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奈良 |
ぼくの昔の作品って、
展覧会のために描いてたものじゃない絵が
ほとんどなんですね。
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糸井 |
それは、つまり、無名時代。
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奈良 |
そう。
数としては、けっこうあると思うけど、
展覧会にちゃんと飾られた絵って
そのなかの1割もないんじゃないかな。
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糸井 |
ほかの9割は?
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奈良 |
ギャラリーに飾られなかったもの。
だから、ギャラリーに渡したんだけど、
展示されてない。そういうものばっかり。
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糸井 |
渡したけど飾られてないっていうのは?
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奈良 |
つまり、そのころってバカだったから
「ちょうだい」って言われると、
あるもの、ぜんぶ渡しちゃうんです。
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糸井 |
あーー(笑)。
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奈良 |
ぜんぜん売れない時代だからね。
いまだったら、気に入ったものは
自分で取っておいたりとかするけど、
なんていうのかな。
見てもらえる。展覧会させてもらえる。
それだけで、もう。
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糸井 |
うれしい。
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奈良 |
うん。
ありがたいことだって思っちゃって。
もう、あれも、これも、
いいのも、悪いのも、ぜんぶ、
一緒くたにして渡しちゃう。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
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奈良 |
「そういうことしちゃダメだよ」って
いまの若い人に忠告したい(笑)。
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糸井 |
そうだねぇ(笑)。
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奈良 |
やっぱり、
ありがたい気持ちが強すぎて、
誰かに「いい」って言われると、
ほんとに鵜呑みしちゃうんだよね。
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糸井 |
つまり、騙されて絵を渡してるわけじゃなくて
その都度、きちんと秤にかけて、
渡してるわけだね。
要するに、うれしいから。
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奈良 |
そうそう、うれしいからね。
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糸井 |
ああ。
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奈良 |
なんだろうね。
タダでもいいって感じなの、だから。
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糸井 |
うれしいんだ。
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奈良 |
うん。
タダでもいいっていうか、
持って行ってください、みたいな。
いいと思ってくれてると思ってるから。
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糸井 |
ああー。
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奈良 |
ほんとにいいと思ってた人が
ほとんどだったと思いたいんだけど、
いまでも。うん。
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糸井 |
そういう時代にさ、誰かに「いい」って
言ってもらえたよろこびっていうのは、
やっぱり、なにものにも
かえられないですよね。 |
奈良 |
そうだよね。
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糸井 |
自分も素人みたいなものだし、
ほめる相手もいわば素人なんだけど、
ほめられたそのことばが
表現としては稚拙であったとしても、
ものすごく励みになりますよね。
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奈良 |
うん、そうですね。
ぼくははじめて展覧会らしきものをやったのが
24歳のときなんだけど、最初の日に、
「どんな人が来るんだろう?」って思って
会場にいるじゃないですか。
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糸井 |
うん。
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奈良 |
すると、ぜんぜん知らない人がきて、
すごく真剣に自分の絵を見て、
たとえば、人生を振り返るような話をしだして、
なんか、この絵が自分の人生と
リンクするような気がして好きなんだ、
とかって言う。もう、それだけで‥‥。
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糸井 |
うれしいよね。
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奈良 |
うれしい。
ひとりの人が、心からそう思ってるっていうのが
はじめて実感できるから、
わー、やっててよかったなぁ、って思って、
「好きなのあったら持って行っていいですよ」
みたいになっちゃうのね(笑)。
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糸井 |
ああー。
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奈良 |
あのときはたぶん、
ぼく自身も、その人自身も、
人とコミュニケーションを
とることが得意じゃなくて、
絵というものを媒介として、
やっとコミュニケーションがとれたような気がして
それだけでももう、感動しちゃうみたいな。
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糸井 |
いまでも、ぜんぶじゃないけど、
その気持ちは残ってるよね。
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奈良 |
残ってると思う。
まぁ、いまはもう、会場にはいないけど(笑)。
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糸井 |
で、そういう、ほんとのうれしさとは別に、
なんだろう、ずっと作品をつくっていくと、
とおり一遍のほめられ方に、
ちょっといらだちを感じるときってない?
額面どおりにうれしい気持ちと、
もっとなんかあるんじゃないか、っていうような。
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奈良 |
うーん‥‥そうですね、
ま、見る人に、表現することばが足りないのは、
なんでもないことだと思うんだけど、
こう、ちょっとでも美術をかじった人が
その、ボキャブラリーがなくって、
おなじような言い方されるとイヤなんですよ。
あ、この人はなんか、
表面しか見てないな、みたいな。
なんていうんだろう、怒りはしないけど、
ちょっとあきらめるというか。
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糸井 |
教科書的な表現ばかりをくり返す人とか。
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奈良 |
うん。
ぼくの場合はやっぱり、
年齢もけっこういってるし、
いろんな経験をして、いろんなレイヤーがあって、
いまの表面ができてるんです。
だから、女の子とか動物とか、
おなじようなモチーフを描く人は多いけど、
ぼくの場合は、いきなりここに
ポンと来たわけではない。
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糸井 |
堆積層があるわけだね。
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奈良 |
そうそう。
そこを、見られる人と、見られない人がいる。
変に美術の知識がある人よりも、
おじいちゃんとか、おばあちゃんとか、
歳とってる人のほうが、見られたりもする。
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糸井 |
はぁーー。
表面の下にあるものを感じとるんだ。
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奈良 |
うん。
この人はこの人と表面的に似てるけど違う、とか。
注ぎ口から出てきたものは同じなんだけど、
中がめちゃ広くて、いろんな物が溜まってるとか。
やっぱり、表面として見えてるものと
中にあるものは違うから。
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糸井 |
それを、最初から見える人がいる。
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奈良 |
だから、そういうのがわかる人と
出会えるとすごくうれしい。
でもそれは、ぼくの問題というか、
ぼくが見抜かなきゃいけないことだと
思うんだけど。
わかっても表現できないことってあるから。
たとえば、この人はほんとに
「わー、かわいい」で終わってる人なのか、
「かわいい」って言いながら
「かわいいのなかに何かあるぞ」って
感じ取ってる人なのか。
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糸井 |
なるほどね。 |
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To Be Continued...... |