悠(こいずみ・ゆう)

1982年千葉県生まれ。
民間企業、外務省専門分析員などを経て、
2009年、未来工学研究所に入所。
ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所
(IMEMO RAN)客室研究員、
公益財団法人未来工学研究所客員研究員を経て、
現在は、東京大学先端科学技術研究センター
(グローバルセキュリティ・宗教分野)専任講師。
専門は安全保障論、国際関係論、
ロシア・旧ソ連諸国の軍事・安全保障政策。
著書に
『ウクライナ戦争』(ちくま新書、2022年)
『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書、2021年)、
『「帝国」ロシアの地政学─勢力圏で読むユーラシア戦争』
(東京堂出版、2019年、サントリー学芸賞受賞)、
『ロシア点描』(PHP研究所、2022年)、
『ウクライナ戦争の200日』
(文春新書、2022年)など。
家族はロシア人の妻、娘、猫。
「ユーリィ・イズムィコ」の
ペンネームでも知られる。

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10 95%は普通に暮らしてる。けれども…

糸井
戦争がはじまってずいぶん時間が経って、
「ウクライナの普通の人たちが
どう暮らしているか」といった
ニュースやドキュメンタリー番組まで
報道されるようになって。
たとえば最初のほうにちらっと言いましたけど、
僕は、ウクライナの学校の先生たちが、
戦争のことを子どもたちにどう伝えるかを
話している番組を見たんです。
そこはこの戦争で両親を失った子や
遠くから疎開してきた子たちもいる学校で、
そのなかには、中学生ぐらいで
「僕は早く戦争に行きたい」と言う子が現われたり、
いままでずっと何も言えなかった子が
とつぜん一気にしゃべり出したりするんですね。
それを見ていたら、かなり胸にくるものがあって。

小泉
ええ。
糸井
またもうひとつ、特に印象に残っているのが、
ウクライナからのニュースで
「家に戻りました。危ないけど」
と言っているその家が、きれいなんですよ。
花が飾られていたり、テーブルクロスがあったり。
戦時中の日本のドキュメンタリーとかって、
全体に印象がきれいじゃないんですよね。
それは当時
「贅沢は禁止! いまはそれどころじゃないんだ。
そんなことをしてるのは不埒だ」とか、
全員を軍隊化するようなイデオロギーが
あったからだと思うんですけど。
でもウクライナは2023年にもなっているから、
「戦争はしてるけども紅茶を飲みましょう」
といった生活の部分が、生き永らえている。
そういう時代の戦争を、僕らははじめて
見ているのかなって思ったんですよ。
小泉
まあ、それはおそらく
「戦時体制をどう運営するか」の
違いであると同時に、
やはり白黒とカラーの映像の違いが
ある気もするんですけどね。
私も第二次世界大戦中の社会のイメージって、
やっぱり白黒で、みんな防空頭巾をかぶって、
ワァー!と逃げてるみたいな感じがあるわけです。
なんだけど、おそらく第二次大戦中だって、
ぜんぶがぜんぶ、そういうものでは
なかったと思うんですよ。
現実はカラーであったはずだし、
ときにはうまいものを食っただろうし、
花も咲いたはずだし、鳥の声もしたはずだし、
暑い日があったり、気持ちいい日があったりする。
たぶんそれは第二次大戦中の日本も、
2023年のウクライナも実は同じで。
糸井
あぁ。
小泉
なんだけど、そういう美しい風景とか、
普通の日常の生活のなかに
とつぜん爆弾が降ってくるから、
邪悪なんだと思うんですよね、戦争って。
糸井
はいはいはい。
小泉
だからおそらくみんな95%は普通に暮らしている。
けれどもそのなかに5%、
とつぜん破壊が紛れ込んじゃう。
そういうのが意外とリアルな
戦時下の生活なんじゃないかという気が
私はします。
もちろんそれはウクライナのなかでも、
どこかによるんですけど。
おそらく、まさに戦場になっているヴフレダールや
アウディーイウカの町はそうではなくて、
ほとんど廃墟と化している。
でもそのなかでも、逃げられずに
地下壕で暮らしている家族もやっぱりいるわけです。
それからまた別の例で、たとえばドニプロ川沿いに
ヘルソンという町がありますよね。
あそこもウクライナ軍が2022年秋に解放して、
いまは一応ウクライナの施政下で
人々は普通に暮らしている。
だけど、川向こうにロシア軍がいて、
いやがらせで大砲をぶち込んでくるわけですよ。
糸井
あぁ‥‥。
小泉
その一発で大勢の人が死ぬわけじゃないんだけど、
とつぜん普通のマンションにそれが着弾すると
「一家5人全滅」とかになるわけです。
だから、とんでもない悲劇と普通の生活が、
ほんとに壁一枚隔てたところで
混在しちゃうんでしょうね。
戦時下の風景って。おそらく。

糸井
じゃあ、そういう場所では人々はみんな
「弾は来るけど暮らしてる」みたいなことを
それぞれに経験しながら学んで、
覚えていく暮らし方をしているというか。
小泉
まぁ、あるいは麻痺しちゃうのかもしれませんね。
糸井
ああ、麻痺ね‥‥。
小泉
「空襲警報でいちいち避難しなくなった」
って人の話も聞きますよね。
もう来るときは来るんだ、しょうがないんだと。
つまり、たとえばキーウみたいな大都会で暮らしていて、
学校にも行かなきゃいけない、
仕事にも行かなきゃいけない、
帰って夕飯をつくらなきゃいけない。
そういうときに、1日に何回もある空襲警報で
「いちいち避難してられるか」と。
最初のうちは避難していても、だんだん
「もういいや」と変な慣れ方を
しちゃってる人は、きっといるのかなと。
糸井
それは東日本大震災のあとの時期を思い出しますね。
もちろん戦争と災害とでは、大きく違うはずですけど。
「余震だから」と言われても怖かった時期と、
「これは余震だよ」と言ってもう準備しない時期と、
自分のなかでちゃんと物語を変えてましたね。
小泉
それは「学んだ」と言える側面もあるし、
「麻痺して鈍化しちゃった」
という側面もあるし。
ほんとは学びたくもないし、
鈍化したくもないんですけど。
だけど、そういうものが強制的に来ちゃうのが
戦争だという感じですよね。
糸井
ろくでもないですねぇ。
小泉
ろくでもないですね。ほんとにね。
糸井
ろくでもないですねぇ‥‥。

(つづきます)

2023-08-19-SAT

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